通学路を歩いていると、夏帆に出会った。
夏帆は相変わらずの仏頂面で、バラの木の下に佇んでいた。隣には、夏帆の小さい頃からの友達、バクの夢子も一緒だ。
「おはよう」
夏帆が話しかけてきた。彼女から話かけてくるのなんて、珍しいこともあるもんだ。
「おはよう」
二人並んで通学路を歩く。
「ねえ、もうすぐ誕生日だよね」
唐突に夏帆が言った。
「え? そうだけど」
「何か欲しいものとかない?」
「そうだな。プレスティファイブやスウィッチが欲しいな」
すると、夏帆はますます不機嫌な顔になる。
「他には?」
「他? えーっと、購買のカレーパンとか? あ、そうだ、消しゴム。ちびてちびて、使い物にならないんだ」
「そんなの、誕生日じゃなくても買えるでしょ」
夏帆はため息をつく。
でも、急に言われても、欲しいものなんて思いつかない。
「夏帆は? 何か欲しいものはないのか?」
「え?」
夏帆は拍子抜けした顔をする。
「そんなに聞くんだから、夏帆も何か教えろよ。欲しいものはあるのか?」
「そうだね……私も、カレーパンかな」
「何だよ、俺と同じじゃんか」
「同じだね」
夏帆は微笑んだ。珍しい。いつもしかめっ面なのに。明日は槍でも降るんじゃないか?
「焼きそばパンやあんパンもいいな」
「あー、うまいよな。でも、ここの購買、こしあんが売ってないからなー」
「こしあん? あんなの邪道よ。つぶあんが一番」
「何だと? 世間じゃ、こしあん派が圧倒的多数なんだぞ!」
夏帆は、チ、チ、チ、と人差し指を振る。
「騙されたようだね。それはフェイクニュースさ。真の勝者はつぶあん。来るべき最終決戦に備えて、力を蓄えているのだよ」
「何じゃそりゃ。こしあんに勝てるわけないだろ」
「いーえ、つぶあんよ」
つぶあんvsこしあんの話をしているうちに、学校が見えてきた。早く着きすぎたのか、僕らの他に人はいない。生徒指導の先生もいない。
「ねえ」
夏帆が足を止めた。
「誕生日、本当に欲しいものは無いの?」
「うーん、ないなあ。思いがこもってるものなら、何でもいいよ」
「……そう。分かった」
夏帆は夢子を抱き抱え、背を撫でる。夢子はふすふすと鼻を鳴らし、鳴き声をあげる。
「さて、私はそろそろ行くわね」
夏帆は正門に背を向ける。
「おい、どこへ行くんだ? 学校は?」
「後で行く。それじゃあ、またね」
その瞬間、夏帆の姿が消えた。
「夏帆?」
名前を呼んでも、返事はない。
その時、強い光が目の前いっぱいに広がる。
「起きなさい! 遅刻するわよ!」
え? あれ?
