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第二章-3

 シャロンの襲撃から更に数日。
 日の当たる地面の一画で、ミアは庭の若葉に水をやっていた。屋敷に来たばかりの頃はなんにも生えていない地面だったが、今はほんのわずかな一画であるものの、緑が芽生えている。
「早く花が咲かないかな?」
 ミアはうきうき顔で庭の前をうろついている。その横でヨールは金槌をふるい、ベンチを作っている。
「あんまり動き回って、うっかり芽を踏まないようにな」
 手元から顔を上げずにヨールは言った。
「分かってますよ!」
 ミアはわざとらしく頬を膨らませ、その後朗らかに笑った。
「花を咲かせなきゃいけませんから。きれいな花が咲いたら、王子様も一目見ようと窓を開けられるかもしれません」
 ミアは屋敷の二階の窓を見た。そこはディーロの部屋の窓だった。鎧戸はきつく閉ざされ、一度も開いたことはない。庭はディーロの窓からちょうど見える位置にある。
「気長に待っていればいつか会えるさ……よし、できた。座ってみて」
 ヨールは作った椅子を地面に置いた。ミアはすぐに座る。
「あー、腰が楽です。とても良いです」
「良かった。じゃあ油でも塗るか」
「油ですか?」
「油は水を弾くんだ。だから塗っておけば長持ちする」
「台所の油は量が少ないですよ」
「物置のやつを使うんだ。とってくる」
 ヨールは地面から腰をあげる。勝手口から屋敷に入り、台所をぬけて廊下を歩く。応接間(とは名ばかりの小部屋)のドアの前には、レースが立ち、いつ名前を呼ばれても良いように控えていた。ドアの向こうからはアンナとシャロンの話し声が聞こえてくる。シャロンはここ最近、毎日のようにやってきてアンナにドレスを渡せと言ってくる。
「ご機嫌のようだね」
「今はね」
 喚いても思い通りにならないと学んだためだろう、最初の頃よりも癇癪を起こすことは少なくなった。しかしいつ機嫌が悪くなるかは誰にも分からない。ヨールは主人に同情しながら、倉庫へ向かった。
 一方部屋の中では、シャロンが好戦的な目でアンナを見ている。
「もしドレスを渡してくれたら、私の指輪をあげるわ」
「お気持ちだけ受け取っておきます。指輪はあなたが大切に持っておくべきです」
 下手に物を受け取って、後々面倒なことになったら大変だ。
「なら、ネックレスはどう?」
「あなたはいつも物を渡して自分の望みを叶えようとするんですか?」
「いつもじゃないけど。でもそうね。ここに来る時は王宮の門番に渡してるわ」
 アンナは軽く頭痛を覚え、こめかみを抑えた。
「本当にそんなことをしてるんですか? 賄賂じゃないですか」
「ワイロ? へえ、そういうのね」
「『そういうのね』じゃありません。賄賂は良くないですよ。そんなことを続けていたら、貴女が本当に困った時、誰も助けてくれません」
 シャロンはむっと顔をしかめ、そっぽを向いた。
「その時は真珠のブレスレットを渡せばいいわ」
「そういう話では……だいたい、ポンポンとあげていい物ではないでしょう。宝石は高いんですよ」
「いらないわよ。白と黒ばっかりだもん」
 シャロンは吐き捨てるように言う。
「もっと前はね、色とりどりの宝石とドレスがあったのよ。でもある日突然、全部捨てられたの。赤や青の宝石も、ドレスもね」
 十歳の女の子に似合わない、低く暗い声。彼女は怒っている。癇癪の時のような怒り方ではない。もっとずっと前から心の底で燃えている怒りだ。
「お庭の花は全部刈り取られたわ。それからずっと白と黒。いくら他の色が欲しいっていっても、誰もくれないわ。みんな持ってないんですって」
 ほら見て、とシャロンは両腕を広げた。彼女のドレスは真ん中から右が黒、左が白色である。刺繍やレースといった装飾は一切ない。
「でも貴方のドレスはとても素敵。白くても、ふわふわしてて、とても綺麗。そんなの、おかしいわよ。腐れ髪のくせに」
 アンナの目つきが鋭くなった。
「私の髪は腐っていません」
