これは、私が体験したお話です。
数ヶ月前、私は友達に誘われて、食品配達サービスのバイトをしてました。ほら、皆さんもご存知でしょ? 某ウーバーです。
当時、私のところには、毎日同じ人から、同じ時間に、同じ注文が届いていました。
時間は夜九時ちょうど。配達先は■■町のビル街にある雑居ビルです。昭和の時代っぽい雰囲気の、ボロいコンクリのビルです。中は薄暗く、どの部屋に何の会社が入っているのかいないのか、全然分かりませんでした。
そのビルの、四階の一番奥の部屋が目的地でした。必ず置き配で、中身はハンバーガーとコーラでした。私はドアの前に商品が入った袋を置いて、そのまま帰っていました。
しばらくの間は、特に何の疑問も持たずに配達してました。いつもハンバーガー注文してくるなー、毎日残業してる社畜かな? くらいに思ってました。
でも、そんなある日のことです。ハンバーガー屋で商品が出来上がるのを待っていた時、他の配達人が喋ってるのを、たまたま聞いてしまいました。
「ねえ、知ってる? 例のビル、化け物がでるらしいよ?」
「例のビルって、配達依頼がしょっちゅう来る、ビル街の雑居ビル?」
「そうそう。ヤバいよねー。私、あの配達、怖くて全部無視してる」
「それが一番だよ」
調べてみると、ネットの掲示板に、本当にそういう噂がありました。
『夜、そのビルの四階の一番奥に配達に行くと、化け物に襲われる』
それを見て、不安になった私は友達に相談しました。どうしよう、もう行かない方がいいかな、と。
「気にしすぎなんじゃない? 今まで何も起きてないなら、大丈夫でしょ」
友達はそう言いました。確かにそれもそうだ、と私は思い、これまで通り配達を続けました。
だけど、一度噂を聞いてしまうと、色々なことが気になってしまいました。人の気配が全然しないし、何気なく見たビルの案内板の地図には、何の会社名も書かれていませんでした。ポストにも何も書いてないし、郵便物は一つも入っていませんでした。
あれ? じゃあ、あのハンバーガーは誰が頼んでるんだろう?
友達に相談してみると、
「そんなに気になるなら、どこかの影に隠れて、確かめてみたら?」
そう言われました。
だからある日のこと、私はハンバーガーを届けた後、通路の影で様子を伺いました。
少し待つと、ドアが小さく開きました。
すると、そこから、長い腕が出てきました。骨のように白い、そして異様に長い腕が。
人間の腕に似ているけれど、絶対に人間の腕ではありませんでした。
私は驚きのあまり、息をするのも忘れ、ただ固まっていました。
自分の目で見たものが信じられませんでした。
ああ、でも、逃げなきゃ、逃げないと、マズい、って思って。それで立ちあがろうとしたんです。
その時に音が鳴ってしまって。多分、床に落ちてたゴミか何かを蹴ってしまったんだと思います。
奴に気づかれてしまいました。
ウオォーっていう、怒った獣の唸り声と共に、腕が真っ直ぐこちらへ伸びてきました。私は弾かれたように立ち上がり、必死で逃げました。
エレベーターに乗ろうとして、いや絶対駄目だ、と思いなおして、階段へ方向転換して、駆け降りて、一階の出口まで走りました。
でも、何故か出口のドアが閉まっていました。来た時は開いていたのに。何故か鍵がかかってて、押しても引いても開きませんでした。
後ろから、腕が近づいてくる気配がしました。
私はパニックになって、「助けて!」「開けて!」と叫びながら、ドアをガンガン叩きました。
すると、ドアが開きました。たまたま外を歩いていた通行人が、私の声を聞いて開けてくれたんです。
私は外へ飛び出しました。振り返ると、腕は追ってきてはいませんでした。蛍光灯がカチカチと光ってるだけでした。
外の空気を吸って落ち着きを取り戻した後、警察を呼びました。しかし、ビルの中にそんな化け物はいませんでした。
その代わりといってはなんですが……四階の一番奥の部屋で、白骨死体が見つかりました。
死後数年が経過していたそうです。死体の身元や死因などは今でも分かっていません。もちろん、あの腕が一体何だったのかも……本当のことは何も分かりません。
ただ、警察の方が教えてくれたのですが、このビルの周辺では、数年前から配達バイトが何人も行方不明になっているそうです。
死体ももしかしたら行方不明のバイトの一人かもしれない、とおっしゃってました。
私は、この事件の後、バイトを辞めました。
この話を聞いている方へ。特に、配達バイトの方へ。もし不審な注文があったら、それは引き受けない方が良いですよ。化け物の注文かもしれませんから。
