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 子どもの頃、育成ゲームが流行った。

 ゲームの名前は……『たまちゃんズ』と呼ばせてもらう。本当の名前は違うが、商標名を出すのは憚れるので、あえてここは、たまちゃんズでいく。

 たまちゃんズは、手のひらサイズの丸いゲーム機だった。小さな白黒のモニターと、もっと小さい二つのボタンがついていた。モニターには『たまちゃん』と呼ばれるキャラクターが映る。このたまちゃんをお世話し、出生から死までの短い一生を観察するというゲームである。

 教室の女の子はみんなたまちゃんズを持っていた。毎日の話題はこのゲームで持ちきりだった。どのたまちゃんが何に成長するとか、お世話の仕方とか、通信でよそのたまちゃんとアイテムを交換する、とか。

 たまちゃんズは小学生女子の必需品で、ステータスだった。首から下げるストラップにたまちゃんズをつけて、ジャラジャラさせるのがおしゃれだった。

 毎分毎秒、たまちゃんの世話だけをしていたかったが、それは無理だった。小学生は学校に行かないといけない。そして、学校はゲーム機の持ち込みが禁止だった。

 さて、学校には、生徒全員に嫌われた教師がいた。本名は本田だったが、誰もそう呼ばなかった。鬼とか悪魔とか言われていた。

 小学校のアルバムの集合写真に、本田先生の姿が写っている。体格は痩せ型で、肌は色白、髪型は特徴のない短髪である。目は狐のように細い。他の教師が微笑んだり、威厳のある表情をしている中、彼はむすっと不機嫌そうにしている。

 私が覚えている限り、本田先生が笑ったり楽しそうにしていたことはない。

彼はいつも、ふざけている児童を、児童が泣いて謝るまで怒鳴りつけていた。一日に一回は、本田先生の怒鳴り声を聞いたものだ。それだけ怒られても次の日にはケロリとして、また悪事をはたらく児童が一番悪いのだが、怒鳴り声を聞かされる、私達クラスメイトはたまったものじゃない。雰囲気は最悪だった。

 噂によれば、本田先生は以前働いていた学校で、児童を殴ったり蹴り飛ばしたり、持ち込んだゲーム機を真っ二つにしたり、ウサギを殺したりしたり、ヤクザと仲良くしていたらしい。流石に、これらは根も葉もない流言だと思う。しかし、それを信じさせるだけの雰囲気と迫力はあった。教えて育てる、ということにおよそ向いていない人物と言えた。私達は彼を恐れ、目の敵にしていた。

 そんな鬼教師に、たまちゃんズが見つかったらどうなるか? 当然、たまちゃんズは没収され、二度と帰ってこないだろう。

 だから、大半の女子は校則を守り、たまちゃんズを家に置いていた。学校が終わるとすぐに家に帰ってたまちゃんズを手に取り、友達の家や公園で集まって遊んでいた。心臓に毛が生えた、恐れ知らずの数人の女子だけが、こっそりたまちゃんズを学校に持ってきていた。私もその一人だった。当時は規則なんぞ破ってなんぼと考えていた。それになによりも、私の母はたまちゃんの世話が下手くそで二回も死なせていた。だからたまちゃんズをポケットに忍ばせ、短い休み時間にトイレの個室や校舎裏で、できる限りのお世話をした。飼い主の義務を立派に果たしていたというわけだ。

 そんな毎日を送っていた、ある日。

 私は、たまちゃんズを学校に忘れてきてしまった。

 五時間目と六時間目が体育だった。授業の前後で着替える時に、たまちゃんズを落とさないよう机の中に入れ、そのままにしてしまった。気がついたのは、家に帰ってからだった。

 すぐに学校に取りに戻った。放課後の校舎は静かで、誰もいなかった。私の足音が廊下に大きく響いた。

 教室に入り、自分の机の中からたまちゃんズを取りだす。家に帰ろうと戸口を向いた時、本田先生が教室に入ってきた。

 本田先生が、私の手の中にあるたまちゃんズを見た。思い切り顔をしかめた。

 終わった。没収される。壊されてしまう。

 私はその場から動けなくなってしまい、ただブルブルと震えて立ちつくした。

「──ったく。今日は見なかったことにする。もう帰れ」

 本田先生はそう言って、ため息をついた。

「え?」

「次に見つけたら没収する。今日はもういい」

 本田先生は私に近づかなかった。彼は、教室の後ろの棚に置いてある水槽に向かった。

 教室には、二つの水槽があった。一つはクラスメイトみんなでお世話する金魚の水槽。もう一つは、本田先生が個人的に管理しているメダカの水槽だ。

 本田先生は右手にプラスチックの袋を持っていた。袋の口を開けると、中身を水槽にふりかけた。その時、本田先生が笑っていることに気づいた。

「メダカにご飯をあげてるんですか?」

 私は尋ねた。すると、先生が振り返った。

「これはメダカじゃない。ヒメダカだ」

「ヒメダカ?」

 私はずっと、水槽の魚はメダカだと思っていた。

「そうだ。品種改良したメダカだよ。用水路で泳いでいるところを見つけて、拾ってきたんだ」

 この時の本田先生は怖くなかった。とても優しい顔をしていた。私は本田先生の横に行き、水槽の中を眺めた。十数匹のオレンジ色のヒメダカが水面に集まり、餌を食べていた。

「品種改良した生き物を自然界へ逃してはいけない。生態系に悪影響が出るからだ。

 あなたもペットを飼う時は、ちゃんと最後まで面倒を見るんだぞ。そのゲーム機のペットと同じように、真剣に育てるんだ。学校に持ってきてまで世話する情熱を、本物の生き物にも注ぐんだぞ」

 私に説教をしていたが、後半は、半ば独り言のようだった。

 餌やりを終えると、本田先生は水槽の蓋を閉めた。

「さあ、もう帰れ。そのゲーム機は二度と持ってくるんじゃないぞ」

「はい。ごめんなさい」

「二度目はないからな」

 私は本田先生と一緒に教室を出た。玄関から外に出る時、本田先生が見送ってくれた。

 次の日になると、本田先生はヒメダカを世話する優しい先生ではなく、いつもの鬼教師に戻っていた。問題児を容赦なく叱りつけ、ニコリともしない。でも、私は以前のように本田先生を怖がらなくなった。もちろん、舐めた態度はとらなかった。たまちゃんズを学校に持ってくることもやめた。

 本田先生のヒメダカはずっと元気だった。卒業式の日も、綺麗な水槽の中で悠々と泳いでいた。

 あれから二十年以上が経つ。卒業後、本田先生とは一度も会ってない。今どこでどうしているのか、ヒメダカはどうなったのか、全然知らない。

 ただ、今でも時々思い出す。夕暮れ時の教室で、小さな音を立てる水槽のポンプ。穏やかな表情の本田先生。可愛いヒメダカの群れ。心の中の小さな宝物として、今でも輝いている。

 

(完)

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