巨大隕石の衝突により、地球は滅亡する。
一年前、NASAが発表したニュースだ。当然世界中で大パニックが起こった。発表を信じない人、絶望してヤケを起こす人。全て滅びることを喜ぶ人。隕石の破壊を試みる人。宇宙へ脱出しようとする人。しかし、隕石の破壊は今の科学技術では不可能であり、また宇宙へ逃げても死ぬ時間が少し遅れるだけだということが分かると、彼らはそうそうに諦めた。結局、人類は滅亡を受け入れ、その日まで思い思いの人生を過ごすことにした。
そして発表から一年経った今日。隕石が地球に落ちてくる日。私は、学校の中庭にあるベンチに座っている。
中庭といっても、白いコンクリートの校舎に四方を囲まれた、日当たりの悪い小さな空間だ。あるのはひょろひょろとした、元気のない木とそれをぐるりと囲む円形のベンチ。ベンチから見あげる空はどんよりと曇っている。
聞くところによれば、ほとんどの人は最後を家族と過ごすらしい。でも、私に家族はいない。お父さんもお母さんも、悔いのない人生を生きるために、私を捨ててそれぞれの大切な人とどこか遠くへ行ってしまった。
「サツキちゃん!」
聞き慣れた声で名前を呼ばれ、私は振り返った。割れたガラスのドアから、親友のリサがやってくる。
「リサちゃん、来てくれてありがとう。でも最後の日まで制服なんだね」
「そういうサツキちゃんも制服じゃん」
「まあね」
リサは私の隣に座った。私と同じように空を見上げる。
「よくここでご飯食べたよね。何が一番美味しかった?」
「カレーパン」
私は即答する。リサもこくこく頷いた。
「あれは学食の食べ物の中で数少ない美味しいパンだったよね」
「最後にもう一度食べたかったよ」
「パン屋、閉店してしまったもんね」
「パン屋だけじゃない。色んな店がなくなったよ」
私は学校の近くにあるアーケード商店街を思い出した。窓ガラスは割れ、シャッターはこじ開けられ、中の物は全て持ち出されていた。痩せた犬が一匹、電柱の下で眠っていた。
「終末の日が発表されてからさ、なんだか暇になったよねー」
空を見あげたまま、リサは話を続ける。
「お店がないから遊ぶところなくなったし、テレビつけてもネット見ても、楽しい話はないし。学校だけは一ヶ月前までやってたけど、閉校メールが突然送られてくるし。来て見たら本当に先生いないし」
私は相槌を打つ。
「全てがなくなるまであっという間だったね。でも、リサちゃんがいてくれてよかったよ。リサちゃんがいなかったら、私、ひとりぼっちだった。この一年、楽しかった」
「私もサツキちゃんと一緒にご飯を食べたり話せたりして、すごく楽しかったよ。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
それからしばらくの間、私達は無言で空を見上げる。耳が痛くなるほどの静けさが、中庭を支配する。
できることならいつまでもこの静けさに浸っていたい。でもそれが無理なのは分かっている。
「ねえ、リサちゃん。今日ね、メールで呼び出したのは、訊きたいことがあるからなんだ」
私は空からリサへ視線を向けた。
「リサちゃん。生まれ変わったら、何になりたい?」
「生まれ変わるって……もうすぐ地球なくなるじゃん」
「そうだけど。ちょっと考えてよ」
「うーん、そうだなあ」
リサは目を閉じて考えていたが、やがて私の方を向いた。
「やっぱり人間かな。またサツキちゃんと友達になって、ここでご飯を食べたい」
「ありがとう。実はね、私も同じなんだ。ここでリサちゃんとお昼を食べたい」
そこで私は一度息を吐き、また吸った。ここからが一番重要だ。
「私、何となく予感がするんだ。遠い遠い未来、また私達は会えるんじゃないかって」
リサは何も言わず、静かに私の顔を見て話を聞いている。安心した。笑われたらどうしようと思っていたんだ。
「地球が滅んだ後か、宇宙が消滅した後か、いつどこでかは分からないけど、きっとどこかで出会えるって、そう思うんだ。馬鹿らしい妄想だって自分でも分かってる。けど、本当の本当にそう感じるんだよ。
それで、お願いなんだけど––––もしまた会えたら、一緒に昼ご飯を食べてくれる?」
「いいよ」
即答だった。
「サツキちゃん、すごい顔してるよ。そんなにびっくりしなくてもいいじゃん。また会えたら、一緒にご飯を食べようね。できたら、カレーパンを」
微笑みを浮かべるリサ。
「ありがとう」
泣きそうになるのを、私は笑顔でごまかす。
外からリサの名前を呼ぶ声が聞こえる。リサはベンチから立ち上がった。
「お父さんが迎えに来たみたい。それじゃあ、私は帰るよ」
「うん。またね」
「またね」
リサはベンチから立ち上がり、入口へ向かった。だけど、割れたガラスのドアの前で立ち止まる。
「そういえばさ、メモリアルって知ってる? 家族とか恋人とか友達とかが、自分達が生きた証を残すために石とかに名前を掘る、アレ。皆やってるらしいよ」
「隕石が落ちたら何もかもめっちゃくちゃになるし、そんなもの残らないよ」
「そうとは限らないでしょ。次に会う時の目印になるかもしれない」
リサは私の妄想に付き合ってくれるつもりなのだ。私はまた笑った。足元に落ちているガラスの破片を手に取る。
