第十六話 古い資料
付録一・飛騨智道(ひだともみち)の個人メモ
■■市で発生した連続失踪事件について
〇〇年〇〇月〇〇日〜××年××月××日にかけて、■■市で五人の男女が失踪する事件が発生した。五人とも、それぞれ日中に仕事や散歩に行ったっきり、行方が分からなくなっている。
・共通点:無し
・互いの関わり:無し
・失踪直前のトラブル:無し
・容疑者:松屋博(まつやひろし)。ただし決定的証拠無し
・これまでの経緯:六人目の被害者、深山由貴(みやまゆき)の証言から、監視カメラやドライブレコーダーの映像を調べ、松屋博が容疑者として挙がった。
・深山由貴の証言について:深山由貴はアルバイトに応募し、指定された日時、場所に向かったところ、黒い服を着た男に拉致されたという。拉致された後のことは覚えていないらしいが、『本屋にいる夢をみた』とのこと。
・松屋博について:彼は、深山だけでなく一連の失踪事件にも深く関与していると考えられる。しかし、決定的な証拠が無く、逮捕には至らなかった。
・■■市について:■■市では、以前、連続窃盗事件が発生した。容疑者、榎森恭司(えのもりきょうじ)は『全部本屋で買った』と供述していたが、そのような本屋の存在は確認できなかった。
・誘拐事件と窃盗事件に関係はあるか?:『本屋』という共通点が気にかかる。しかし、捜査したが手がかりは得られなかった。
付録二・飛騨智道の日記(抜粋)
松屋を見た。■■市のスーパーで。
こんなところで遭遇するとは思っていなかった。
松屋のことはよく知っている。行方不明事件の容疑者だ。あの事件は結局、未解決のままだ。捜査も進んでいない。刑事として不甲斐なく思う。
松屋は休憩コーナーで缶ビールを飲んでいた。私が彼の死角から様子を窺っていると、やがて缶をゴミ箱に捨て、外へ出ていった。私はあとをつけた。休日に行動確認などしたくないし、バレたら面倒なことになるのは分かっていたが、どうしても松屋が気になった。
松屋はスーパーの駐車場を横切り、細い道を行き、寂れた商店街をブラブラし始めた。商店街の店の大半はシャッターが下りている。彼は人気のない通りをプラプラと歩いていたが、突然進路を変え、その姿が消えた。私は彼のあとを追った。
松屋が消えた先には、店と店の間の、幅五十センチほどの隙間があった。この隙間を歩いていく彼の背中が見えた。隙間の向こうは明るく、道があるようだった。十分な距離を取りながら、足音を立てずに隙間に入った。
隙間を通って向こう側に出た。私の記憶では、商店街の隣は太い道路が走っていたはずだ。
しかし、そこは西日に照らされた、古い住宅街だった。道路のアスファルトには大きな亀裂が走り、立ち並ぶ家は古めかしい。
道端には、化物が立っていた。
やたら背が高く、半透明で、手足が何本もあった。明らかに人じゃない。化物としかいいようのない何かだ。
ガキの頃、婆ちゃんから、この町の伝承や化物の話を聞かされてきた。当然、そんなオカルトや迷信など信じていなかった。
しかし、この目で見てしまった以上、宗旨替えするしかない。化け物はいる。
松屋は、化物のことなど全く意に介さず道を歩いていく。化物も松屋に反応を示さない。しかし、私は尾行を続ける気にはならなかった。こんな場所にいるなど危険だ。引き返そうと、私は踵を返した。しかしそこは壁しかなかった。歩いてきたはずの建物と建物の隙間は無く、代わりにのっぺりした灰色の塀があった。帰り道がなくなってしまった。
こうなった以上、進むしかない。松屋が歩けるのだ、私が歩けないわけがない。私は足を踏み出した。
横を通り過ぎても、化物はピクリとも動かなかった。それで、私は少し落ち着きを取り戻し、尾行を再開した。
道中、様々な化物がいた。映画や漫画に出てくるような奴らがたくさんいる。だが幸いなことに、奴らは、私や松屋には興味がないらしかった。全員に無視された。
松屋はまた細い道に入ると、道の突き当たりにたつ建物の中に入った。それは古い木造の三階建てだ。入り口の引き戸は開いていた。入り口の上には看板があったが、文字は読めなかった。明らかに怪しい店だった。中に入るのを躊躇していると、何者かに背中をドンと押された。身体がよろけてしまい、店内に入ってしまった。
