イクシュヌキア遺跡。それはイクシュ山の麓にある、石づくりの建物があるだけの、小さくて地味で、誰にも見向きされない遺跡である。
しかし、その遺跡は異星人が造ったものだと主張し、調査をする者が現れた。全身義体化分野の若き女性研究者、入間出口(いりまでぐち)である。
「よーし、できた!」
遺跡の前に停まっているキャンプカーの中。出口はターン、とエンターキーを高らかに叩いた。
「やっとできたぞ! ドアの鍵! いやー、壁に書かれた文字を解読するのに一ヶ月もかかるとは」
彼女の背後で助手達がパチパチと手を叩く。一人は緑のケープを羽織った男性のアンドロイド————アクシフィオオルダーム。もう一人は鮮やかな青いドレスを身にまとった女性アンドロイド————サザンカニシナだ。
「お疲れ様」
サザンカがカップを置く。出口は一口飲んだ。香ばしい匂いと程よい苦味が、出口の疲れを癒す。彼女の入れるコーヒーはいつだって最高の味だ。
「ありがとう」
コーヒーブレイクの後、三人は車を出て、遺跡の前に立った。石と石の僅かな隙間に指先を引っ掛け、手前に引っ張る。すると石が外れ、淡く輝くポートがでてきた。チップを挿入すると、壁の一部がすうっと横にスライドし、淡く青色に輝く下り階段が姿を現す。
「よーし……さあ、行こう!」
出口はごくりと唾を飲むと、深呼吸した。意気揚々と足を踏み入れる。淡い青の光の中、コツコツと固い足音が響く。
「この階段と壁、どう見たって地球上の物質じゃないよね」
アクシオが呟く。
「異星人が持ちこんだんだろう。後でサンプルをとって、ラボに持ち帰って調べよう」
下り始めてから数十分後。ようやく階段は終わった。
「わあ……」
サザンカが珍しく歓声をあげる。
そこは広大な庭園だった。様々な地球の植物が生い茂り、花を咲かせている。枝を広げた木々には小鳥が留まり、木陰でうさぎが休んでいる。
「これはすごい。天国というものがあるならきっとこういう所なんだろうなあ」
出口は花畑に寝転んだ。本物と見紛うばかりの青い空が広がっている。
「すごいわ。これ、全部金属でできているもの」
出口はガバリと起き上がった。
「何だって?」
「スキャンしてみたら、全部金属だったのよ」
「サザンカの言うとおりだよ。ものすごく精巧に出来てる」
アクシオは出口にペンチを手渡した。そのペンチで花の茎を折る。断面は銀色だった。
「嘘でしょ。触り心地は植物そのものなのに……もの凄い金属加工技術だね」
庭園の小道を三人は道なりに進む。道には時折、卵型のポッドが置かれている。中を開けても何も無いが、サザンカは「微弱な電気を感じる」と言った。
「大きなワイヤレス充電器か。異星人は義体化していたんだな。彼らを分解したら、人類の義体の技術が飛躍的に進むに違いない。その辺に異星人、落ちていないかな」
出口はブツブツと独り言を呟く。サザンカははあ、とため息をついた。
「そんなこと言ってるから学会から追放されるのよ」
やがて庭園は終わり、小部屋がたくさんある廊下に出る。小部屋はどの部屋も華美な装飾が施され、目が眩しい。中央には必ず一台、生物の彫像が置かれている。魚、虫、動物。絶滅した種や見たこともない種もある。
もちろん、人間の台座もあった。
「へえ。これ、原人の像だ。ということはこの遺跡は二万年以上前に建てられたことになるね」
ふうむ、と頷く出口。サザンカは壁の装飾を指でなぞる。
「どの部屋も飾りが多いわね。よほど地球の生き物に興味があったのかしら」
「興味というよりこれは……まあいい。先へ進もう。アクシオ、そんなに台座を押しまくっても秘密の入り口は出てこないよ」
先へ進む出口とサザンカ。台座に手を押し当てていたアクシオは慌てて後を追いかける。
歩くこと十数分。今度は両開きの扉を見つけた。三人が近づくと、音もなく開く。
今度は円形の広間だった。直径二十メートルほどだろうか。床の色は黒一色。扉の左右からは階段が壁に沿ってらせんを描きながら上へと伸びていく。
壁には無数のポッドが埋めこまれている。庭園で見たものと違って黒色で、中が透けて見える。中には複雑な形状の金属が液体の中で浮いている。今までの美しい部屋とは一転、不気味な場所だ。
不意に、床の中央に穴が空いた。中から卵型ポッドが二つ出てくる。何故か、不恰好な足がタコのように生えている。
ポッドは床を蹴り、猛然と三人へ向かって走りだす。同時に、アクシオがケープの中から何かを放り投げる。
それはポッドの前で爆ぜ、煙を撒き散らした。その隙を逃さず、アクシオはブーツの中から銃を取りだし、数発発砲する。煙が晴れた時、二つのポッドはワイヤーでがんじがらめになっていた。
「今まで罠がなかったからおかしいと思ってたけど、とうとうここで出てきたか……早くここを離れよう」
扉に駆け寄る。しかし、扉はビクとも動かない。アクシオが爆弾を仕掛けたが、全く壊れなかった。
「これはもう、上へ行くしかないね」
出口は苦笑しながらそう言った。
「そうだな」
三人は無言で階段を上り始めた。壁の無数のポッドが、こちらをじっと見ているようで気持ちが悪い。
数十分かけて階段を上りきり……三人は絶句した。
透明なドーム型の天井の下、巨大な水槽が鎮座している。直径何メートルあるか分からない。高さも分からない。とにかく巨大だ。
