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 昔々ある所に、絵画をこよなく愛する王がいた。王は国中から絵を集めては、自分が気に入ったものを城の大広間に飾った。その大広間は床にも壁にも天井にも装飾は一切無かった。白い壁にただ絵が並べられている、絵のための広間だった。

 王は城の家来や客によく絵を見せた。王の絵を見る目は確かで、家来や客は大広間に入るたび、ほう、とため息をついて絵に目を奪われるのだった。

 ある時、王は家来から一枚の絵の噂を聞いた。

「若くして亡くなった絵描きの遺作が、大変話題になっています。一度見たら目を離せなくなるとか」

「ほう。ならお主、その絵を買って参れ」

 数日後、一枚の絵が白いサテンの布に包まれ、城に届けられた。王は大勢の家来を大広間に呼び、彼らの前で布をとった。

 全員、はっと息を飲んだ。

 人の顔、そのうちの右目とその周りが書かれている。

 長いまつ毛に縁取られた、アーモンド型の目。その虹彩の色は焦げ茶だが、その奥に紫の火花が散っている。眉は————何に怒っているのだろうか? 目頭へ向かって真っ直ぐ、大きく下がっている。

 目にかかる髪は美しい金色。肌は陶磁のように滑らかで、銀の耳環が輝いている。目とその周りしか描かれていないが、端正な顔立ちだと見てとれる。それだけに、強い意志を孕んだ目が浮き彫りになる。

「これは……素晴らしい」

 家来の一人が、ぽつりと言葉を漏らす。その瞬間、堰を切ったかのように皆が感想を言いだした。

「陛下のお顔とよく似ていらっしゃる! 陛下の肖像画でしょうか?」

「そんなまさか! これは怒りの絵です。作者の怒りがこめられています」

「いえいえ、これは一見怒りの表情に見えますが、実は————」

「この紫の火花は第一写実派の画家の————」

 感想は考察に変化し、議論に発展した。偉い大臣から下っ端の兵士まで、皆顔を真っ赤にして激論を交わしだした。

 しかし、ただ一人、その合戦に加わっていないものがいた。そう、王であった。王は微動だにせず————瞬きすらもせず、絵をじっと見つめていた。

「ですから、その感想は間違っています! そう思われませんか、陛下?」

 家来の一人が勢いあまって王に同意を求めた。その時初めて、家来達は王の異変に気づいた。

「あの、陛下? どうされましたか?」

 一番近くにいた家来が恐る恐る声をかけた。

「……燃やせ」

「えっと、何とおっしゃいました?」

「燃やせ!」

 怒鳴り声が皆の耳朶を打った。そして、大広間は静まり返った。

 王の顔色は真っ青だった。手足はわなわなと震えていた。

「この絵を今すぐ燃やせ! これは不吉だ……とても不吉な絵だ……早く燃やせ! 燃やせ燃やせ!」

 王はそう叫ぶと、呆気にとられた家来を残し、大広間の外へ走っていった。ガウンの裾を何度も踏みながらも、王は足を止めなかった。悲鳴をあげながら、最上階の自室に駆けこんだ。そして、ベッドで毛布を頭から被って丸くなった。

「何故、何故今になって、あんな絵が……」

 王の脳裏に浮かぶのは、ある少年の姿だった。金髪、焦げ茶色の目、透き通るような肌。美しい彼は、王がまだ王ではなかった、幼い頃の遊び相手だった。変装で入れ替わっていたずらをしたり、庭の噴水で水遊びをしたり、宝物庫に忍びこむという大胆なことまでやってのけたものだった。お互いにかけがえの無い親友だった。

 しかし、ある日のこと。彼は友と大喧嘩した。何が原因だったかもう覚えていないが、その時の彼は友が憎くてたまらなかった。だから、荷物を持って階段を降りる友を見つけた時、彼は背後からそろそろと近づき、大声をだした。「わあ!」と。

 友はたいそう驚いた。階段を踏み外し、大きな音を立てて床に転げ落ちた。そしてそのまま動かなくなった。いくら呼びかけても肩を揺すっても、返事はなかった。彼は部屋へ逃げた。

 しばらくすると、家来が大勢やってきて、友が階段から転落死したことを彼に告げた。彼は真相を話さなかった。

(ちょっと怪我をさせようと思っただけだ。殺そうとしたんじゃない。僕のせいじゃない、僕のせいじゃ……死んだあいつが悪いんだ……)

