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第十四話 踏んだり蹴ったり

 斎藤飛鳥(さいとうあすか)には、小学生の頃から探している本があった。
 本屋で表紙に惹かれて手に取ったが、その時は中身を少し立ち読みしただけだった。次に店に行った時には、もうその本は無かった。
 成長するにつれ、飛鳥は読書をしなくなった。しかし、時々、その本のことを思いだした。
(あれ、なんていうタイトルの本だろう)
 思い出しては、図書館やネットで本を探した。しかし、飛鳥が覚えているのは、表紙の色と、ぼんやりしたキャラクターの設定だけだった。当然見つからず、徒労に終わった。
 時は流れ、現在。飛鳥はネットで『探している本が見つかる、新月書林という名の不思議な本屋』の伝説を聞いた。その伝説がある町のことも。彼女はその町を訪れることを決めた。
 そして、今、飛鳥は三連休を利用してこの町にやって来た。
 駅前のコインパーキングに車を停め、飛鳥は車外に出る。そして、目についた大通りを歩きはじめた。
(ごく普通の田舎町だ)
 車の通行量は多いが、開いている店は少ない。シャッターが下りている店舗が大半だ。
(でも、こういう町をのんびり歩くのもいいね)
 ブラブラと歩いていると、ふと、ある看板が目にとまった。白地の黒文字のシンプルなデザインで、『新月書林』とある。
(あの伝説の本屋と同じ名前だ。寄ってみよう)
 飛鳥が行こうとしたその時。
 目の前の電柱に車が突っ込んだ。大きな衝突音が響き渡る。
「キャア!」
 飛鳥は咄嗟に両腕で頭を庇う。しかし、幸い、車の破片や部品は飛鳥に直撃しなかった。
 飛鳥は周囲に気をつけながら運転席に近づき、ひび割れた窓ガラスをノックする。
「だ、大丈夫ですか?」
 運転席の男性が飛鳥の方を向いた。見たところ、大きな怪我は無さそうだ。ただショックで放心しているだけのように見える。
 飛鳥は安堵のため息をついた。それから警察と救急に通報した。運転手はやって来た救急車で運ばれていった。飛鳥は見たものを警察に説明した。
 ひと段落ついたあと、飛鳥は新月書林に入ろうと前を向く。
 しかし、新月書林と書かれた看板は、跡形も無く消えていた。


 お昼時。
 飛鳥は住宅街にあるカフェでランチを食べながら、先ほど見た看板について考えていた。
 あの後、看板のあったはずの場所まで行ったが、店ではなく空き家があるだけだった。
(あれ、幻か見間違いだったのかな……)
 釈然としないまま食事をとり、食後のコーヒーを飲む。次はどこへ行こうかと、スマートフォンの地図アプリを眺める。
(あ、牧川記念館だ。羽々本さんが手伝ったやつだ。行けたら行ってみよう)
 同僚の羽々本が熱心に記念館の仕事をしていたことを思い出しながら、建物の位置をブックマークする。それから、飛鳥は何気なく顔をあげ、窓の外を見る。
「え」
 飛鳥は絶句した。
 窓の外に、新月書林があった。
 家と家の間に、白い二階建ての建物ができている。一階に大きな扉があり、その上に例の看板が出ている。
 飛鳥は一度目を閉じ、眉間をマッサージした。そしてもう一度外を見る。
 新月書林はそこにある。
「すみません! お会計をお願いします!」
 飛鳥は慌てて会計を済ませ、外へ飛び出した。新月書林はすぐそこだ。
 だがその時、飛鳥の少し先を歩いていた老婆が、急によろめき転んだ。
「大丈夫ですか?」
 飛鳥は慌てて駆け寄る。
「ちょ、ちょっと胸が……」
 老婆は胸を押さえ、肩で息をしている。
「すぐに救急車を呼びますね!」
 飛鳥は百十九番通報をした後、救急車が来るまで老婆のそばに付き添った。
 救急車が老婆を乗せて走り去った後、飛鳥は新月書林に入ろうとした。
 しかし、店は跡形もなく消えていた。


 どうやら、伝説は本当らしい。新月書林は存在する。
 だが入ろうとするたびに邪魔が入り、入れない。店は見つけた瞬間に入らないと駄目なようだ。
(伝説の本屋なんてものは、そういう障害があってこそ)
 飛鳥はぎゅっと拳を握りしめると、道を歩き出した。
(いつどこに新月書林が出現しても見つけてやる)