店内には大量の本棚が並んでいた。本棚は、図書館で見かけるような、床から天井まである大きな本棚だ。等間隔に並んでいた。本棚と本棚の間を、化物が行ったり来たりしていた。私を背後から押した化物も、奥へ歩いていく。奴は天井に頭がつきそうなほどの巨人だった。
店内は非常に広く、どこまで本棚が続くか分からなかった。松屋の姿も見えなかった。私は本棚の間を彷徨った。並んでる本の背表紙は、どれも読めない字で書かれていた。
「おや? 貴方、どこから来られたんです?」
突然、背後から声をかけられた。私は文字通り跳び上がった。振り返ると、人間の男性が立っていた。シャツにジーンズ、その上からエプロンをつけていた。この化物だらけの世界で、松屋以外で初めて見た人間だった。
「こ、ここはどこです?」
私は尋ねた。
「ここは化物、妖怪といった、いわゆる人外のお客様向けの書店です」
「それは一体……どういう意味すか?」
「そのままの意味です。周りのお客様をご覧ください。ここは人間向けの場所ではございません」
店員の言い方はとても丁寧だった。その態度がかえって恐ろしかった。
「貴方はどうやって来店されたのですか? どの入り口から来られたのです?」
正直に話さないとマズいことになる予感がした。私は松屋を追って、この店に来たと説明した。
店員は、瞬き一つせずに私の話を聞いていた。
「なるほど。そういう経緯でしたか。次から対策を取ることにします」
「対策は有難いですが、ここから帰る方法を教えてくれませんか」
「それが難しいのです。色々と条件が整わないと、向こうの世界への門が開かなくて」
「では、ここから出られないんですか? 私も、松屋も帰れないのですか?」
「松屋様は帰ることができます。あの方はどこにでも行けますから」
「どこにでも……?」
ふと、背後から視線を感じた。私は振り返った。
少し離れた場所に、松屋が立っていた。
だが、その松屋は、私が知っている松屋とはまるで違っていた。
首から下は人間だった。手足が二本ずつあり、尾行した松屋と同じ服装だった。
首から上は、頭が無かった。何かグネグネとした、よく分からないものが生えていた。言葉で表しようのない、気持ち悪くてグロテスクな何かだった。
松屋は人間ではない。化物だ。
「おや、松屋様。どうされましたか?」
店員が穏やかな声で話しかけた。松屋は言葉を発しなかったが、店員は「ふむ」「そうですか」と言った。そして、店員は笑顔で私を見た。
「朗報ですよ。松屋様が、貴方を元の世界へ帰してくれるそうです」
最悪だ、と私は思った。
「できれば、本屋の方に、向こうの世界の門? というのを開いて欲しいのですが」
「うちの門はいつ開くか分かりません。大丈夫です。松屋様はとても紳士的な方ですよ」
松屋は行方不明事件の犯人だ。彼が関わった人間が、何人も消えているのだ。私を家に帰すはずがない。私は、松屋を尾行した事を後悔した。自分の迂闊さを呪った。
松屋が私のもとへ近づいた。首から上を直視してしまった。吐き気が込み上げた。死を悟った。
その時だった。店員が、「あ、すみません」と言った。
「たった今、ご注文が入りました。飛騨様、貴方です」
「は?」
背後から両肩を掴まれた。振り返ると、店員と同じエプロンをつけた女性が立っていた。
「こちらへどうぞ」
女性の店員に無理矢理歩かされた。どこをどう歩いたのかは分からないが、気がつけば、紀伊國屋のような場所にいた。明るい雰囲気のチェーン店の書店の中だった。
カラフルな表紙が並ぶ本棚の前に、後藤が立っていた。後藤は私を見ると、ぱっと笑顔になった。
「あ、先輩! こんなところで会うとは!」
「お前、なんでここに?」
「まえに飲み屋で先輩が話していた事件の話をもう一度聞きたかったんです。ほら、あの心霊現象の話。次の動画のネタにしようと思って」
そういえば後藤は、動画投稿が趣味だった。
「あの時は酔ってたし、全然メモとかとってなかったんで、よく思い出せなくて。もう一度話してくれませんか? もちろん個人情報は匿名にしますんで!」
よく通る明るい声が店内に響く。
「……どうしてここに来たんだ?」
「休憩時間に外を散歩してたら、この本屋を見つけたんです。ブラブラしてたら先輩に会って、びっくりしましたよ」
