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 夕暮れ時。学校をサボった三人の女の子──マリナ、アンジュ、ララ──は、川の土手の歩道を歩いていた。三人とも白い半袖の制服を着て、白い学習かばんを持っている。

 土手の左側には、きよせ川が流れている。この辺りで一番大きな川で、遠くに大きな橋がかかっているのが見える。

 キラキラと輝く川の両側には、河川敷が広がっている。薄茶色のグラウンドと原っぱに分かれていて、子ども達がサッカーや野球をして遊んでいる。

「あ! ねえ、あれ! 見て」

 マリナが突然血相を変え、川のほとりを指差した。

 マリナの隣を歩いていた、ララとアンジュも土手の下を見る。

「え?」

「どうしたの?」

 彼女の指先は、河川敷の一画を、真っ直ぐ示していた。

 橋の影がかかる暗い場所で、黒い服を着た二、三十人の大人が踊っている。全員が等間隔に並び、かけ声に合わせて手足を動かしている。

「あれがどうかしたの?」

 アンジュの問いかけに、マリナは鼻息を荒くして答える。

「あれはきっとサバトだよ!」

 サバト。闇の魔法使い達が集まる、秘密の祭りのことだ。サバトではまず、悪魔を召喚するらしい。そして、踊ったりイケニエを捧げたりして悪魔を喜ばせ、最後に願い──それも世界征服や人類滅亡、疫病の流行のような悪い願いを叶えてもらうのだ。もし誘われても絶対についていってはいけない。本にそう書いてあった。

 ララとアンジュは、グラウンドで躍る集団を見た。

「あれが……サバト?」

 二人揃って首を傾げる。

 初夏の、暑く湿った風が三人の間を駆け抜ける、ヒューッという音が聞こえた。土手の雑草が揺れるザワザワとした音も。

「ちゃんと根拠もあるよ。ほら、全員黒い服を着てるでしょ。上から下まで真っ黒」

 マリナの言うとおり、彼らと彼女らは、みんな黒一色の服装だ。黒いシャツ、黒いズボン、黒い靴。

「それがどうかしたの?」

「黒といえば闇、悪魔、魔法でしょ。不吉な色でしょ。嫌な予感がするでしょ。そんな色の格好をしてるんだから、悪いことを企む闇の魔法使いに決まってるよ」

 アンジュは大きなため息をついた。

「はいはい。さ、行きましょ」

 アンジュはマリナを放置して歩きだす。そのすぐ後ろを、ララがついていく。

「あ、ちょっと!」

「大人が踊ってるだけよ」

「うん。私もそう思う。ただダンスしてるだけ」

 ララもアンジュに続いてそう言った。

「ちょっと近くに行ってみようよ! あれは絶対にサバトだって! 秘密のパーティだよ!」

「知らない人に近づいちゃダメって言われてるでしょ」

 アンジュとララは、土手の帰り道を歩いていく。マリナは「待ってよ!」と、二人の背中を追った。

 

 

 その日以降、土手の道を歩くたび、三人はあの躍る黒衣の集団を見かけた。

「絶対にサバトだよ」

「違うと思う」

「違うって」

「よし、じゃあ見てみようよ。本当にサバトじゃないかどうか」

 三人は土手の道から観察する。

 彼らは列を組み、輪になって時計回りに踊っている。夕暮れ時の河川敷に、一つの大きな円ができている。

「ああやってぐるぐる踊って、悪魔を召喚するんだよ。そうに決まってる」

「マリナのその自信はどこから来るのよ」

 アンジュがため息をつく。

「黒一色の服を着て、輪っかになって踊ってるんだよ? サバトじゃなきゃなんなの?」

「ダンスの練習」

「アンジュ。あんな奇っ怪な動きが普通のダンスに見える?」

「見える」

 アンジュは即答した。

「毎日練習してて、どんどん上手になってるね」

 最初に見た時はどこかもたついた動きだったのが、手足の動きが揃い、一体感が生まれている。

「さ、行きましょ」

「待って」

 アンジュのランドセルに、ララが手を置いて止めた。

「あれを見て。何かいる」

「え?」

 アンジュとマリナは目を凝らした。

 輪になって踊る人々の中に、真っ黒な影がいる。

 人のような輪郭だが、手足が異常に長く、胴は細い。頭には髪の毛も、目鼻もない。あるのは、口だけ。大きい三日月型の口だけが顔の真ん中についている。

 影は、周りに合わせて踊っている。人間も、少しも驚いたり怖がったりしていない。

 影の首がぐるりと動いた。目がないはずなのに、マリナ達は見られたと分かった。

 三人は慌てて逃げだした。

 

