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第十七話 朗らかな読み上げ

 夕方の五時半。仕事を終えた三神仁(みかみじん)は、バス停のベンチに座っていた。
 カバンの中でスマートフォンが震える。手にとって操作すると、男性の合成音声が『新着メッセージ、一件』と読み上げる。
「メッセージを読み上げて」
 そう指示すると、合成音声が内容を再生する。
『【狭山】久しぶり。俺のこと、まだ覚えてるか?』
 もちろん覚えている。仁は、狭山のよく響く笑い声を思い出した。小中高と同じ学校で過ごした友達だ。卒業以来会えていない。実に久々の連絡だ。
『今日連絡したのは、篠原さんのことなんだけど』
 その名前を聞いた途端、仁の心臓が跳ねた。
 胸の内が熱くなる。懐かしい親愛の情が蘇る。
『篠原さんが出てた回の、ラジオ放送の録音データを持ってないか? 篠原さんが探してるんだ』
 持っている、と言おうとして、仁は口を閉じる。
(あの録音データ……どこにやったっけ)
 昔の記憶の糸を引っ張る間も、ボイスメッセージは流れる。
『詳しい話は後でまた送る。それじゃあ。あと、今度、どこかで飲もうな』
 再生が終わった。仁は「後で家に帰ったら探してみる」と返信する。
 バスがやってきた。仁は乗車し、入口に近い席に座った。車内に流れる音声案内を聞きながら、中学生の頃を思い出した。