その中に、肉塊が浮いている。否、肉だけではない。臓器、骨、神経————全ての生物の器官が塊となっている。
血管は脈打ち、筋肉は鮮やかな赤色だ。目や口は数えきれない種類のものがたくさんある。目は同時にぎょろぎょろ動き、口はぱくぱくと魚のように開いては閉じる。肺とエラもある。羽もある。耳も触覚もある。
出口は吐きそうになるのをこらえ、水槽から目をそらす。これは醜悪そのものだ。
「何だろう、これ」
囁くようにアクシオが言った。まるで『あれ』に聞かれることを恐れるかのように。
「神だよ。エイリアンの」
「これが?」
「今から話すのは全部私の想像だ。おとぎ話。それでもいいかい?」
助手達は頷いた。
「遥か昔。全身機械の宇宙人が地球にやってきて……心底驚いた。何と金属ではなく、炭素分子や水素分子の塊がものを考え、動いている。身体が金属の彼らからすれば、全く未知の存在だ。彼らは生物を熱心に研究した。研究の過程で地球の生命体に好意を持ち、やがて好意は信仰に変わった」
「信仰だって?」
アクシオは素っ頓狂な声をあげる。
「うん。あの庭園は美しすぎるし、小部屋は豪華すぎる。あれらは観察や展示のために作られたんじゃない。庭園は自分達の理想を詰め込んだ箱庭で、小部屋はそれぞれの生物を崇め奉る、礼拝堂だよ」
「なるほど」
「彼らは神を信奉し、追い求め……その卓越した技術で生命体を創造した。しかもただの生命体じゃない。地球上の全ての生物の特徴を持つ究極の生命体、つまり神そのものだ。
しかし一つ、問題があった。神の水槽のエネルギーが足りなかったんだ。彼らは素敵な解決策を思いついた。それは自らがエネルギー源になることだった。彼らはポッドに入り、永遠に稼働する電池になった」
「それって、生け贄ってことなの?」
「うん。あの襲いかかってきたポッドは、君達を新たな電池と認識してやってきたんだと思う。だから二つしか来なかったんだ。とにかく、馬鹿な奴らだよ。せっかく機械の体だったのに。機械なら病気も死もなくて、とても楽だろうに。何で生物に惚れ込むのやら」
「……僕は少し分かるよ。彼らの気持ちが」
アクシオは微笑んだ。
「たまに、本当にたまーにだけど、僕も人間に憧れることがあるから」
そう言って、塊を見上げる。サザンカも彼の隣に立ち、同じように塊を見る。
だがその時、あのポッドの足音が聞こえてきた。
慌てて近くの機械の影に隠れるが、遅かった。階段をすでに上りきっていたポッドは真っ直ぐこちらへ向かってくる。しかも先ほどとは違い、手に銃らしきものを持っている。
「あんなの撃ったら水槽が割れるぞ! 神が大切じゃないのか?」
「彼らはただの機械なんだよ。何も信じちゃいない」
アクシオはスモークボムを投げた。二人を背おって機械の上へ飛ぶ。その直後、パンと乾いた音が聞こえた。同時に、何かが割れる音も。
天井の梁に立った三人は下を見た。
水槽のガラスが砕け、中の液体が溢れて広間を濡らす。『神』の巨体が転がってポッドを押しつぶし、壁にぶつかる。『神』は瞬きし、手足を動かし、口を動かし————動かなくなった。
「生命反応がなくなったわ」
サザンカは淡々と告げた。
遺跡が小さく揺れ始める。出口は舌打ちした。
「神と心中するつもりか。ホントに馬鹿だね」
アクシオはロボットの持っていた銃を拾い、天井へ向かって撃った。すると派手な音ともに天井が割れ、湿った風が吹きこんできた。ワイヤーを使って大急ぎで外に出ると、そこは緑の匂いが濃い森の中だった。
「GPSで位置を特定したわ。イクシュ山中腹よ。この先に登山ルートがあるわ。その道を下れば、キャンプ地まで戻れる」
「早く行こう」
道なき道を進み、見つけた登山道を下る。相変わらず小さな揺れを感じる。
「今揺れの大きさはどれくらい?」
「震度一と二の間くらい。さっきからずっと変わってないな」
「……多分、揺れは大きくならないよ。周りの自然を壊したくないはずだから」
キャンプカーに戻ると、遺跡の入り口はすでになかった。石の山があるだけだ。車に乗りこみ、リモコンでエンジンをオンにする。自動運転のキャンプカーは速やかに発進した。
出口は冷めたコーヒーを飲みながら、アクシオとサザンカの横顔を見つめる。
「どうかしたのか?」
「いや。二人は人間になりたいのかなって」
アクシオはキョトンとなり、アハハと笑い出す。
「まさか僕が言ったことを気にしていたのか? やだなあ。あれはほら、人間が鳥になりたいって思うのと同じだよ!」
「ええ。本気にしすぎね」
サザンカもくすくす笑う。
「そうか。面白いと思うんだけどな」
笑いが止まった。
「……何が?」
「いや、私は今まで人間が機械になる方法を探してきたけれど、その逆も面白いなって。機械が人間に、か」
「出口、お願いだからそんな研究するなよ? 倫理ってやつがあるじゃないか」
「そうよ。あんな塊になっちゃったら、誰がコーヒーを入れるの?」
「は? あんな気持ち悪い塊なんかつくるわけないでしょ。まずはマウスから始めようかな。脳に電極を埋めこんで……」
「駄目駄目! 絶対に駄目だって!」
「考え直して!」
ギャアギャアと騒ぐ三人を乗せて、キャンプカーは森を出ていった。