「あ、もうこんな時間。本日の配信はこれでお終いです。お疲れ様でした。お休みなさい!」
シュシュリーはカメラに向かって手を振り、配信終了ボタンをクリックした。
「はあー、疲れた。でも楽しかった!」
ボスッとビーズソファに倒れ込むシュシュリー。
「お疲れ様、シュシュ」
使い魔の猫、エペルスがホットミルクをサイドテーブルに置く。シュシュリーはソファから手を伸ばし、コップの取っ手を掴む。
「いただきまーす」
エペルスの作るホットミルクは砂糖が少し入っていて、ほんのり甘い。シュシュリーの頬が緩む。
「休んでばかりはいられないぞ」
「分かってる。これを飲んだら行くよ」
シュシュリーはホットミルクをゆっくり飲む。最後の一滴まで味わうと、一回のびをして、ソファから立ち上がった。
クローゼットから大きな三角帽子をとって被る。壁に立てかけてある、毛先がふわふわの箒を持つ。愛用の魔法書をベルトに挟み、窓を開けた。星が瞬く夜空へ、箒に乗って夜空へ飛び立つ。冷たい風を切って、どんどん上昇する。
「ねえ、どう?」
横で一緒に空を飛ぶエペルスに尋ねる。
「あっちから聞こえる」
エペルスが指差す方向に向かって飛ぶ。
見習い魔法使いであるシュシュリーは、この人間界で修行している。修行の内容は、困っている人を魔法の力で助けること。エペルスが魔法の耳で困っている人の声を聞き、彼女がそこへ向かうのだ。
「そこだ。そこから聞こえるぞ」
シュシュリーは地上に降りた。小さな公園だ。小さな滑り台が一台、ぽつんと置いてある。その滑り台の横で、誰かが立っている。身体は半透明で、色合いが淡い。顔だちもよく分からず、年齢も性別も判断がつかない。
「こんばんは。シュシュリーといいます。あなたは誰?」
返事は無い。ただぼうっと立っているだけだ。
「どうしよう?」
「幽霊は生きていた頃の記憶が曖昧だ。思い出させてあげたら、話ができるかもな」
エペルスの助言を聞いたシュシュリーは少し考える。そして、魔法書を開く。『思い出を蘇らせる魔法』のページで手を止め、そこに書かれた呪文を読み上げる。
空が青色に変わる。周りは温かくなり、道路で車が走り出す。
幽霊の姿がはっきりとする。白い髪のお爺さんだ。大きな木の下、ベンチに腰掛け、本を読んでいる。
女の子が一人、お爺さんの元へ走ってくる。
「こんにちはー」
「こんにちは」
お爺さんは柔和な笑みを浮かべてお辞儀する。
「お爺さん、昨日の続き、お話しして」
「ああ、いいよ」
女の子はお爺さんの隣に座った。お爺さんは手元の本を朗読し始める。
「霧の谷を越えた騎士は、木の下で一日野宿しました。次の日の朝、お婆さんからもらったりんごを食べて出発しました……」
シュシュリーとエペルスは、背後からそっとお爺さんの手元を覗いた。本だと思ったそれはノートで、手書きの文字が並んでいる。
お爺さんの朗読はとても上手で、話を聞く女の子は、喜んだり息を飲んだりと、表情がコロコロ変わる。
夕方になると、お爺さんは朗読を終えた。
「さて、今日はここまでだよ」
「えー、続きは?」
「もうすぐ日が暮れる。早く帰りなさい。続きはまた明日だ」
女の子はむう、と頬を膨らませるが、最後はお爺さんの言うことを聞き、大きく手を振って公園から出ていった。
お爺さんは女の子を見送ると、ベンチから立ち上がる。そして歩き出すが、突然胸を押さえて苦しみはじめ、倒れてしまった。シュシュリーは慌てて駆け寄るが、その手は虚しく宙をきる。
幻が消えた。真っ暗な公園に戻る。
「お嬢さん、こんばんは。思い出させてくれて、ありがとう」
背後から声がした。シュシュリーは振り返った。お爺さんが立っている。
「あの子はご近所さんの子なんだ。家が通りを挟んだ斜向かいにあってね。小さい頃からよく知ってるよ」
「あのとき読み聞かせしてたお話、お爺さんが書いたんですか?」
「ああ、趣味でね。公園には、書く合間の休憩に散歩に来てたんだ。そしたら学校帰りのあの子が公園に来てね……色々話をしているうちに、いつしか、自分で書いた小説を読み聞かせしてたんだ」
お爺さんは懐から一冊のノートを取り出す。
「物語は完成しているんだが、一度に読み切るには長すぎてね。夕方までの間、少しずつ読み聞かせしてきたんだ。でも、私は死んでしまった。お話を最後まで聞かせられないことが心残りだった」
シュシュリーはニコリと笑う。
「じゃあ、私がそのノートを持っていきますよ!」
「本当かい? じゃあお願いするよ」
お爺さんはノートを手渡す。ノートに触れている感触はないのに、ページを開くことはできる。一ページ目には『騎士アリスの冒険』と題名が書かれている。
