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 手に取った割り箸の先端が赤く塗られているのを見た瞬間、野崎マミは絶望した。
「はい、学年曲は野崎さんに決まりました」
 担任の無慈悲な声が教室に響く。パチパチと、拍手が鳴る。
 クラスメイト達の視線が全身に突き刺さるのを、彼女は感じた。顔がカッと熱くなり、慌てて下を向く。
(どうしよう、どうしよう。私、音痴なのに)
 歌唱コンクールの学年代表が、マミに決まってしまった。
(ウソウソウソ、嫌だ、それだけは)
 マミの胸の中で、ぐるぐると声にならない悲鳴がまわる。
「野崎さんは、今日の放課後に音楽室へ行ってください。説明会があります」
 担任がマミの机に楽譜を置く。
「では、次です。コンクールの──」
 顔面蒼白になるマミをよそに、学級会は進む。やがて、チャイムが鳴った。これから放課後だ。
 マミはリュックサックを背負うと、誰とも話さずに教室を出た。授業から解放された生徒達で廊下が活気づく中、彼女はトボトボと階段を上る。
(どうしよう。本当にどうしよう……歌いたくない……)
 マミは音痴だ。幼い頃からよく分かっているし、周囲も知っていた。小学校の音楽の授業で合唱している時、周りの子に散々、「マミって音痴だねえ」と揶揄われた。
 マミは歌わないと決めた。親に頼んでピアノ教室に通わせてもらい、ピアノの弾き方を覚えた。合唱のほとんどをピアノ奏者で回避した。常に「私って音痴だから」と予防線を張り、周囲の笑いを誘うことで自分自身を守ってきた。生まれてこのかた十七年、そうしてきた。
 だが、今年は上手くいかなかった。
 学年曲があるからだ。
 学年曲とは、高校で毎年十二月に開催される歌唱コンクールの中で、学年代表としてステージ上で歌う曲のことだ。今年は二人必要で、一人はすぐ決まった。しかしもう一人が中々決まらなかった。誰もやりたがらなかったのである。
 結局、苛立った教員達が割り箸でくじ引きを作り、それを各クラスに配った。学級会で赤い貧乏くじを引いたのが、マミだった。
 こうして、マミは二年生の代表として、ステージに立つことが決まってしまった。
(なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ……)
 頭を抱えるマミ。
(ズル休みしたいけど、そんなことしたら先生に怒られるし。ああ、やだなあ……こういう時こそ病気にかかれたらいいのに)
 階段を上りきったマミは、最上階にある音楽室へノロノロと歩いた。音楽室は廊下の突き当たりにあり、そこには他と違う、両開きの重たいドアがある。
 その向こうから、歌声が聞こえてくる。
 男性の声だ。ネットの「歌ってみた」とは違う、音楽の教科書のCDに入ってそうな歌声である。歌詞は英語で、歌の意味はさっぱり分からない。ただ、とても上手だ。
(誰だろう? 音楽の先生?)
 マミはドアを少し開け、中の様子を伺った。
 男子生徒だ。一人きりで歌っている。誰が歌っているのか確かめようと前に出たその時、彼がマミの方を向いた。
「何?」
 警戒した顔でマミを見る。
「が、学年曲の練習に来たの」
「ふーん」
 彼は興味なさげな返事をすると、もう歌わずに、窓際の席に座った。マミはそろそろと音楽室に入ると、廊下側の席に座る。
(この人、知ってる。藤本カイくんだ。親が有名人なんだよね)
 彼の両親は『F & R』という二人組のバンドで、公開された曲は全部、百万回以上再生されている。昨日、マミは家のテレビから彼らの最新曲が流れてくるのを聞いた。
(さすがアーティストの息子。歌がすごく上手い。ここにいるってことは、学年曲を歌うんだよね。もう一人は藤本くんだったんだ)
 マミは藤本を観察する。崩さずに着た制服に、細いフレームのメガネ。生真面目な性格に思える。
 藤本がマミの方をチラリと見た。マミは慌てて彼から目を逸らし、楽譜を読んでいるフリをする。
 その時、楽譜に書かれた作曲者名が飛び込んできた。そこには『F & R』と書かれている。
(え? 藤本くんの親が作った歌なの? それが学年曲なの?)