 前も右も左も、時には後ろも見ながら、飛鳥は住宅街を歩いた。
 しかし、いざ探し始めると、本屋は全然出てこない。どこにもない。書店の文字が視界に入るたびにそちらを向き確認するが、全て普通の書店ばかりだ。
 やがて公園にたどり着いた。歩き疲れた飛鳥はベンチに座り、ぼんやり公園の光景を眺めた。
 休日の公園は人が多い。ジャングルジムと滑り台が融合したような巨大な遊具で、たくさんの子ども達が遊んでいる。その様子を、木陰で親達が見ている。
 少し遠くに目を向けると、ちょっとした広場になっており、そこでは絵を書いている学生や汗を流してランニングしている若い男、ボール遊びをする子どももいる。
 広場にはキッチンカーも二台来ている。一台はおしゃれなドリンクやスイーツを売っているようだ。もう一台は──
「新月書林!」
 飛鳥は立ち上がった。
 白いキッチンカーの側面に、確かに新月書林と書かれている。間違いない。
 飛鳥は走り出した。子どもも老夫婦もランナーも追い越す。新月書林のキッチンカーがみるみる大きくなる。
 しかし、キッチンカーの前を、小さな影が二つ横切った。
 一つは転がるボール、もう一つはそのボールを追って走る幼児。
 ボールはコロコロと、公園の出口へ転がっていく。出口の先は太い道路で、車が走っている。幼児はボールを追って、出口へ走っていく。
 飛鳥は方向を変えた。出口へ全速力で走る。
 キッチンカーの横を抜け、公園から歩道へ飛び出す。車道の手前ギリギリのところで、飛鳥は幼児の両肩を掴んだ。
「危ない!」
 飛鳥はガッチリと幼児を羽交い締めにする。幼児はパニックを起こして暴れるが、彼女は腕の力を緩めない。
 ボールはコロコロと車道へ転がっていった。そのまま車に当たり、ポーンと跳ね飛ばされてどこかへ飛んでいった。
 幼児の母親が走ってきて、飛鳥に頭を下げて礼を言った。飛鳥は適当に返事をして別れ、キッチンカーが停車している場所へ走った。
 二台停まっていたはずのキッチンカーは、いつの間にか一台に減っていた。白いキッチンカーが消失していた。
 飛鳥は深いため息をついた。


 その後、新月書林は何度も飛鳥の目の前に現れ、飛鳥は何度も店に入ろうとした。しかしその度に、目の前で誰かが転んだり、迷子になったり、引ったくりにあったりと、何かしらの障害に阻まれる。人助けをした後には、店は綺麗さっぱり消失している。そして時間が経つと、また飛鳥の前に店が現れる。それを追いかけ、障害が発生し、店は消える。それを繰り返した。
「あーもう……疲れた!」
 飛鳥はベンチにどさりと腰を下ろした。
 そこは小さな神社の境内だ。地図によれば、名前は白田神社という。小さいが手入れの行き届いた神社だ。境内には清浄な空気が満ちている。
 ついさきほど、この境内に新月書林が出現した。飛鳥は入店しようとしたが、ちょうどその時、大荷物を抱えた女子中学生が目の前で転んでしまった。その手助けをしていたら、店は消えてしまった。
 歩き疲れた飛鳥は、神社の境内にあるベンチに座った。座った瞬間、一日の疲れがどっと出る。
(いつも、あとちょっとなのに、どうして……なにか間違ってるのかな?)
 頭を抱える飛鳥。
 そこに、先ほど飛鳥が助けた少女と、その父親らしき男性がやって来た。
「あの、すみません。先ほどは娘がお世話になりました」
 父親は飛鳥に深々と頭を下げる。
「あ、はい。どうも」
「助けてくれなくてもよかったのに。自分でなんとかできたよ」
 少女がボソリと呟く。
「こら、朱里! 失礼だぞ!」
 父親が叱責するが、少女は全く堪える様子がない。
「だって本屋に行きたかったんでしょ? 魔法の本屋に」
「え? あの本屋のこと、知ってるんですか?」
 飛鳥は前のめりになって尋ねた。背中にのしかかっていた疲労が吹き飛ぶ。
「この辺じゃみんな知ってます。本を探す人の前に現れる魔法の本屋のことは。誰も話題にしないけど。さっき、境内に本屋が出てましたよね。貴女、本を探してるんじゃ?」
「はい! 探してます! でも入れないんです!」
 飛鳥は今までの出来事を全て話した。本屋が出現するたび、目の前に助けを必要とする人が現れ、その対応をしていたら本屋が消失してしまう。それを何度も繰り返していることを。