 

 土手から離れ、小さな教会までやってくると、三人はようやく一息ついた。

「やっぱりあれ、本当にサバトだったよ!」

「しっ!」

 アンジュは人差し指を自分の唇に当て、マリナを睨む。しかしマリナは彼女の視線など全く気にしない。

「いた! 悪魔がいたよ! どうしよう、あれ。ヤバいって! 絶対悪いことが起きるよ。人をさらってきて、悪魔にイケニエとして捧げるんだよ。それで悪い願い事を叶えてもらって、世界征服とかするんだ!」

 顔を青ざめて喚くマリナの肩を、アンジュは掴んで揺らした。

「だから静かにしてってば! あいつらの仲間に聞かれたら、私達もイケニエにされる! 急いで家に帰って、ママに言おうよ。闇の魔法使いがいるって!」

「どうやって言うの? サボったことをバラさずに、どうやって話す?」

 ララがボソリ、と呟いた。

「それは──」

 言い合いをしていた二人は、黙りこむ。

 最近、三人は「体調が悪い」と嘘をついて早退している。家にまっすぐ帰ると言い張りつつ、実際は好き勝手にブラブラしているのだ。今いる教会も、あの土手も、学校から遠く離れた場所にある。早退して家に帰る途中で見つけたんです──なんてごまかしはできない。

「サボりがバレたら大変だよ。本当にたいっっへん。絶対に秘密にしなきゃ」

「じゃ、じゃあ、どうするの?」

「決まってるじゃない」

 ララは力強い目で、マリナとアンジュを見る。

「戦うのよ。私達で。サバトを潰すんだ。もう作戦も思いついてる」

 かばんから筆箱と自由帳を出すララ。地面に自由帳を広げると、猛烈な勢いで何かを書き始める。二人はしゃがみこんで、それを見る。

「……どう? この作戦なら、いけるでしょ?」

「うん。いける気がする。やろうやろう」

 マリナは少し楽しそうに言った。

「でも、不安だわ」

 アンジュは浮かない顔で自由帳を見つめる。

「きっといけるよ。サバトを潰して、世界を守ろう」

 ララの言葉に、マリナとアンジュは頷いた。

 

 

 次の金曜日の午後。三人は土手に集まった。

 服装は、いつもの白い制服ではなく、黒いダボッとしたワンピースだ。闇の魔法使いと同じ格好である。手には各々、魔法の杖に見える木の枝を持っている。これでサバトに潜入し、儀式を妨害するのだ。

「さて、行くよ」

 ララが言った。彼女は枝と一冊の本を持っている。本の表紙はアニメ調の可愛い女の子だ。表紙の上部に『おこせキセキ! 願いを叶える方法』というタイトルが丸文字で書かれている。

「その本、どこから持ってきたの?」

「学校の図書室」

 ララは栞を挟んであるページを開く。

「最後に確認するよ。悪魔を呼ぶ儀式を止めるには、儀式の手順と反対のことをすればいいんだ。つまり、輪の方向と逆向きに踊るってこと。その踊りも、あいつらとは反対に手足を動かすんだよ」

「分かってるって。散々練習したもん。行くよ」

 マリナはそう言うと、先陣を切って歩きだした。アンジュとララも後ろに続く。三人の勇敢な子ども達は、踊りの集団へ向かって行進する。邪悪な儀式を止めるために。

 草むらに紛れて移動し、夢中になって踊る黒衣の集団にそーっと近づく。ぎりぎりまで接近すると、三人はお互いの顔を見た。マリナが頷く。それを合図に、三人は草むらから一斉に飛び出した。輪の中に入り、彼らと逆方向に、左右逆の振り付けで踊る。