 マミはスマートフォンで、この曲を検索した。曲の解説記事を読む。これは、藤本の両親が結婚式の時に夫婦二人で歌ったラブソングのようだ。
 つまりマミは、夫婦が作ったラブソングを、その息子と一緒に全校生徒の前で歌うのだ。
 歌に興味が全くないマミと違い、他の生徒達はこのことを知っていたのだろう。どうりで、誰もやりたがらないわけだ。
(絶対に嫌だ)
 感じたことのない嫌悪感が胸の底から湧きあがる。
(……でも、今更どうしようもない。決まってしまったんだから)
 目の前が真っ暗になる。絶望でしかない。
 やがて、一年生と三年生の学年曲担当の生徒、そして更に遅れて音楽教師の佐々木が来た。佐々木が練習場所や時間等について、色々と説明をしているが、マミの頭には入ってこない。みんなの前で一生残る恥をかかされることが確定している。もうどうでもいい。
「──説明は以上だ。何か質問がある人はいるか? なければ、解散。各々好きに練習してくれ」
 そう言って、佐々木は去った。他の生徒も音楽室を出ていく。音楽室で、マミは藤本と二人きりになった。
 藤本がマミに近づいてきた。マミは何とか笑みを浮かべる。
「藤本くん、私は野崎マミ。よろしくね」
「よろしく。じゃあ早速練習を始めよう」
 藤本はニコリともせずに、淡々とそう言った。
「え?」
「早く練習をして、とっとと終わらせよう。まずは最初の四小節から」
 藤本は、スマートフォンから伴奏を流し、歌いはじめた。
 マミは彼に合わせて、蚊の鳴くような声で歌った。背中を冷や汗が伝う。ヤバいどうしよう、という焦りの言葉で頭の中がいっぱいだ。
「野崎さん、大丈夫? 顔色が悪いよ」
 藤本が伴奏を止め、マミに尋ねた。マミは大丈夫と言おうとしたが、声が出ない。
(もう駄目だ。ちゃんと話した方がいい。藤本くんは真面目そうだし、笑ったりしない……きっと)
 マミは両手で拳を作り、ぎゅっと力を込めた。そして、彼の目を見た。
「ごめんなさい。私、音痴なんだ」
 小学校の頃から今まで、いかに自分が下手くそだったか、どうやって歌を回避してきたかを、マミはポツポツと話した。
 話を聞いた藤本は真顔で、「そうか」と頷いた。
「音痴でも問題ない。こういうのは、上手い下手は関係ない」
「それは君だからそう言えるんだよ。私は本当に下手なの。せめて、全校生徒の前で恥をかかない程度に上手くなれたら……」
「今は十月の頭だ。コンクールまでまだ二ヶ月ある。これから練習を頑張ればいい」
「上手くなれないよ」
「いや、なれる。必要なら、俺が教えるよ」
 マミはえっと顔を上げた。
「本当に? 教えてくれるの?」
「ああ。自己流のやり方になるから、正しい教え方じゃないかもしれないけど。でもきっと上手くなれる。じゃあ、早速始めよう。まずはこれ」
 藤本はポケットから四角い機械を取りだした。
「それ何?」
「レコーダー。最初に、自分の歌をちゃんと聞こう」
 マミは歌った。歌い終えると、藤本はその録音を再生した。
 流れてきた自分の声を聞いた瞬間、マミは苦虫を噛み潰したような顔になった。これは聞く毒薬だ。
「声の高さが高すぎたり低すぎたり、安定していないのが問題点だ。さて、現状を確認したところで、次はこれだ」
 次に藤本がポケットから取りだしたのはスマートフォンだ。彼が操作すると、ピアノの音が流れた。音楽ではなく、一つだけの単純な音だ。ドー、レー、ミー、と高くなっていく。
「まずは音に合わせて声を出そう。録音もするぞ。さん、はい」
 音が鳴る。マミはアー、アー、と声を出した。低いドから高いドまで発声が終わると、彼は録音を停止した。そして再生する。
「全く上手くなる気がしないんだけど」
「続けたら良くなる。さあやろう」