 話を聞いた少女は困惑顔だ。
「それ、人助けなんかせずに本屋に行けばいいだけでしょ?」
「こら、朱里!」
「だってそうじゃん。人助けして自分が損してちゃ駄目でしょ。無視すればいいじゃん」
 少女は呆れたという目で飛鳥を見る。
「それは出来ませんよ。本屋に行きたいからって、困ってる人を無視するのは」
 飛鳥ははっきり言い切った。助けが必要な人を見ると、身体が勝手に動く。助けるなというのは、どだい無理な話だ。
 少女は、心底呆れたという目で飛鳥を見る。
「素晴らしいです。僕達も見習わないといけませんね」
 父親は目を輝かせている。少女は本当にうんざり、と言いたげな顔になった。しかし、すぐに真面目な表情になる。
「……んー。事情は分かりました。助けてもらったんだし、お礼はしないと」
 少女は境内の端にある事務所に入っていった。父親は何も言わない。彼女はこの神社の子のようだ。
 ほどなくして、少女が帰ってきた。右手になにかを持っている。
「これ、どうぞ」
 渡されたのは、鈴のお守りだ。白い紐の先端に、小指の爪と同じくらいのサイズの鈴がたくさんついている。鈴は金属製で、日光を反射して銀色に輝いている。
「お守りです。この神社の」
「お守り?」
「持ち主を危険から守る効果がありますよ。どうぞ」
 紐を持って軽く揺らすと、ジャランジャランジャランと、やかましい音が鳴る。
「あ、ありがとうございます」
「カバンにつけてくださいね」
 飛鳥はショルダーバッグの金具にお守りをつけた。少しカバンを動かすだけでうるさい音が鳴る。
「それから、これから行く場所は、スーパーとかショッピングモールとか、人が多いところがいいですよ。何かあっても、他の人が助けてくれる可能性が大きく上がります」
「なるほど……! 思いつかなかったです」
「あとは病院とか。人が倒れても、お医者さんがすぐに来てくれますよ」
「おお!」
 飛鳥は感動した。少女は見た目によらず、強かな戦略家のようだ。
「ありがとうございます! 頑張ります! 必ず本屋に入って、本を見つけてみせますよ!」
 飛鳥はベンチから立ち上がった。少女と父親に「気をつけて」と見送られ、神社を出る。
(さあ、行こう!)
 スマートフォンで、近場のスーパーの場所を検索する。歩いて十五分くらいの場所に大きなスーパーがあるらしい。飛鳥は、お守りの鈴を鳴らしながら、意気揚々と歩いた。
 到着したスーパーは、駐車場にたくさんの車が停まっている。今はちょうど夕方で、結構な混雑ぶりだ。店内は人でごった返している。
(これなら、困ってる人がいても誰かがすぐ助けてくれるでしょ。一安心だね)
 スーパーの奥には、服屋や和菓子屋など、小規模な店が集まるエリアがある。飛鳥は衣服やお菓子などを見てまわる。
 そうして歩いているうちに、飛鳥は発見した。通路の端、一番奥まった場所に、新月書林と書かれた、白く輝く立て看板を。看板の向こうに、まばゆい光が漏れるガラス製のドアがある。
 飛鳥は店へ向かって駆け出した。
「ちょっと、やめてください」
「そんなに怒らないでくれよ」
 背後から女性と男性の声が聞こえた。飛鳥は足をとめ、げんなりした顔で振り返った。
 若い女性と初老の男が口論している。
「いや、別に変なことをしようってんじゃない。ただ道案内してほしいだけだよ」
「だから店員さんに頼んでくださいってば」
「店員は忙しそうだからさ。なあ、頼むよ」
 女性が一歩下がるたび、男が一歩近寄る。女性の頬は恐怖でひきつっている。男は、そんなに怖がられるなんて心外だ、という顔つきだ。
 飛鳥は周囲を見渡した。混雑しているはずのスーパーだが、店の一番奥だからだろうか、店員はいない。
「あ、そこの嬢さん。ちょっと道案内してほしいんだけど」
 男が飛鳥に話しかけてきた。
「店の人にお願いしてください」
「店員は今ここにいないじゃないか。頼むよぉ」
 男が飛鳥の方へフラフラと近づいてくる。
(ど、どうしよう)
 飛鳥は慌てて後ろへ下がった。その時、ショルダーバッグに着けたお守りがジャリンと大きな音を立てた。
(そうだ!)
