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 元旦。時刻は午前二時。

 早川大祐は、今日も今日とてタクシーを運転していた。

 年末年始は稼ぎどきだ。忘年会に新年会、初売り、初詣など、人の移動が多い。必然的にタクシーの需要も増える。

「お客さん、着きましたよ」

 早川は後部座席にいる泥酔した男に話しかける。男はおぼつかない手つきで財布を取りだす。勘定が終わると、男は千鳥足で目の前のマンションへ歩いていった。

 ドアを閉じ、再び走りだす。その時、スマホがピロンと音をたてる。配車アプリの通知だ。新しい仕事が届いたのだ。

(客は──はあ? 山のど真ん中じゃねえか。ここから行けないことはないが……で、目的地は? え? 東野海岸?)

 早川はマップで道のりを確認した。彼が予想した通り、客のいる山から海岸までは、かなりの距離がある。下道と高速を延々、約五時間。着く頃にはちょうど朝だ。

(なんか胡散臭いな。だがこの距離を走ったら大儲けだ。さっさと行こう)

 画面をタップし、早川が請け負うことをアプリを通じて客に知らせる。カーナビの指示に従い、早川は車を走らせる。町の明かりは一つ消え、二つ消え……やがて、街灯一つない、真っ暗な山道に突入する。辺りは完全な闇に包まれている。ヘッドライトをハイビームに設定しても、まるで消えかけのろうそくの火のように弱々しく見える。

「まもなく、目的地です」

 カーナビから音声が流れる。同時に、早川は道端に人影を見つけ、停車した。二人いる。

 一人は黒いコートを着た、五十代半ばの、熊のように大柄な男。もう一人は十代半ばの少女。灰色のコートとニット帽をかぶっている。

「こんばんは。よろしくお願いします」

 男が言った。

「えーと、東野海岸ですね。ここからだとかなり遠く、料金もかかりますが」

「構いません。どうぞ向かってください」

 男の口調は至極真面目だ。酔っ払ったり、ふざけたりしている様子はない。

 早川はカーナビの目的地を変更し、車を発進させる。

「運転手さん、しばらく行った先で私の仲間が待っています。そこで一度彼を乗せていただけませんか」

「どの辺りですか?」

「北川町です。ここを真っ直ぐ行った先です」

「分かりました」

 山道を走りながら、早川はバックミラーでチラリと後部座席の客を見る。

(なんだろう、この人達。なんかちょっと変だな。女の子は微動だにしない。寝てるとかそういうのじゃなくて、まるで人形みたいだ。それに男の目がなんか……光ってる気がするんだけど……気のせいか?)

 手に汗が滲む。早川は務めて視線をバックミラーから逸らす。

(考えるな。やばい客ならヤクザだの何だの、今までもいただろ。とにかく海岸まで行こう)

 ハンドルを握る手に、力がこもった。

 

 

 客を乗せて走ること、一時間。

 山道は山の田舎道へと姿を変えた。古い民家や畑の間を、タクシーは進む。

(最高だ!)

 早川は上機嫌で車を走らせる。

 酔っ払いのようにゲロを吐くこともなければ、愚痴を言うわけでもない。この感じだと、料金の支払いを渋ることもないだろう。滅多にない上客だ。

「運転手さん」

 客の一人、男の方が声を発した。

「はい、何でしょう」

「そろそろ、私の友達が待っている場所に着きます」

「あ、そうなんですか」

「はい。もうすぐ信号が見えてきます。そこに彼がいます」

 ほどなくして、早川は道の先に、黄色く点滅する小さな光を見つけた。

「あれですか?」

「あれです」

 信号の前で止まろうとした、その時。

 何かがパッと、目の前に飛び出した。

 早川は急ブレーキを踏む。しかし間に合わず、ドン、と重いものがあたる音と、衝撃が響く。

(──ウソだろ)

 早川の顔から血の気が引く。車を止めると、すぐに外へ出た。

 車の前に、人が倒れている。

 いや、人だったものだ。

 ヘッドライトに照らされているのは、バラバラになった、人間の死体だ。

「だ、大丈夫ですか!」

 どう見ても死んでいるにも関わらず、彼は思わずそう声をかけた。

「あ、はい、大丈夫です」

 足元から声がした。見ると、生首が早川を見ている。

 人体のパーツが、ズル、ズル、と首の方へ集まってくる。胴体、腕、足。全てがくっつくと、ゆっくりと立ちあがる。

「えっと、こんばんは、あけおめです! 東野海岸までお願いします!」

 早川は気絶した。

 

 

「──さん、運転手さん」

 冷たい風が早川の頬を撫でる。

「う、うーん」

 彼は頭を押さえて起き上がった。何かとんでもないものを見た気がする。

「大丈夫ですか」

 道端の草地に早川は横になっていた。客が三人、早川の顔を覗き込んでいる。

(ん、三人?)