 その後、藤本は冷静に淡々と、マミの声のどこが問題か、あるいは何が改善したかをマミに伝えた。そして事細かな指示をマミに出した。マミは四苦八苦しながら彼の指示に応えた。
 下校時刻を知らせるチャイムが鳴る頃、マミは最初の録音と最後の録音を聞き比べてみた。
「少しマシになった、かな?」
 藤本は頷く。
「野崎さんは自分で思ってるほど下手じゃない。この調子で練習を続けていけば、きっと上手くなる。明日も頑張ろう」
 歌の練習が始まった。放課後、マミは音楽室で藤本から歌を習う。ピアノの音や、メトロノームというリズムを刻む道具に合わせて声を出した。
 練習を始めてから一週間後。マミが藤本と一緒に、伴奏に合わせて歌っていると、佐々木が入ってきた。
「二人とも、頑張ってるね! 廊下まで聞こえてきたよ。素晴らしいハーモニーだ! いやあ、コンクールが楽しみだよ」
 マミは愛想笑いをする。
「本当にワクワクする。藤本くんに学年曲をお願いして良かったよ。我々教員も、コンクールを例年以上に盛りあげるからな。藤本くん、これをご両親に渡してくれ。コンクールのパンフレットだ。よろしく伝えてくれ」
 佐々木は藤本にパンフレットを渡すと、軽い足取りで音楽室を出ていった。
「藤本くん、先生が『お願いした』って言ってたけど、どういうこと? なんとなく、自分から立候補したものだと思ってた」
「今年は創立五十周年らしくて、だから学校は俺の両親を呼んだんだ。実際に来ることになって、先生達は大盛り上がりでね。息子の俺も是非歌ってくれと言われた。押しが強くて、断れなかった」
 マミは絶句した。まだくじ引きで決められただけ、自分は恵まれた立場だった。
 藤本は優しく微笑む。
「大丈夫だ。こういうのは慣れてる。今までも何度もあったから」
 彼の声は砂漠の風のように乾ききっている。
「適当に歌って、さっさと終わらせたらいいんだ。野崎さんも、何も気にしなくていいよ」
 マミは何と声をかけたらいいのか分からない。
「ほら、練習しよう。佐々木先生も『素晴らしいハーモニーだ』って褒めてくれたんだ。上達してるよ」
「お世辞だよ、あんなの」
「お世辞じゃない。君の努力の成果だ」
 大真面目な顔でそう言う藤本。本心からの言葉だと、マミは直感で分かった。
「ありがとう。練習、頑張るね」
 マミは藤本と練習を続けた。やがて、マミも少しずつ歌い方が分かってきた。このまま練習を続ければ、それなりに上手に歌えるだろう。そう思っていた。
 しかし、その小さな自信は、十一月になってステージ練習が始まった瞬間、粉々に砕かれた。
 体育館のステージでの練習で、藤本とマミが学年曲を歌っていると、ステージの下で待機している生徒達──コンクールの他の部門に出る生徒や、吹奏楽部や軽音部の部員──が、マミ達の方を見つめるのだ。
 彼らの視線を全身に浴びた瞬間、聞こえないはずの嘲笑の声が耳の奥で聞こえる。みんなが、マミを音痴だと揶揄っているように見える。
 頭ではよく分かっている。別に彼らはそんなことを思っていない。ただ暇だからこちらを見ているだけなのだ、と。
(大丈夫。ちゃんと歌わないと)
 マミは歌おうとする。しかし、喉がこわばり、息ができない。声がまともに出ない。
 そして、伴奏が終わると、ステージの下にいる佐々木に、「声が出てないぞー」と指導される。佐々木は別に、マミにだけ指導しているのではない。ステージで練習する他の生徒にもアレコレ言ってまわっている。しかし、「お前は音痴で下手くそだ」と罵られているように聞こえてしまう。
「最近、元気ないよ? 大丈夫?」
 時々、クラスメイトが声をかけてくれる。マミは「平気」と返事する。気遣いをありがたいと思う反面、重たく感じる。そして、
(本当は笑ってるんじゃないのか?)
