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 闇の中は、心地が良い。毛布にくるまっている気分だ。不安なことも辛かったことも楽しかったことも、全ての記憶と感情が溶けあい、昇華していく。胸の内側が満たされていく。
 あたたかな闇が、唐突に晴れた。
 メアリは、天蓋付きのベッドに横たわっていた。窓からは柔らかい光が差しこんでいる。そよ風がさあっと吹きこみ、メアリの前髪を揺らす。
「おはよう、メアリ」
 そばに見慣れた骸骨が立っていた。
「ここは貴方の家?」
「僕と君の家だよ。案内しようか?」
「良いわね。お願いするわ」
 ハリーに連れられて部屋を出る。廊下は広い。壁や床は白く、うっすらと幾何学模様が浮き出ている。大きな窓から陽光が差し、まるで大聖堂の回廊のようだ。
 玄関ホールではステンドグラスが輝いている。居間は優しい香りのハーブが飾られ、食堂のテーブルはメアリの好みピッタリで、品の良いものだ。中庭は色とりどりの花が植えられている。
「一番見せたいものがこっちにあるんだ」
 ハリーは廊下の突き当たりにある、一際大きくて重たそうな白い扉を開けた。
「ここが音楽室」
 メアリが見た中で一番広い音楽室だった。音を吸収するための絨毯がしかれ、十数脚の椅子が並んでいる。小規模のコンサートならここで開けるだろう。壁一面には大きな棚があり、戸を開けると立派なバイオリンが入っている。一目で最高級品だと分かった。手にとって弦を鳴らす。メアリの口からため息が漏れた。
「こんな音色、夢にも出てこないわよ」
 メアリは楽器と一緒に入っていた楽譜の曲を軽く弾いた。その旋律は、海に住まう伝説の怪物セイレーンの歌声のよう。人間の理性を奪う音だ。
「すごい、すごいわ、ハリー。本当にありがとう!」
 はしゃぐメアリ。ハリーも歯をカチカチさせて笑う。
「良かった。喜んでくれて」
 次々と曲を弾き、音に酔いしれる。
 気がつけば、窓の外は暗くなっていた。
 メアリは楽器を置き、空を見上げる。銀の砂をこぼしたような星空が広がっている。
「現世の星座は無いのね」
「そうだね。同じが良い?」
「どちらでも構わないわ」
 ぐぐっと腕を突き出し、深呼吸する。
「疲れたわ。そろそろ寝る時間のようね」
「あら、そうかい? まだまだ他にも見せたいものがあるんだけどな」
「でも昼からずっと弾いていたから、少し休みたいわ」
「そっか、分かった。じゃあゆっくり休んで」
「おやすみ、ハリー」
 ランプなしでも、窓から差しこむ月明かりのおかげで、廊下は明るい。
(綺麗……)
 気がつくと、メアリは中庭に足を踏み入れていた。白い砂利が敷かれた小道を歩く。足元のすずらんが淡く光る。
(本当にここは現世ではないのね)
 今更過ぎる実感が足元からわく。
(明日は何をしようかしら……)
 ふわあ、とメアリはあくびをした、その時。
 突然、一際明るい光が頭上から降り注いだ。
 夜空を白く輝く鳥が一羽飛んでいる。鳥は弧を描きながらゆっくりと下降し、メアリの目の前に降りたった。よく見ると、足に紙が巻き付けてある。メアリはその紙をとって広げた。手紙だ。鳥が発する光のおかげではっきりと読める。
『かわいいメアリへ。久しぶりにお話ししましょう。母より』
 メアリは鳥を見た。鳥は音もなく空へ舞い上がり、中庭を囲む塀の上に留まった。塀には小さな扉がある。
 メアリは迷わず扉に向かい、掛け金を外して外に出た。暗闇の中、細い小道が遠くへ続いている。小道の上を、鳥がゆっくりと飛んでいく。メアリはその後をついていった。

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