「こいつ? 私のクレカを不正利用した野郎は」
アヤは縄でがんじがらめになった、ソレを冷たい目で睨んだ。
「そうだ」
シンジは頷く。
雑居ビルの四階にある一番奥の部屋。その入り口に、二人の人間が立っていた。片方は作業服姿の、エアガンを構えた精悍な顔つきの女性。もう片方は、ひょろりとした、頭部が少々寂しい中年男性だ。
二人の視線には、化け物がいた。骨色の肌、血走った目、そして長い長い腕。縄と札の結界で閉じ込められ、全く身動きが取れないでいる。
「死体のスマホからインターネットに侵入して、クレカの情報を盗み、勝手にハンバーガーを注文していた……妙に頭の良い化け物だな」
「何でハンバーガーばっかり頼んでたんだろう」
「どうでもいい。とっとと除霊しよう」
「誰です?」
知らない声が聞こえた。
部屋の隅の暗がりから、女性が現れた。フリルとレースがたっぷりの白いワンピースに身を包んでいる。こんな場所でなければ、とても可愛い女性だ。
「あの配達バイトの友達か?」
アヤはできるだけ平静な声を作って尋ねた。
「以前お会いしたことがありましたか?」
彼女は小首をかしげる。
「ご存知じゃなかったけど、あの動画を見れば、大方予想はつく。配達バイトの子と友達になって、わざとここへ来るように誘導したんだろ?」
「誘導? 別に私は何も。あの子の好奇心が強かっただけです。あなた達こそ、こんなところで何をしてるんですか? 不法侵入ですよ」
「クレカの不正利用の犯人を探しにきた。君は何か知ってそうだね」
「さあ? 何のことだかさっぱりです」
彼女は一歩前に踏み出す。その足先は、結界の縄を踏みつけている。
その途端、部屋の温度が一気に下がる。
「まずい」
シンジはアヤの手を引っ張った。
「逃げるぞ」
二人は部屋から駆け出した。
廊下全体が変異している。壁や天井から半透明の腕が伸びてくる。
アヤはエアガンを撃った。弾丸は次々と命中し、腕はふっと消える。しかし次々と新たな腕が伸びてくる。
「無駄ですわ。このビルの四階は私達のもの。逃げられっこないですよ」
背後から声が聞こえてくる。振り返るようなことはしない。
二人は突き当たりの階段を駆け降りる。三階、二階、一階。ビルの出口まで全力で走る。出口は目前だ。
「う!」
シンジが転んだ。階段から伸びてきた腕に、足首を掴まれている。アヤはすぐにネイルガンを撃ち、腕を退けた。だがその瞬間、今度はアヤが腕を掴まれてしまう。追い払おうにも撃つことができない。
シンジは立ち上がると、脇目も振らずに出口へ向かって走り出した。アヤは腕を振り払おうともがくが、次から次へと大量の腕に阻まれ、どんどん階段へ引っ張られていく。
シンジは出口前にある、壁にかけられた案内板の前で立ち止まった。なんの会社名も書かれていない、ただビルの構造を書き記しただけの案内板だ。
彼はポケットからサインペンを取り出した。
そして、『1F 2F 3F 4F』という文字に二重線を引き、『GF 1F 2F 3F』と書く。
その瞬間、アヤにまとわりついていた腕が、消失した。
不気味な気配も消えた。
「シンジ? 何をしたの?」
アヤはシンジの横にやってくる。
「あの化け物は四階にいる。じゃあ、四階を消してしまえばいい」
案内板を見たアヤは首を傾げる。
「でも、数字を書き換えたって、ビルの構造は変わらないだろう?」
「このビルの構造がどうなっているのかは関係ない。全ては噂だ。噂で四階とされたら四階にいる。十三階なら十三階だ」
「……よく分からん」
「噂では四階にいる。だがこのビルに『四階』は存在しない。だから怪異はいない。それでいいだろ」
シンジは案内板に背を向け、出口へ向かう。
「ま、待て! あの女を捕まえていない! 早く探しに行こう」
「いないぞ」
「え?」
「あの女はもういない。数字を書き換えた時点で、怪異もろとも消滅した」
アヤは絶句する。
「怪異と融合していたからな。助けようがない」
「だからって、シンジ、お前……そう簡単に見捨てるのか? それに、まだ怪異の正体や事件の動機も分からないままじゃないか」
「怪異を利用するような人間の末路なんか、こんなもんだ。物事が解決すればそれで良い。早く晩飯に行こう」
アヤは彼の背中を睨み付ける。そして、背後の階段を振り返る。もう何の気配もしない。
アヤは早足で彼の背中を追い、ビルを出た。
「なあ、俺、この店が気になってんだ」
「え? ああ、あの居酒屋か。最近できたところだよな。じゃあ行ってみよう」
真夜中のビル街に、二人の声がこだました。
(完)