 と、不信感を抱いてしまう。そのことをまた、後ろめたく思う。
 胃がキリキリと痛む中、マミは必死で練習する。
「もうやめよう」
 本番まで、あと二週間になった日のこと。ステージ練習が始まる前の待機時間に、藤本がきっぱりとそう言った。
「え?」
「野崎さん、君が本当に辛そうだ。やめよう」
「で、でも」
「こんな行事、参加する義務はない。当日、体調が急に悪くなったとか言って、抜けだせばいい」
 そう言うと、藤本は肩にかけたトートバッグから飴玉の袋を取りだし、飴をマミに差し出した。マミはそれを受け取り、口に入れる。余ったるい味が、喉を癒してくれる。
 藤本も飴を口に入れた。バリバリと噛み砕く音が聞こえてくる。
(藤本くんの言う通りだ。私には、ステージの上で歌うのは無理だ)
 マミは頭を下げる。
「ごめんね。迷惑ばかりかけて」
「別に。真面目にやってられるか、こんなの」
 彼はそう言って、また一つ飴を口に放り込んだ。
「藤本くんは毎日ちゃんと練習してるよね。真面目だよ。すごいよ」
「同級生にネットで何か拡散されたらまずいからな。炎上しない程度にやってる」
「う、うわあ……本当に、大変なんだね。でも、それならなおさら、私も上手く歌わないと」
「大丈夫。みんなが注目するのは、親と親の息子だ。野崎さんが無理することなんか、一つもない」
 彼は飴玉の袋を逆さにして振った。しかし、飴玉は出てこなかった。袋を丸めてカバンに捩じ込むと、むすっと足元を睨む。
「そもそも歌なんてのは、好きな歌を好きなように歌って、楽しんでなんぼのものだ。苦しんでまでやる必要ない」
 マミは藤本の顔をじっと見つめる。
「でも、藤本くんは楽しそうに歌ってないよね? しんどくないの?」
 藤本がマミに教えている時、彼は淡々としているものの、表情の変化がある。しかし彼自身が歌う時は常に無表情だ。
「別に。俺にとって、歌は宿題のようなものだ。歌えと言われるから歌う。歌わないと面倒なことになるから、相手の望む歌を歌う。それだけだ。楽しいとかしんどいとか、どうでもいい」
「そんな……好きな歌とかないの?」
「ない」
「最初に会った時、音楽室で歌ってたのは? 誰もいないのに歌ってたあの歌は何なの?」
 藤本は虚をつかれたようだった。「あれは、その……」とモゴモゴと喋る。
「藤本くんは真面目だよ。周りの期待にちゃんと応えてるんだから」
 マミはカバンからおやつのクッキーを出して、藤本に渡した。
「でも、藤本くんも、コンクールに参加する義務なんかないよ。滅茶苦茶になればいいんだよ、こんな行事なんか」
 藤本はクッキーを食べずに見つめながら、考えこんでいる。
「おーい、ステージ空いたぞ。次は君達の練習時間だ」
 佐々木が舞台袖にやってくる。二人は慌ててお菓子を飲みこんだ。
「今日は体調が悪いので、練習を休んで帰ります」
 藤本がそう言うと、佐々木は驚愕した。
「大丈夫かい? 咳は? 熱は? 近くに細田先生がいるから、呼んでくるよ」
「いえ、そこまでしてもらわなくても──」
 マミが言いおえる前に、佐々木は養護教諭の細田を呼んだ。細田はすぐにやってきた。
「どうしたの? 気分が悪いと聞いたけど」
「あ、はい。なので練習を切りあげて帰ります」
「それが良いわね。毎日練習しているんでしょう? 疲れがたまってるかもしれないわ」
 誰のせいで毎日練習する羽目になったんだ、とマミは心の中で呟いた。
「細田先生のおっしゃるとおりだな。今日はゆっくり休んだらいい。風呂に入ったり、好きな歌を歌うのはどうだ? 楽しいことをすれば、ストレス発散になるぞ」
 藤本の作り笑顔が強張る瞬間を、マミは見た。
「そうですね。では、そろそろ失礼します」
「おう! 元気になったら、また歌を聞かせてくれよ!」