 仁の地元のラジオ放送局には、『子どもラジオクラブ』という特別番組があった。これは県内の小・中・高校生の子ども達が月に二回放送するラジオ番組だ。それぞれの学校から、希望する生徒が一人か二人参加して、構成や台本や演出を考え、ラジオを放送する。大人がある程度手伝うものの、基本的には子ども達が案を出し合い、取材し、放送する、本格的なものだった。
 仁は盲学校の中学一年生代表として参加した。ラジオや動画が好きなので、それはもうワクワクしながら教師と一緒に放送局に向かった。
 放送局に着くと、会議室に通された。仁が部屋に入った時には、すでに何人か生徒がいた。喋ってる人はいなかった。机にある紙をめくる音、壁の時計の音、誰かの呼吸の音が聞こえた。
 職員に促されて椅子に座った。左に先生が座る。右には誰かが座っている気配がした。
 それから数分後、ドアが開き、子どもと大人が数人入ってきた。ガタガタと椅子を引いて座る音がした後、ようやく会議が始まった。
「さて、皆さんお集まりいただいたので、企画会議を始めます。まずは皆さん、簡単な自己紹介をしてください。右端に座ってる君から、時計回りにどうぞ」
 なんとか小学校の誰々です、と参加者が一人ずつ話していき、やがて仁の右隣の人の番になった。
「──中学校一年生の、篠原葉月(しのはらはづき)です。よろしくお願いします」
 その声を聞いた瞬間、仁は、
(あれ? この声は、もしかして)
 と思った。仁はその声に聞き覚えがあった。
 仁がよく見る実況動画の投稿主の声である。
 仁は時間があればしょっちゅう、動画やラジオを聞いていた。ジャンルはほとんどがゲーム実況であった。様々な実況者のチャンネルを渡り歩いていたが、その中に「りーふチャンネル」というものがあった。
 元気溌剌とした女の子が、アクションゲームをプレイする、というものだった。時々彼女の父親も一緒に実況プレイをしていた。登録者数は多くなかったが、仁は彼女の実況が一番好きだった。
 その実況と同じ声が、仁の右隣から聞こえたのだ。滑舌の良い、聞く者の気持ちを元気にさせる、よく通る声。
(マジか。マジで、りーふさんが隣にいる)
 衝撃が大きすぎて、仁は固まってしまった。葉月が自己紹介を終え着席した後も、仁は動けなかった。教師に促されてようやく我にかえり、仁はやっと自己紹介をした。その後、番組の企画会議が始まったが、仁は気もそぞろだった。
 生徒達の自己紹介が終わると、テレビ局のスタッフが紙を配り、番組の制作についての説明を始めた。
 番組制作は二人一組で行う。大抵の場合、同じ学校の生徒同士ペアになるが、一人しか代表者がいない場合は、他校の生徒でペアを作る。
「そこの二人──ええと、篠原さんと三神くん。ペアになってください」
 スタッフが言った。仁は内心舞い上がった。
「よろしくお願いします、三神くん」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
 緊張のあまり、仁はしどろもどろになってしまう。
「早速だけど、どんなニュースにする? 名所とか、有名人のインタビューとか。さっき貰った紙に色々書いてあるけど、読み上げようか?」
「うん、ありがとう」
 二人で話し合い、ニュースの内容を二つ決めた。一つ目は央蓮寺の不思議な伝説。二つ目は、題名を忘れた本が見つかる不思議な本屋の伝説。どちらもこの地方では有名な話だ。ラジオ番組にぴったりである。
 題材の次は、取材地だ。学校とテレビ局が決めた取材日に、どこへ行くかを決めなければならない。二人は央蓮寺と市立図書館に行くことに決めた。お寺の僧侶に伝説について話を聞き、市立図書館で新月書林のことを調べるのだ。
 取材日、教師と共に央蓮寺にやってきた二人は、僧侶に話を聞き、寺の中を歩いて回った。その時、教師達が僧侶と話をするために離れ、仁と葉月の二人きりになる時間があった。
「あの、篠原さんは『りーふちゃんねる』の人?」
「え! 知ってるの?」
 葉月の驚きの声は、仁が今まで聞いた中で最も大きな声だった。
「うん。よく見てるよ。いつも面白いから」
「見てくれてありがとう! でも、恥ずかしいな」
 葉月はそう言い、恥じらいを誤魔化すかのように笑った。
「どの動画が面白い?」
「どれも面白いけど、一昨日のバトロワ優勝動画は面白かったよ。チャンピオンになった瞬間の喜びの悲鳴が良かった」
「あれ、ほんっっっっとうに大変だったんだよ! ずっと負けっぱなしだったからさぁ。どんだけ練習したか、もう」
「聞いててとてもよく分かったよ、その気持ち」
 葉月は動画制作とゲームのプレイについて、ひとしきり苦労話を語った。
「視聴者として、これからはどんな動画が見たい?」
「え? どんな動画でも見るよ」
「そう言わずに。なんでもリクエストしてよ」
「じゃあ、朗読動画とか」
「ろーどく?」
 葉月はピンと来ていない様子だった。
「本の朗読をする動画だよ。俺は実況以外だと、そういうのもよく聞くから」
「なんで朗読? 自分で読めば──」
 葉月ははっと息を飲んだ。
「ご、ごめん。ごめんなさい。気づかなかった」
 仁は曖昧に笑った。正月や盆に集まる親戚も、同じ反応をしていた。
「そういう需要があるんだね。気づかなかった。よし、私もやってみるよ!」
 葉月は意気込んだ。
 教師が戻ってきて、その話は終わった。仁は葉月と一緒に僧侶に取材をした。その後は図書館に行き調べ物をした。
 何度かの打ち合わせを経て、二人はラジオで放送した。放送は成功に終わった。
 二人の交流は、ラジオ放送が終わっても続いた。
 りーふちゃんねるには、朗読動画が増えた。葉月は、『走れメロス』や『羅生門』といった古典や、視聴者が考えたオリジナルの物語を朗読した。
 実況動画と比べると、再生数の伸びは悪かった。しかし彼女は投稿し続けたし、仁は全て再生して聞き入った。
『ヒマ? 今からどっか食べに行かない?』
 放課後、携帯電話に葉月からボイスメッセージが入ると、仁はすぐに『行く』と返事した。
 二人の行きつけの店は国道沿いのファミレスだった。その店は、校門前から路線バスで二十分の場所にあった。大抵の場合、葉月の方が先に到着しており、
「三神くーん、こっちこっち!」
 と、仁を呼んだ。仁は葉月の向かい側の席に座った。ドリンクバーのジュース片手に、二人はダラダラと喋った。話の内容は流行りのゲームやアニメだったり、りーふちゃんねるの動画の感想だったり、その他くだらないことだったり。とにかくずっと喋っていた。
 仁は葉月の声が好きだった。朗読を聞くのが好きだった。朗読の技術そのものは拙かった。しかしそれは文字通り、朗らかな読み上げだった。聞くたびに元気が貰えた。朗読の音声データも、葉月に頼んで貰った。わざわざCDに焼き付け、繰り返し聞いた。
 しかし、学年が上がるにつれ、徐々に二人が会う頻度は減っていった。各々の学校生活が忙しくなったからだ。高校生になると、学校が離れてしまい、生活圏も変わった。彼女の動画更新の頻度も下がった。
 仁と葉月の関係は自然消滅した。その頃、彼女のりーふちゃんねるも削除された。