「うわ、何だ?」

「どこの子?」

 大人は踊るのを止め、遠巻きに三人を見つめる。

 一緒に踊っていた悪魔も動きを止め、大きな口をあんぐりと開けている。

「君達、どこから来たの?」

 女性がマリナに話しかけた。

 三人は無視して、大声を出して踊る。こうしてサバトの邪魔をし、悪魔の召喚を阻止するのだ。もし、うまくいかなくても、プランBもCもちゃんと考えている。

 ふと、アンジュが足を止めた。地面に落ちているチラシを拾う。

「……『きよせ川納涼夏祭り』?」

 綺麗な花火の写真と共に、日付や場所、祭りの出し物の詳細が印刷されている。

「私達、きよせ連っていう名前のダンスチームなの。そのお祭りで踊るのよ。今は練習をしているの」

 女性はスマートフォンを出すと、動画をアンジュに見せた。アンジュの肩越しに、マリナとララもそれを見る。きよせ川をバックに、銀色のステージで大人達が踊っている。その踊りの振り付けは、三人もよく知っているものだ。目の前の大人達の踊りと同じ動きだ。

「この動画は五年前のものだけどね。ここ数年、悪天候で祭りが中止になっててね。今年こそは、と思ってるんだよ」

「へ、へえ。そうなんですか」

 アンジュは適当に相槌をうちながら、人間に紛れて踊っていた化け物を見た。化け物は顔を赤らめると、手を振った。

「なつまつり、すき。おどり、たのしい。だから、いっしょにおどってる。にんげんにはないしょ」

 化け物は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに言った。周囲の人間は気づいていない。化け物が見えていないのだ。

「おねがい、ないしょにして。わるいこと、してないよ。おねがい」

 子ども達に懇願する化け物。その姿は、とてもじゃないがイケニエを求める悪魔には見えない。

「おーい、ステージの準備についてなんだが──、ん、どうした?」

 土手から、男性が一人やってきた。

「ああ、子ども達がやってきて、一緒に踊ってくれたんだよ」

「そうかぁ。でも、どこの子だ? ランドセルは?」

「邪魔してごめんなさい」

 アンジュはマリナとララの手を取り、脇目も振らずに走りだした。

 

 

「ぜんっぜん違うじゃない! サバトでもなんでもなかった!」

 川から遠く離れた教会の裏。アンジュは黒いワンピースを脱ぎ捨てた。

「全く。大恥をかいたわ」

「アンジュだって、作戦にノリノリで参加してたでしょ」

 マリナが呟くと、アンジュはジロリと彼女を睨んだ。

「何か言った?」

 マリナは亀のように首を引っこめる。

「何でもないです」

「……そろそろ帰ろうよ。だいぶ遅くなっちゃった」

 ララはすでに、もとの白い制服に着替えていた。

 アンジュはため息をつくと、捨てた服を拾って畳み、かばんの中にしまった。

「そうね。もう帰ろう」

 三人は薄紫色の空を見上げた。

 彼女達の背中に一対の羽根が生える。頭上に金色の輪が現れる。

 そのまま羽根を大きく羽ばたかせ、上昇する。教会も、人間の町もきよせ川も、みるみるうちに小さくなっていく。

 金色に輝く三対の目が、川岸で踊る人間達を見つめる。人間は、再び踊りの練習を再開している。化け物は、人を襲うでもなく、一緒に踊って楽しんでいる。

「はあ。帰ろ帰ろ」

 その時、東の空が光った。真っ黒な雷雲が猛スピードで近づいてきている。

「ゲ」

 三人の顔色が真っ青になる。

「すっっごく不吉な色の雲なんだけど。あれってただの雲だよね?」

 アンジュは首を振る。

「マリナ、ただの雲じゃない。あなたのママが来てる。しかも、私のパパも一緒よ」

「二人の親だけじゃない。私の親もいる。それに、学校の先生も来てる」

 ララの声は震えている。

 三人は顔を見合わせる。そして言った。

「逃げろ!」

 その晩。きよせ川流域で、凄まじい雷雨が発生した。

 しかし朝になるとぴたりとやみ、それからずっと晴れていた。きよせ川納涼夏祭りは、天候に恵まれ、大成功した。

(完)

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