 佐々木に見送られながら、二人は体育館を出た。藤本は無言で黙々と歩く。足がいつもより速い。
 廊下を曲がったところで、藤本は足を止めた。そしてマミの方へ振り返った。
「よし。コンクール、滅茶苦茶にするか」
「するの?」
「野崎さんに言われて、急にあいつらがうざったく見えてきた。お望み通り、好きな歌を歌ってやる。それに」
「それに?」
「実を言うと、俺は今まで全力で歌ったことがない。他人に言われたから歌う、それだけだった。一度くらい、好きな歌を全力で歌ってみたい」
 藤本はそう言うと、ニヤリと笑った。マミも、つられて笑顔になる。
「いいね。一緒にやろうよ」


 十二月最初の土曜日。合唱コンクールの日だ。
 高校の周りには車がずらりと並んでいる。警官が無断駐車の切符を切るのを尻目に、マミは登校した。
 コンクールは予定通り、九時から始まった。まずは女声部門や男声部門などの他の部門からだ。それが終わると、次は音楽系の部活動の演奏が始まる。そして、二十分の休憩時間を挟んで、ようやく学年曲を歌う時間になる。
 まずは一年生のペアが歌う。とても上手だ。難なく歌いおわり、とうとう二年生であるマミ達の出番がやってきた。
 藤本が、目で「大丈夫か」と尋ねる。マミは頷く。二人で、暗い舞台袖から明るいステージへ出る。
 客席は満員だ。全校生徒、教職員、保護者。どこから持ってきたのか、ライブ会場でしか見たことがないような巨大なスピーカーがあちこちに鎮座している。
「二年生、野崎マミと藤本カイです」
 司会が言うと、客席が静かになる。無数の目がマミ達を見ている。
 マミは全速力でステージの端にあるグランドピアノの席へ走った。素早く椅子に座り、高さを調節する。準備ができると、ペダルを踏みこみ、弾きはじめた。
 ざわつく観客を無視し、藤本はマイクスタンドの前で歌いだした。
「Enough with the singing already, you idiot」
 罵倒語まみれの歌詞を、藤本は真面目くさった顔で、しかし微かに目を細めて笑いながら高らかに歌い上げる。歌詞の意味さえ分からなければ、世にも美しい天使の歌に聞こえる。
 マミも二週間の猛練習の成果を発揮する。伴奏はとても簡単なものだ。しかしそれでも、歌声を支えるには十分である。
 手を動かしながら、マミは観客席の様子を伺う。
 観客は、ポカンと口を開けて前を見ている。笑うでも隣とヒソヒソ話すでもない。ただ呆然としている。だが、その顔は次第にうっとりと、何かに酔うような表情に変わっていく。藤本の歌声に魅了されていく。
 終盤になるにつれ、歌はより壮麗に、そして過激かつ下品になっていく。最後に儚げなピアノの音色を残して終わった。
 観客席から、盛大な拍手が鳴り響いた。
 熱狂する観客に見送られながら、二人はステージから降りた。


「先生、カンカンだったね」
 放課後。マミと藤本は学校の外の大通りを歩いていた。
「あんな取調室のような小部屋で、大勢の人間から一度に怒られることってあるんだな」
「だね。でも」
 マミはぐぐっと背伸びをする。
「どうでもいいや。もう学年曲の練習をしなくていいんだから」
「そうだな。歌は趣味でやるに限る」
 藤本のポケットから、スマートフォンの通知音がした。
「親父からだ。一言、『最高だ!』って」
 二人は顔を見合わせた。そしてケラケラと笑いあう。
「ねえ、カラオケに行こうよ。打ち上げしようよ、打ち上げ」
 マミの提案に、藤本はフフッと笑った。
「駅前のカラオケでいいか?」
「いいよ!」
 雪がちらつく中、二人は駅前のカラオケ店へ向かった。
 そして、喉が潰れるまで歌いまくった。

(完)

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