見慣れた天井。窓から降りそそぐ朝日。
そうか、朝か……。
ベッドから起きあがろうとし、寒さにブルリと震え、布団をかぶる。すると、母さんに布団をひっぺ剥がされた。
「こら、早く起きなさい! 遅刻したいの?」
できることなら、春になるまで布団の中で冬眠したい。でも、そんなことを言ったら、母さんが怒り狂うに決まっている。
「……うー、おはよ」
渋々布団を出る。寒い洗面所で歯を磨く。
それにしても……何か、夢を見た気がする。何だったんだろう? 全然思いだせない。
でもまあ、いっか。夢だし。どうでもいいっちゃどうでもいい。
早く学校へ行こう。
数日後。
いつものように家を出る。あまりの寒さにブルブル震えていると、スマホがピロン、と音を立てた。メッセージが届いていた。
『今日はヒマ?』
思わず顔がにやける。うん、ヒマだよ……と。
「ねえ」
声をかけられた。顔をあげる。
曲がり角に、夏帆が立っていた。白いコートとマフラーという格好。白い息をはきながら、仏頂面でこちらを見ている。
「スマホ歩きは危ないよ」
「あ、ああ」
スマホをポケットにしまう。それにしても、夏帆から話しかけてくるなんて、珍しいこともあるもんだ。
二人並んで、通学路を歩く。こんなの、小学生以来だ。
「そういえば、今日誕生日だね」
「ああ、覚えててくれたんだ」
「幼馴染だからね。はい、プレゼント」
夏帆はカバンから、真っ白な包みを取りだし早速袋を開ける。
「……消しゴム?」
「この前、失くしたんでしょう?」
「何で知ってるんだ? てか、もう新しいの買ったよ」
「予備よ、予備。また失くした時のために、ロッカーに入れときなさい」
「は、はあ」
僕は包みをかばんにしまった。
「それと、もう一つ、プレゼントがあるんだけど」
「え? まだあるのか?」
「消しゴムだけじゃ、味気ないでしょ。もう一つはね、昼食よ」
「ちゅうしょく?」
夏帆は頷く。
「昼食、奢るよ。何が食べたい? カレーパンなんかどう?」
「ああー」
万年金欠の俺にはとても嬉しいプレゼントだ。でも……。
「ごめん! 今日は無理なんだ。彼女と食べる約束をしてるから」
「彼女?」
「そうそう。昼練のない日は、彼女と一緒にご飯を食べてるんだ」
さっきも、彼女から『今日はヒマ?』とメッセージが来た。僕も彼女も部活が忙しいから、二人とも昼練がない時にしか、一緒に昼ごはんが食べられない。とても貴重な時間だ。
へえ、と夏帆は頷く。
「知らなかった。彼女がいたんだね」
「冬休み前から付き合いだしたばかりだし、あまり周りには言ってないからな。夏帆も言いふらさないでくれよ?」
「分かった……あ」
急に立ち止まる夏帆。
「どうした?」
「家に忘れ物しちゃった。ちょっと帰る」
「今から帰ったら、間に合わなくなるぞ。教科書だったら貸そうか?」
「体操服だから無理よ。それじゃあ」
夏帆は踵を返し、去っていった。
「気をつけろよ!」
僕は手を振った後、学校へ向かう。スマホがまた音を鳴らした。彼女からのメッセージだ。
「おっしゃ!」
思わず声が出る。今日は向こうも昼練が無いらしい。ラッキーだ。
さあ、今日は何を食べようかな。カレーパンを半分こするのもいいかもしれない……。
曲がり角のところまで来て、私は振り返った。当然、彼の姿はなかった。彼も、他の人間も、人っ子ひとりいない。今、ここにいるのは、私だけだ。
「あーあ」
塀にもたれかかる。この塀の家は、庭に大きなバラの木を植えている。春になるとたくさんのバラが咲き、道路からでもよく見える。だけど、今は冬。枯れ枝しか見えない。
「……フられちゃった」
地面に落ちた、私の影から、にゅうっと夢子が姿を現した。テチテチと歩いて、私に抱きつく。
「またついて来たんだね。まったく、寂しがり屋さんだね」
ぽたぽたと、涙がこぼれ落ち、夢子の顔を濡らした。
夢子は、不思議な生き物だ。他人の影や夢の中に入る力がある。私はその力を借りて、一週間前、初めて彼の夢の中に入った。
目的はもちろん、誕生日プレゼントのリサーチ。欲しいものを渡して、これを気に、幼馴染以上の仲になろうと思っていた。でも、プレゼントのリサーチはしても、彼女の有無のリサーチはしてなかった。完全に抜けていた。
「……もっと早く、告白しとけば良かったなあ」
小、中、高。チャンスはいくらでもあった。でも、中々勇気が出ず、やっと一歩踏みだしたのが、ついこの前。でも、もう遅かった。
「これが夢だったらいいのに」
夢子は、残念だけど……という風に首を振る。
「そうだね、無理だね」
夢子を撫でながら、憎らしいほど晴れた、ぼやけた青空を見あげる。
今頃、学校では予鈴が鳴ってる頃だろう。