アキはバタンと体育館の床に倒れこんだ。
「ううー、もうげんかい……」
床の冷たさが気持ち良い。火照った身体の熱をどんどん吸い取っていく。
「お疲れさまです、アキ」
友達のサトミがパタパタと下敷きであおいでくれる。
「ありがと……」
今は四月。四月の体育といえばまず体力テストだ。今日は二十メートルシャトルランをやっている。まずは女子が、続いて男子が走る。アキは六十回だ。
「あ、アキ。男子が始まりますよ。ちょっと後ろに下がりましょう。ここじゃ邪魔になります」
腕の力だけで床を這い、壁際に移動する。壁にもたれかかり、男子がスタートラインに並ぶのを見る。スタートの合図に合わせて、一斉に駆け出す。
「今年は誰が最後まで残るでしょうか?」
「さあ」
正直、誰が残ろうとあんまり興味がない。背後から吹くひんやりした風にあたりながら、アキはぼーっと中空を見つめていた。
途中でトイレに立ち、個室でスマホをつついて満足したあと、体育館に帰った。人数が少し減っている。
「サトミ、今何回?」
すると、びくっとサトミの身体が震えた。
「え、あの、なんでしょう」
「今何回なの?」
サトミは隣にいたクラスメイトに尋ねた。
「六十回目らしいです」
「……もしかして、今寝てた?」
「すいません」
「別に謝ることじゃないよ」
サトミはちょっと変わっている。同い年や年下に対しても敬語を使い、口癖は「すいません」だ。
「あ、ツヨシとタイチ、一緒に走っている」
二人のいる場所から少し離れたところで、背の高い男子二人が走っている。
「最近、あの二人、仲が悪いんだよね」
アキはため息をついた。二人の人相がすごいことになっているのは、しんどいだけが理由ではない。
「ちょっと前までは仲が良かったんだけどね」
ツヨシとタイチはアキの幼馴染だ。小さい頃は仲が良かったが、最近急に二人の仲が悪くなった。理由を尋ねても、
「単純に気が合わないだけ」
としか言わないのだ。
「絶対競ってますよね」
サトミの言う通りだ。互いにチラチラ隣を見ては、憤怒の表情で足を動かしている。
「そうだね。どうしてあんなになってしまったのか、皆目見当がつかないよ」
七十、八十、そしてとうとう百を超えても、二人は走り続けた。もう残っているのは彼らだけだ。顔は真っ赤で、汗だくだ。
もう限界だと思うんだけど……互いの憎しみが足を動かしているのかな。
アキの脳裏にふと、そんな悲しい考えが浮かんだ。
(小さい頃みたいに、サイクリングしたりアイス食べたり、家に遊びに行ったり、また仲良く遊びたいのに)
アキはむうっと頰を膨らませた。
そして、百二十八回目。
二人は同時に倒れた。医者でなくとも誰でも分かる、完全な脱水症状だ。先生と一緒に、アキも駆け付けた。
「ツヨシ、タイチ、大丈夫?」
「あ、き……」
二人とも意識はある。保健室から担架がやってきて、二人は運ばれていった。そのままなし崩しに授業は終わった。
「アキさん、早く着替えましょう。次は理科室です」
「ああ、サトミ、先に着替えといて。保健室に行ってくるから」
「分かりました。遅れないように気をつけてくださいね」
保健室に行くと、二人はベッドで横になっていた。
「ツヨシ、タイチ、あんた何してんのよ。体力テストは勝負するもんじゃないでしょ……起き上がっちゃ駄目だよ! 全く、どうして倒れるまで無理したのよ」
「少しでも長く、走りたかったんだよ」
ツヨシがボソッと呟いた。
「俺も、ツヨシより長く、走りたかった」
低い声でタイチが言う。そこで二人が睨みあう。アキは二人の頭に鉄拳を落とした。
「馬鹿な意地の張り合いしてるから倒れるのよ! ちょっとは反省しなさい!」
二人はしゅんとした顔でうなだれる。
「体調が回復したら戻って来なさいよ! 次は理科室だから!」
「今すぐいくよ」
同時に叫んだ。台詞がハモったことに二人は一瞬驚いた表情をし、そしてまた睨みあう。だが、アキがこぶしを上げるのを見て、掛布団を頭までかぶる。
「ちゃんと休みなさいよ、二人とも!」
アキはそう言って、保健室を出た。
静かな保健室で、ツヨシはタイチを見た。
「同じこというなよ、タイチ」
天井に目を向けていたタイチも、首を動かした。
「はあ? お前が俺のセリフをパクったんだろうが」
「何?」
睨み合う二人。だが、急に頭が痛くなり、彼らの視線はまた天井に戻される。アキは離れていても二人の様子が分かるみたいだ。
しかし、それにしても。
(ちくしょう、何だよ。また『二人とも』かよ)
二人揃って、ため息をつく。
————アキには俺だけを見てもらいたいのに。
ツヨシはベッドから出た。同時に、タイチもベッドの外に出る。
「おい、何してんだ」
「そっちこそ、何してんだよ」
「俺は早く授業行くんだよ。回復したんだってアキに喜んでもらうのさ」
「僕もだ」
騒々しい足音を立てて、二人は保健室を出ていった。
(完)