 飛鳥はショルダーバッグを両手で持ち、大きく振った。鈴がけたたましい音を立てる。
「誰か! 店員さん! ここで人が困ってます!」
 遠くにいる店員がこちらを向いた。男に絡まれていた女性がこっちです、と手を振る。複数人の店員がこちらへやってくる。
(よし! これでもう大丈夫。あの本屋は──)
 通路の最奥を見る。本屋はまだある。
 飛鳥は駆け出した。ガラスドアに手をかけ、開く。そして勢いよく中に入った。
 ひんやりとした、少しカビ臭い空気。少し光量が落ちた、天井の蛍光灯。
 飛鳥が『古書店』と聞いて思い浮かべる光景そのものが広がっている。
「いらっしゃいませ」
 木製のカウンターには青いエプロンをつけた男性の店員が立っている。
「大変な道のりでしたね」
「本当ですよ!」
 店員に会えたらひとこと文句を言ってやろうと思っていた飛鳥は、ここぞとばかりに怒りだす。
「こんな試練があるなんて酷いです!」
「いいえ、試練ではなく、偶然、貴女の周りで色々な事故や事件が起きてしまったみたいです」
「ぐ、偶然?」
「はい。私達の方では何もしていません」
「嘘でしょ? 人助けしたの、今日だけで十回はくだりませんよ?」
「ええ、存じております。私達は本を求める貴女様のために、何度も何度も、十回以上、現世に出店しました。でも、その度に邪魔が入ってしまい……こんなことは初めてです」
「じゃあ、私が人助けを終えるまで待ってくれてたらよかったのに!」
「それが店のシステム上、不可能なのです。出店できる時間が限られていまして。ほんの短い間しかドアを出せないのです。普段はそれで十分なのですが、今回はひたすら運が悪かったようです」
「う、運? 今日のあれこれは全部、運が悪かったから?」
「はい。私達は本当になにもしていませんので……運が悪かったとしか」
 店員は苦笑いを浮かべてそう言った。
「嘘でしょ?」
「本当でございます」
 膝から崩れ落ちそうになる飛鳥。
「げ、元気を出してください。とにかく、こうして無事に店に来れたんですから。ほら、こちらをどうぞ。貴女様が探されていた本です」
「本!」
 飛鳥は気持ちを立て直す。そうだ。ここには本を探しに来たのだ。
 店員はカウンター台に一冊の本を置いた。飛鳥がその表紙を見た瞬間、朧げだった幼い頃の記憶が鮮やかに蘇る。
「そ、そうそう! これ!」
 本を手に取り、最初の数ページをペラペラとめくる。
「間違いない、これよ!」
「よかったです。どうぞお持ち帰りください。お代はありません」
「無料なんですか?」
「はい。この本探しは、私達の趣味とでもいいましょうか。ちょっとしたサービスです。それに貴女は大変お疲れでしょう。さあ、お帰りください」
「ありがとうございます!」
 飛鳥は深々と頭を下げ、店を出た。
 先ほどいたスーパーの通路に、飛鳥は立っていた。振り返ると、ドアも立て看板もない。しかし、自身の右手には、本がしっかりある。
「よし……よし、よし、よぉっし!」
 飛鳥はガッツポーズをした。本をショルダーバッグにしまう。
(どこか、ゆっくり座れる場所はないかな?)
 椅子と机を探して店内を歩く。途中、先ほど男性に絡まれていた若い女性とすれ違い、お互いに会釈した。彼女の顔色は悪くない。先ほどの事件はひとまず解決したようだ。
 やがて、飛鳥は休憩コーナーにたどり着いた。椅子と机が数セットある。飛鳥は近くの自販機でコーヒーを買うと、空いている席に座った。
 そして、早速本を読み始めた。


 読み始めて一時間と少しが経ち、客の数が少し減った頃。飛鳥は読書を終えた。
 深呼吸し、天井を見上げる。
「あ、こんばんは」
 聞き覚えのある声がした。見ると、神社で会った親子がテーブルの横にいた。父親はパンパンに膨らんだエコバッグを持っている。
「こんばんは。また会いましたね」
「どうです、本探しは。もしかして、その本が……」
 少女はそう言って、机の上にある本を見た。
「あ、はい。無事本屋に入店できて、探してた本を貰えました」
「おお! それは良かったですね!」
 父親が我が事のように喜んだ。
「どうでしたか? 面白かったですか?」
「それが──」
 飛鳥は一呼吸置いた。
「本当につまらなかったです」
「え?」
「なんかもう、最初から最後まで、良いところが一つもありませんでした。読みにくくて、つまらなくて、もうページをめくるのが苦痛で仕方がなくて」
 読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらい、無駄に詩的で難解な描写。起伏の少ないストーリー展開。陳腐なラスト。
 飛鳥は両手で顔を覆った。
「こんなもののために、遠くからはるばるこの町までやってきて、一日中駆けずり回ってたのかと思うと……もう……」
「それは、あの、その。お気の毒に」
 少女が言った。声には本物の同情の念がこもっている。
「でも、お二人のおかげで本屋に行けましたよ。ありがとうございます。ああ、そろそろ帰らなきゃ」
 飛鳥はよろよろと立ち上がる。
「大丈夫ですか? 気をつけてお帰りくださいね」
「あ、はい。大丈夫です。どうも、ありがとうございました。それでは」
 飛鳥は本をバッグにしまい、親子と別れた。スーパーを出て、駅前の駐車場に行く。高い駐車料金を払い、車に乗って町を出発する。
 その家路で、要救助者を何人も発見し、その対応に追われたのは、また別の話である。

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