 バスの音声案内が、仁の目的地を告げる。彼は降車ボタンを押した。
 停留所から、アパートへ向かって歩く。周りはとても静かで、聞こえる音といったら、仁の杖が地面を叩く音くらいのものだ。
 ポケットの中のスマートフォンが震える。機械の音声が、新しいボイスメッセージが届いたことを知らせる。仁は塀にもたれかかり、片方の耳にイヤホンを入れると、メッセージを再生する。
『【狭山】篠原さん、喉の病気になって声を失ったらしい』
 狭山の声のトーンが少し下がる。
『それで、声をAIで再現しようとしてるんだそうだ。そのための音声データを探してる。何せ急な手術だったもんで、事前に録音とかもできなかったらしくてな。方々を頼って、データを集めてるらしい。もしデータがあったら教えてくれ。送るから』
 仁はイヤホンを耳から外した。我ごとのように喉が痛む。
(絶対にデータを見つけなければ。あのデータ、どうしたんだっけか。去年、実家の大掃除をした時に、処分したような……どうだったか。駄目だ、全然覚えてない。大切にしていたはずなのに)
 深々とため息をつく。ダメ元で探してみよう。仁は週末、実家に帰る算段を頭の中で立てながら、道を歩き出した。
 ふと、知らない気配を感じた。
 音も臭いも温度も、普段と変わらない。しかし、何か、知らない物が近くにいる。直感がそう告げる。
 仁は足を止め、注意深く周囲の様子を探る。
 ピンポーン、という、駅で聞くような軽いインターホンの音が鳴った。
「ようこそ。こちらは書店『新月書林』です。入り口は前方約十五メートル、右手にございます。どうぞお入りください。ようこそ、こちらは書店『新月書林です』──」
 音声アナウンスが、繰り返し流れる。
 仁は動かない。
(新月書林。あのラジオの時に調べた。探している本が見つかる、不思議な本屋……なぜそれがここに。誰かの悪戯か?)
「悪戯ではございませんよ」
 音声アナウンスが突然変わった。仁は思わず後ずさる。
「お探しの本はありませんか? 紙の本の形をしていなくても、大丈夫です。見つかりますよ。どうぞお入りください」
 この通りは住宅街。店など存在しない。本屋があるわけがない。いくらなんでも怪しすぎる。
 だが一方で、仁の耳の奥では、先ほど届いたボイスメッセージがリフレインしている。
 逡巡の末、仁は前へ歩き出した。ポケットのスマートフォンを握りしめ、いつでも通報できる準備をしておく。
 前へ十五歩、そこから右を向いて三歩。すると、地面を叩く杖の音が変わった。アスファルトではなく木の床を叩いている。叩いた時の感触も違う。
 更に一歩前へ。空気が変わる。外から室内へ入ったのが分かる。
 左斜め前に、人の気配がある。
「いらっしゃいませ。お探しの物はなんですか?」
 デパートの店員のような、落ち着いた男性の声がした。
「昔、私と友達が出演したラジオ番組の録音を探してるんです」
「こちらに用意してあります。左手にお渡ししますね」
 左手にプラスチックの何かが軽く触れた。
「CDです。ケースに入っています」
 形と大きさを確かめる。それは四角の平たいケースで、溝に指を引っ掛けると、蓋が開いた。中に触れる。CDが入っている。
「中身を聞きたいんだけど、できますか?」
「承知しました。お手を失礼します」
 CDが左手から離れた。どうやら前方にCDプレイヤーがあるらしい。店員がそれを操作する音が聞こえる。
「こんにちは、子どもラジオクラブです!」
 聞き覚えのある音声が流れ始めた。子どもの頃の仁と葉月の声だ。
「そんな、嘘だろ」
「本物でございますよ」
 再生が止まる。再び、左手にCDケースが手渡される。仁はCDをそっとカバンにしまった。
「他に何か、お探しのものはありませんか?」
「……録音データはありますか?」
 ふと、思いついたことを、仁は口にした。
「りーふちゃんねるっていう動画の、朗読動画の音声データです」
「ございます。CDが入ったファイルをお渡しします」
 また左手に物が触れる。分厚い背表紙だ。中をめくると、硬いCDが一つ一つ収められている。
「ありがとう。いくらですか?」
「お代は結構です。これは当店のサービスですから。そろそろ、閉店の時間です。どうぞ、お帰りくださいませ」
 店員に誘導され、仁は外へ出た。背後でドアが閉まる音がすると、店の気配は消えた。振り返り、杖で調べてみても、そこにあるのは住宅の塀だけだった。
 仁は急ぎ足で家に帰った。帰宅すると、早速CDをパソコンに読み込ませ、データを確認する。それらは全て、昔、仁が何度も聞き、元気を貰った朗読だった。
 仁はそれらのデータをまとめ、狭山に送った。


 数ヶ月後。
 狭山からボイスメッセージが届いた。
『【狭山】篠原さん、とても喜んでたよ。昔の音声から合成音声を作って、うまく生活してるらしい。それで、篠原さんからお礼のメッセージが届いてる。ファイルを送るよ』
 添付されているテキストファイルを開き、スマートフォンに読み上げさせる。
『お久しぶりです。篠原です。お元気ですか? データをくれてありがとうございます。本当に嬉しいです』
 メッセージの内容は、当たり障りのない近況だった。仕事や家族、病気の療養について、など。色々大変らしいが、なんとか元気にやっているらしい。
『──それで、今はね、また動画を始めたんだ。この声でゲーム実況とか朗読とか色々やってるの。よかったら、『りりーふちゃんねる』で調べてみてね』
 最後にそう言って、メッセージは終わった。
 仁は、りりーふちゃんねるを検索した。チャンネル欄のトップにある動画を再生する。
『メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を──』
 声はCDの録音を元に制作した合成音声だ。ややぎこちない声ではあるが、紛れもなく、彼女の声、彼女の朗読だ。
 仁は朗読に聞き入った。

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