「何に名前を掘る?」
「後ろの木はどう?」
私達はベンチを乗り越え、木の根元にしゃがんだ。名前を掘ろうとガラスの破片を根っこに刺す。だけど深く刺さりすぎて抜けなくなってしまった。先に名前を掘り終わったリサも手伝ってくれるけど、破片はビクともしない。
「仕方ない。これでいいや。このガラスの破片が私の名前の代わりってことで」
もう一度リサの名前を呼ぶ声が聞こえた。さっきより距離が近い。
「もう行かなきゃ。それじゃあ、またね」
「うん。またね。ありがとう」
私は手を振って、リサを見送った。
一人になった中庭で、私はまた空を見上げる。雲は高速で東に流れていて、少しずつ晴れてきている。灰色のカーテン越しに、うっすらと巨大な岩が見える。
私は隕石に向かって微笑むと、目を閉じた。
「起きなさい! 遅刻するわよ!」
母親の怒鳴り声で目が覚めた。枕元の時計は七時半を指している。私はのそのそと布団から起き上がった。
随分変な夢を見た。たぶん、寝る前に見た映画のせいだ。
「サツキー! 起きてる?」
「起きてるよ!」
眠気で動かない身体を無理矢理動かし、パジャマから制服に着替える。一階に下りると、お父さんはコーヒー片手に新聞を読み、お母さんはキッチンで洗い物をしている。
「早く食べちゃって。全部洗いたいから」
「はーい」
私はテーブルの席に座り、トーストをかじる。
「お父さん、今日の天気は?」
「曇りだ。夕方から雨らしい。傘を持って行きなさい」
「ありがとう。そうする」
朝食を食べ終わると、学校指定のカバンを肩に背負って家を出る。もちろん折りたたみ傘も忘れない。
人通りの多いアーケードの中を自転車で走り抜けると、私の中学校が見えてきた。白いコンクリートの壁が朝日を反射して、眩しく輝いている。
駐輪場に自転車を止める。早足で玄関へ向かい、下駄箱で上履きに履き替えていると、
「おはよう、サツキちゃん」
私は振り返った。リサが立っていた。
「おはよう、リサちゃん」
私も挨拶を返す。リサは他の友達と一緒に階段を上っていった。
夢の中ではリサは唯一無二の親友だったけど、現実はそうじゃない。顔を合わせたら挨拶をするだけの関係だ。一緒に昼ご飯を食べる仲の良い友達は他にいる。
私は階段を上り、教室に入った。女子はグループで固まって話をしていて、男子は黒板の前で何やら大騒ぎしている。私は自分の席に座り、友達が教室にやってくるのを待った。
だけど、遅刻の時間になっても友達は来ない。やがてホームルームの時間になって、先生が入ってきた。先生が言うには、友達は食あたりを起こして休みなのだそうだ。
困った。今日の昼ごはん、誰と食べよう。
私は心の中で頭を抱えた。
昼休みになった。
誰と食べるかずっと考えていたけど、一緒に食べてくれそうな人は誰もいない。知り合いはたくさんいるけど、みんな他のグループの人達だ。別のグループに飛び込んでご飯を食べる勇気はない。
とりあえず財布を持って教室を出て、一階の購買でカレーパンを買う。これが美味しいのは夢でも現実でも同じだ。
さて、これからどうしようか……。
廊下の真ん中でため息をつく。その時、ふと、ガラスの扉が目に止まった。その向こうには狭い中庭がある。あるのはひょろひょろした木と、それを囲う丸いベンチ。人は誰もいない。
私の身体は自然と動いた。ドアを開け、中庭に入る。ベンチの前に立つ。
落ち着け、私。あれはただの夢だよ。
自分に言い聞かせる。でも、身体は言うことを聞かずにベンチを乗り越え、木の根元にしゃがむ。
根っこに、小さなガラスの破片が刺さっている。その横には不自然な割れ目がある。割れ目は『リサ』と読める。
私は瞬きもせず、それを見つめる。
これは偶然だ。誰かがふざけて木の根っこをガラスの破片で傷つけて、その破片が抜けなくなったまま、ここにあるだけ。夢とは関係ない。万が一、夢の内容が遠い昔にあった本当のことだったとしても、隕石で何もかも全て吹き飛んだはずだ。あの木が残っているはずがない。そう、どう考えたって、これは偶然だ。
「何してるの?」
私は飛び上がった。
「あ、ごめんね。驚かせちゃって」
お弁当を持ったリサが立っていた。私は慌ててベンチから離れる。
「ああ、うん、何でもないよ。大丈夫。どうぞ座って」
「う、うん」
リサはベンチに座り、弁当を包む風呂敷を解く。
「いつもここで食べてるの?」
「うん。でも今日はいつも食べる子が部活の昼練に行っちゃって、一人なんだ」
「……」
全部偶然だ。夢と現実をごっちゃにするな。理性が警告する。でも、私の口は勝手に開く。
「リサちゃん。もし良かったら、一緒に昼ご飯を食べてくれる?」
「いいよ」
即答だった。
「どうしたの? すごい顔してるよ。そんなにびっくりしなくてもいいじゃん。ほら、隣に座って」
私はおずおずとリサの隣に座った。
「あ、ありがとう」
「別に大したことじゃないよ。あ、それもしかしてカレーパン? ちょっと気になってたんだ。美味しいの?」
「うん。半分食べる?」
ふと、あたりが明るくなった。見上げると、雲の切れ間から太陽の光が差しこんでいた。
(完)