「……すまん。ちょっと店員と話があるんだ。先に外へ出てくれないか?」
「え? 分かりました」
後藤が去った後、私は傍に立つ店員に尋ねた。これはどういうことか、と。
「後藤様が、飛騨様が語ったお話をもう一度知りたいと希望されました。貴方のお話は文書化されておらず、もう一度聞くには貴方自身が必要です。なのでこちらにお連れしました」
言われた意味を、頭の中で何度も繰り返した。しかしよく意味が分からなかった。
「い、いくらかかったんですか? 後藤はいくら支払ったんですか?」
もし後藤が金を払ったなら、後で返さなければならないと思った。
「お代は頂戴しておりません。これは人間様向けのサービスです。
当店は、人間のお客様が探している書物・文書・記録・書類等を提供するサービスを行なっています。当店のサービスなので、無料です。安全も担保されていますので、ご安心ください。さあ、どうぞお帰りください」
私は店員の誘導で、店の出口へ歩かされた。ガラス戸の向こうでは、後藤がスマホを触っていた。チャラチャラした奴だと思っていたが、今回はこいつに助けられた。今度、酒の一杯でも奢ろう。
その時、脳に電撃が走った。
私は振り返り、店員に尋ねた。
「行方不明になった人間を探しているんです。もしその人間しか知らない物語を探しにここへくれば、その人が帰ってくるんですか?」
「理論的には可能です。ですが、探す対象は、人間のお客様が一度読むか、見るか、聞くかしたものに限ります。また、いつ門が開通し、店が開くかは分かりません」
「それでも、できる限りでいいので協力してほしいのです。人が何人も消えていて、その犯人はおそらく松屋です。普通の人間の力では、彼らを取り戻せないのです」
「事情は分かりました。あなた方ばかりを優遇することはできませんが、もし次に当店に来られた場合は歓迎します。さあ、そろそろ店を出てください」
出口のドアがひとりでに開き、私は店員に背中を押された。外は見慣れた住宅街の中だ。
「先輩、それでは早速ですが、お話を──」
「それどころじゃない、署に行く」
「え?」
「急ぎだ。後藤、お前も来い。頼みたいことがある」
「いや、俺、今日休みなんですが」
後藤は口を尖らせた。これだから最近の若者は。
「じゃあ帰っていい。だが後で連絡するから、すぐ出れるようにしておけ。お前の趣味の動画にも関わるから」
「分かりました、待ってます」
機嫌を良くした後藤は、軽い足取りで帰っていった。
私は署に戻り、行方不明者を発見する算段を考えた。
手書きの対応手順書:■■市で発生する行方不明事件の対応について
■■市内で発生した行方不明事件で、捜査が難航している場合、また捜査線上に松屋博(写真1参照)が浮上した場合、特別相談室は次の対応手順をとる。
【対応手順】
一:特別相談室の相談員は、行方不明者が親しくしていた人物、家族や友人(以下、キーパーソン)などに聞き込みを行い、行方不明者がかつて語った、文章化されていないエピソードをある程度、思い出してもらう。
二:キーパーソンにそのエピソードを「知りたい」と思いながら、■■市内で生活してもらう。
三:キーパーソンが生活中、見慣れない本屋を見つけた場合、店名を確認してもらう。店名が『新月書林』だった場合、キーパーソンは、店内に入る。
四:店の店員にエピソード内容を話し、エピソードをもう一度聞きたいと依頼する(注意:行方不明者を探しているという言い方は効果が不安定なので推奨しない)。
五:行方不明者が店員に連れて来られたら、キーパーソンは行方不明者と共に、速やかに家を出る。
六:キーパーソンは特別捜査相談員に、行方不明者を発見したことを連絡する。
【注意事項】
一般社会の常識から外れた、オカルトな方法を用いる。そのため、この手順を知る者は、特別相談室の相談員および、行方不明者とそのキーパーソンに限られる。前述した者以外に、この手順を教えてはならない。
市内で松屋博を見かけたら、絶対に、速やかにその場を立ち去ること。
【付記】
特別相談室が設立されるきっかけとなった経緯が書かれた文書を別紙に添付する。
〇〇年〇〇月〇〇日 特別相談室 相談長 飛騨智道