 そう自分に言い聞かせ、ただただ震えていた。はたから見れば、それは親友の死を痛む姿に見えただろう。友の死はただの不幸な事故として処理された。

 あれから何十年も経った。彼は王となった。亡骸を運んだ家来はもうおらず、真相を知るのは王一人だった。一人のはずだった。

「一刻も早く、あの絵を処分しなければ……」

 王はゆっくりとベッドから這い出た。そして、部屋の外にいる家来に、改めて絵を燃やすよう命令した。

 しかし、家来は「申し訳にくいのですが」と言った。

「今は酷い雨でして、燃やすことができませんでした。それから、あの絵を買い取りたいと申しでている者が何人かおられるのですが」

 買い取るなんてとんでもない! すぐに処分せよ! と王は怒鳴ろうとした。しかし、すんでのところで理性が声をあげた。

(待て……誰もあれがあいつの絵だと知らない。言わなければ、絶対に誰にも分からない……)

 冷静を取り戻した王は、静かに言った。

「金はいらん。とっとともっていけ」

 絵に心酔した家来達は大広間に集まった。その数、百を超えていた。王が部屋にこもっている間に、もっと多くの家来達が絵を見にきていたのだった。皆、自身が絵に対してどれほど深い愛と理解があるのかを言い合った。言い合いは口喧嘩になり、最終的に乱闘騒ぎになった。

 次の日、王は家来に絵はどうなったか尋ねた。

「絵の所有権を巡って争いが起き、全員が大怪我を負いました。仕方がないのでまだ大広間に飾ってあります」

 王は家来の首根っこを掴んだ。

「どうしてすぐ処分しないんだ!」

「で、で、ですから先ほど申し上げた通りでございます。所有者がまだ決まっていないのです。陛下こそ、どうしてそこまであの絵を処分しようとなさるのですか? とても良い絵だと思うのですが」

「昔死んだ人間の顔そっくりなんだ! あいつに! 階段から落ちた!」

 王は叫んだ。秘密を隠すことなど頭から消え去っていた。

「あ、ああ……陛下の昔のご友人ですね。噂で聞いたことがあります。ですが、私が聞いた話だと、ご友人は赤毛でしたが」

「馬鹿なことを言うな!」

 王は家来を床に叩きつけた。

「もういい! 私が切り刻んでやる!」

 王は壁にかけられた王家の剣を取り、大広間へ走った。家来達は、抜き身の剣を持つ王を見て仰天し逃げ去った。王の目は血走り、口は歪み、さながら悪鬼の形相だった。

 大広間の前にやって来た王は剣を構えながらゆっくりと扉に近づいた。汗ばんだ手でノブを掴んだ。

 その時、王は視線を感じ、振り返った。

 柱と柱の陰に、彼がいた。

 生きていた頃と全く同じ姿格好で立っていた。違うのは表情だった。憤怒の火花を散らした目で、じいっと王を見ていた。

 王は雄叫びをあげて彼に斬りかかった。しかし、剣の切っ先が届くその瞬間、彼はふっと消えた。そして、また別の場所から視線を感じた。顔を向けると、また離れたところから彼が見ていた。

 斬ろうとしては逃げられ、また追いかけて斬ろうとする。何度も何度も同じことを繰り返し、とうとう廊下の突き当たりまで来てしまった。

「逃げ場はないぞ……消えろ!」

 王は剣を大きく振りかぶった。剣は彼の首を刎ねた。彼の首は宙を舞い、黒い靄となって消えた。胴は灰のように崩れ落ちた。

(やった、やった! これでもう安心だ!)

 王は満面の笑みを浮かべた。

 同時に、王の身体は前に倒れた。

 廊下の突き当たり、そこは階段だった。剣を振った勢いで、王の身体は前に大きく飛び出してしまっていた。

 王はそのまま階段を転がり落ちた。そして、動かなくなった。

 やがて、様子を見に恐る恐るやって来た家来達が、血だまりに沈んだ王を発見した。家来達は慌てて駆け寄った。その時、彼らは奇妙な物を発見した。

 王から少し離れた所に、金色の塊が落ちていた。拾いあげると、それはよくできた金髪のカツラであった。

 家来達は王の頭を見た。彼の地毛は赤毛であった。

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