「あの子の家は近くだ。その通りを右に行った先にある。赤い屋根と金木犀の木が目印の家だよ」
「はい、分かりました! 行ってきます!」
お爺さんに言われた道を行く。程なくして、赤い屋根と金木犀の木が生えた家が見えてきた。家の電気は二階の角部屋だけついている。
「どうする? 中に入るか?」
「本当にその女の子がいるか確かめないと。いたら、その子にノートを渡そうかなって」
魔法で玄関の鍵を開け、「ごめんなさい」と呟きつつ、そっと中に入る。一室ずつ見てまわる。
二階へ登ると、小さな音が聞こえてきた。角部屋からだ。透明人間の魔法で姿を消し、その部屋に入る。
ベッドに寝転がり、一人の少女がスマホで動画を見ている。少女の顔を見たシュシュリーは、目を見開き、口をパッと手で押さえた。ゆっくり後ずさって部屋を出てから、手を離してゆっくりと息を吐く。
「えっと……あの子、だよね……」
エペルスは頷く。
「あの子だ。間違いない」
思い出の中の女の子は五、六歳くらいだった。しかし目の前の少女はどう見ても高校生くらいだ。幼い頃の面影が残っており、お爺さんの記憶の女の子と分かる。
「まさか、こんなに時間が経ってるなんてな」
「でも、お爺さんと仲良くしてたことはきっと覚えてるだろうし、このノートを読めば、きっと喜ぶよ」
シュシュリーは再び部屋に入った。ノートを枕元に置く。しかし、少女は気がつかない。スマホを見ている。ノートを画面の前に持っていくが、それでも気づかない。
(……あ、そうか。このノートも普通の人には見えないんだった)
シュシュリーは魔法使いなので、幽霊や幽霊のものに触ることができる。しかし普通はそうではない。
(じゃあ、どうしよう。どうやって本を渡したらいいのかな?)
考え込むシュシュリー。その時、スマホが目に留まる。
(そうだ!)
シュシュリーはポンと手を叩いた。
ある夜。
少女は、スマホで動画を見ていた。好きなアーティストの曲を聴いたり、ゲーム実況を見たり。そうして楽しんでいると、突然ライブ配信が始まった。
「こんにちは、ラウ・シュシュリーです」
関連動画を誤タップしてしまったと思い、配信画面を閉じようとするが、画面の反応が悪く、閉じない。
「今日は朗読します。題名は『騎士アリスの冒険』」
少女は×ボタンを押そうとする指を止める。その題名には、聞き覚えがあった。随分と懐かしい。
「昔々、あるところにアリスという名前の騎士がいました──」
朗読を聞くうちに、少女は思い出す。幼い頃の思い出を。突然いなくなった、近所のお爺さんのことを。
『この物語、どこで見つけたんですか? 作者は誰ですか?』
少女はコメントを書きこみ、画面を見続ける。
配信者の朗読はとても上手い。ただ読むだけでなく、キャラクターごとに声色や話し方をガラリと変えて演じ分けている。
「霧の谷を越えた騎士は──」
少女は息を飲んで朗読を聞く。物語の風景と幼い頃の思い出が重なって見える。
「──めでたし、めでたし」
朗読が終わる。
「いかがでしたか? あ、コメントに質問が来てますね。この物語は、あるお爺さんが書いたんです。その人はもう亡くなってしまったけど、色々あって、私が今回読むことになりました。皆さんがこのお話を楽しんでくれたら嬉しいです」
少女はコメント欄に感想を書き込む。しかし中々良い言葉が見つからない。あれこれ書いては消し書いては消し、最後にようやく一文を送信する。
『面白かったです。懐かしい気分になりました。ありがとうございます』
ちょっとそっけないかな、と少女は思う。だけどこの狭いコメント欄にはこれ以上長く書きこめない。
「それでは、本日の配信はこれで終わりです。お疲れ様でした。皆さん、お休みなさい。良い夢を」
配信が終わり、画面は暗くなる。少女はスマホを横に置き、ベッドに横になる。
そういえば、家から近いにもかかわらず、もう随分長い間、あの公園に行っていない。明日、行ってみよう。それから、あのお爺さんの家に寄ろう……。
少女は幸せな気分で、眠りについた。
「んー、疲れた! 今日は本当に疲れた!」
シュシュリーはビーズソファに倒れ込む。ずっと朗読をしていたからか、喉がカラカラだ。
あの夜、少女のスマホに魔法で細工をし、シュシュリーの配信が必ず流れるようにした。それから家に帰り、ぶっ通しで朗読の練習をし、本番に挑んだ。
「あの子、思い出してくれたかな」
「コメントしてくれたし、大丈夫だろ」
「そうだね……後で、お爺さんに報告しに行かなきゃ」
「そうだな。ともかく、お疲れ様、シュシュ」
エペルスがホットミルクをテーブルに置く。
「いただきまーす」
シュシュリーの頬が緩んだ。