 二人はあの男性と少女だ。もう一人は──。

「うわあああ!」

「落ち着いて、落ち着いてください、きちんと事情を説明します。なあ、お前、いつになったら車の前に飛び出してはいけないことを覚えるんだ?」

 大男が傍に立つ、もう一人の男を睨む。痩身長躯の、金髪の若者はヘラヘラと笑った。

「待ってたら反対側から来たからさ、そっち側へ行こうと思ったんだよ。それに運転手さん、俺らのことを知ってると思ってたから」

「知ってるわけないだろう。仮に知っていたとしても飛び出しは駄目だ」

「うん、分かった、分かったから! ごめんなさい、運転手さん」

 彼はぺこりと頭を下げる。

 早川はぽかんと口を開けたまま、ガクガクと震えている。

「あーあ、この人間、完全にパニック状態だよ。どうするの、ジン」

 少女が尊大な口調で言い、大男──ジンを見る。

「うむ……とりあえず、いちから説明するしかないだろう。運転手さん、我々は人ではありませんが、貴方に危害を加えるつもりはありません。初日の出を見に行きたいだけなのです。だから怯えなくて大丈夫です」

「ひ、人じゃない?」

 ようやく早川は返事をする。

「はい。妖怪、魔物、お化け、色々な名前で呼ばれております」

「僕はねー、身体のパーツが取り外し可能なんだー」

 そう言うと、若者は両耳の上に手を置き、頭を外した。

「ヤン、やめろ。また運転手が気絶しそうになっている」

 ジンは若者──ヤンの頭を押さえつけた。首が元に戻る。

「まあ、とにかく、運転手さん。繰り返し申し上げますが、我々は貴方を傷つけるつもりはありません。料金も現代のお金できちんとお支払いします。どうか、東野海岸まで運転していただけないでしょうか?」

「え、あ、はあ」

 早川は引きつった笑みを浮かべる。逃げようとしたら何をされるか分からない。震える身体に叱咤し、立ちあがる。

「えっと、車にどうぞ。行きましょう」

 運転席に座ると、三人の客はわいわいと乗りこむ。よりにもよって、ヤンが助手席だ。車が動きだすと、彼は歓声をあげて窓にはりつく。

「おー、車に乗るとか、何十年ぶりだっけ? 覚えてないや」

 真っ暗な外を見てはしゃぐヤン。

「うるさい」

 少女が気怠げに呟く。

「なんだよ。元々、朝日を見に行こうって言ったのは、ユイ、あんただろ?」

「あんたがついてくるなんて聞いてない」

「そんなこと言うなよ。俺がいれば、絵が華やかになるだろう?」

 チッと舌打ちをするユイ。

「あー、ひどい! ねえねえ運転手さん、ユイって冷たいと思いません?」

 早川は苦笑いを浮かべる。

「ヤン、運転手を困らせるな。大人しく座っていなさい」

 ヤンは前を向く。しかし一分もしないうちに、

「ねえ運転手さん。運転手さんは、朝日を見たことがあるんですか?」

 元気よく話しかけて来た。

「ええ、まあ。何度かありますよ」

 つっかえつっかえ、早川は答える。若い頃、麻雀大会ででオールをしていた時に見た。

「いいなあ。僕らは一度も朝日を見たことないんですよ。朝日どころか、太陽の光も」

「そうなんですか?」

「ええ。僕ら、夜の住人なんで、日の光を見たことがないんですよ」

「え、本当に?」

「はい、だから朝日を見に行こうって何度も計画したんですけど、寝坊したり、忘れ物したりで、なっかなか行けなくて」

「寝坊するのはいつもあんたじゃない」

 ユイが口を挟む。

「いや、ユイだって財布だのスマホだの、色々忘れるじゃないか」

「私が忘れた回数より、あなたの寝坊の回数の方が多いでしょ」

「いや、僕が寝坊したのは十五回だけだ。ユイは二十三回も忘れただろ」

「水増しするな」

「いーや、掛け値なしで本当だね」

「違うわ。私の記憶じゃ、私が忘れ物したのは八回よ。あんたは三十四回も寝坊してる」

「棺桶の中で寝過ぎて、脳みそが腐ってんじゃないのか?」

「二人とも、やめないか」

 ジンがため息混じりに言う。

「すみませんね、運転手さん。こんな調子でいつも喧嘩しているうちに、いつも夜になってしまうんです」

「はは、元気で良いと思いますよ」

 早川はそう答えるのが精一杯だ。

(かんおけ? 今、棺桶って言ったか? いや、考えるのはよそう。お化けだろうが何だろうが、酔っ払いやクレーマーなんかより全然マシだ)

 右にウィンカーを出す。ETCのゲートをくぐり、高速に乗る。

「お、これが高速? 高速だあ!」

 ヤンだけでなく、ユイやジンも窓の外を見る。人外にとって、高速は未知の領域らしい。ユイは膝の上にノートを広げ、外を見ては何かを描いている。

「昼間ならもっとよく見えるんですが」

「いえ、我々は夜目がきくので、よく見えるんです。ここが高速……」

「ジン、酔って高速に入って、車とぶつかったことがあったよね」

「そんなこともあったな」

 懐かしそうに頷くジン。早川の顔色がまた悪くなる。

「だ、大丈夫だったんですか?」

「ええ、なんとか。車がひしゃげただけで済みました。その運転手も軽症です」

「良かった……いえ、そうじゃなくて、貴方は?」

「私ですか? 平気ですよ、あれくらい。丈夫にできてるので」

 早川はもはや、これくらいでは驚かない。

「そうですか」

 カーナビがジャンクションの存在を告げる。指示に従い、左車線に移動する。

 カーナビの表示をチラリと見る。目的地まで、あと二時間。

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