「でも黒いじゃない」
「生まれつきです。私の故郷では、みんな髪が黒いんですよ」
「でも私達は茶色よ。黒いのなんか変よ」
「貴女のお屋敷に犬はいますか?」
 突然犬の話になり、シャロンは戸惑う。
「え、ええ。いるわ。猟犬が何頭も。お兄様達が狩りで使うのよ」
「犬の毛の色を思いだしてください。茶色いのも黒いのも白いのもいましたよね。でも色が違っても、犬は犬です。そうでしょう? 人も同じですよ。髪の色が違っても人は人です。変でもなんでもありません」
 むうっとシャロンは唸る。
「そう言われてみれば、そうね」
「そうでしょう? 分かったなら、二度と腐れ髪なんて言わないでくださいね。それは使ってはいけない言葉です」
「分かったわ」
 アンナは微笑んだ。
 しかし、心の中では冷や汗をダラダラと流している。
(やってしまった。私としたことが、ミアのことをとやかく言えないな)
 今後のことを考えると、急にお腹が痛くなる。この事をきっかけに同盟解消からの戦争勃発となったら。
(ああ、もっと慎重に振る舞わないと)
 アンナが苦悩している横で、シャロンは首をかしげる。
「……でもどうして犬といい人といい、色が違うのかしら」
「え? あー、えーと、昔読んだ本に似たようなことが書いてありました。場所や地域によって髪や肌の色が違うのはなぜか、と」
「肌? 肌の色も違う人がいるの?」
「オーリン地方の人々は肌が黄色いそうです。目や口の形も私達とは異なるとか。会ったことがないので分かりませんが。しかしそれでも言葉は通じるし、ちゃんとした人らしいです。他にも、砂漠地帯の人々は肌も木炭のように黒いんだとか」
「へえ。不思議ね」
 シャロンはようやく笑った。年相応の笑顔だ。
「もしかして、食べる物の違いかしらね? 砂漠の人は黒い物を食べているから肌が黒くて、オーリンの人は黄色い食べ物を食べているのかもしれないわよ」
「本を書いた人は砂漠に数年住んでいたそうですよ。黒い人たちと同じ物を食べたり飲んだりして過ごしたそうです」
「どうなったの?」
「日焼けして、肌の薄皮がボロボロむけたそうです。黒くなったとは書いていませんでしたね」
「ふうん。なら何故かしらね」
 考えこむシャロン。アンナは冷めたお茶を飲み、一息つく。怒っている時と違い、今の彼女の顔はとても愛らしく、賢く見える。
「そういえば貴女、さっき本で読んだって言ってたわよね」
「ええ」
「文字が読めるのね?」
「はい」
 シャロンは更に何か考えこむ。
「あのね、これは秘密なんだけど、私は本を持ってるの」
 彼女は小声で言った。
「一冊だけ。かわいい絵本よ。ディーロ兄様がくれたの。他の本は全部燃やされちゃったけど、これだけはうまく隠してるの。今も見つかってないのよ。今度持ってくるわ。それで読んでほしいの。私は文字が読めないから」
 アンナは考えを素早く巡らせる。その本はこの国にとって好ましい内容だろうか。もしそうでなかったら、シャロンの身が危ない。
「その本は貴女の宝物ですよね。大切にしまっておきましょう」
「でも読んでほしいわ」
 アンナは首を横にふる。その時、一瞬視界の端で何かが動いた。咄嗟に目で追う。目線の先は窓だった。鎧戸が開け放され、涼しい風が入ってくる。だが動く物は何もない。
「どうかしたの?」
「……いえ。何でもありません」
 遠くから鐘の音が聞こえてくる。夕方を告げる音だ。
「もう帰った方がよろしいでしょう。日が暮れます」
「えー、やだ」
「晩ご飯が待ってますよ。ほら」
 シャロンは渋々立ちあがる。
「明日また来るわ。本を持ってね」
「神官に見つかったら大変なのでおやめください」
「神官が何よ。絶対持ってくるわ」
 アンナは玄関でシャロンの馬車を見送った。
(ああ、マズい。面倒なことにならないといいんだけど……)
 彼女の胸の中では大きな不安が渦巻いていた。

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