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第二章-6

 正午を過ぎた頃。アンナはディーロの部屋のドアをノックした。
「こんにちは、殿下。今、レオとマオはいませんよ。ミアと一緒に庭の手入れをしていますから。お話ししませんか?」
 足元から紙が滑りでる。
『どうした?』
「お菓子です。手のひらサイズのウェーファです。良かったらどうぞ」
 アンナはバターの匂いが香る、ウェーファ山盛りのかごを床に置いた。ドア下の窓からにゅっと生白い手がのび、かごの取手を掴む。かごはドアの向こうへ消えた。それから少し経つと、紙が滑りでる。
『中に紙が入ってたぞ。本日は絶好調なりって』
「ただ作るのでは面白くないので、おみくじを入れました」
『もう一つには『虫刺され注意』だった』
「最近暑くなってきて、虫が増えてきましたからね。気をつけた方がいいですよ」
 外からミアの「わー!」という声が聞こえてくる。その後に続く言葉を聞くと、どうも肥料を盛大にぶちまけたらしい。
『そういえば、最近、シャロンが来てないな』
 おや、とアンナは呟く。ディーロが家族のことを話題にするのは珍しい。
「最近、来てないんですよ」
『そうなのか』
「はい。わがままでうるさい子だと思ってましたが、いないといないでちょっと寂しい気もします。どうしたんですかね」
『風邪でもひいたんだろうか』
「それならお見舞いの品を送らないといけませんね。あ。そういえば、彼女は以前、殿下から本をもらったと言ってました。今度持ってくるそうです」
『ああ、そんなこともあったな。まだ持っていたのか』
「どんな本なんですか?」
『絵本だったな。中身はよく覚えてないが』
 その時、外からカタカタと微かな馬車の走る音が聞こえてきた。そして正門が開く時の、独特の軋む音。
「噂をすれば、ですね。来ましたよ」
 アンナは階下へ向かった。ちょうど、玄関でレースが応対をしているところだった。シャロンは大きなつばがついた帽子を被り、襟の詰まったブラウスを着て、円錐のような形のスカートを履いている。柄はもちろん白黒タイル模様だ。後ろには護衛の騎士が数人、ついている。
「アンナ、遊びに来たわよ!」
 今日もシャロンのテンションは高い。
「久しぶりですね」
 アンナもつられて笑う。二人は応接間へ行き、ソファに腰を下ろした。レースがお茶のカップを置く。すると、シャロンは懐のポーチから小さな丸いものを取り出し、口に放りこんだ。
「それは?」
「飴よ。とっても甘いの。いる?」
「とてもありがたいのですが、残念ながら先ほど朝食を食べたばかりなのです」
「じゃあ後で食べなさいよ」
 シャロンはアンナの手に飴玉を握らせる。アンナはお礼を言って、カップのソーサーに置いた。
「最近いらっしゃいませんでしたね。何かあったのですか?」
「お歌の練習をしてたのよ」
「どんな歌ですか?」
「収穫祭の歌よ。聞きたい?」
 ニコニコ笑顔でシャロンは言った。
(収穫祭? 季節外れだな。まあいいか)
「お願いします」
 シャロンはソファから立った。胸の前で手を合わせ、歌い始める。
(あれ?)
 アンナは首をかしげる。これは聖歌だ。秋分の夜、神殿で盛大に開かれる祭りで、神に一年の恵みを感謝する歌である。
(神殿、嫌いじゃなかったの? どうしてこれを歌うんだろう……それとも、聖歌だと知らないのかな)
 歌い終わったシャロンが自信満々の顔で尋ねる。
「どうかしら?」
「とても良い歌でした。私よりずっと上手です。誰に教えてもらったんですか?」
「歌唱隊の人」
 アンナは面食らう。
(昨日の今日で、いつの間に仲良くなったの?)
「みんなね、とっても優しいの」
「そうなんですか?」
「そうよ。毎日輪になって歌を歌ってるのよ。とっても楽しいの!」
 シャロンはにこっと歯を見せて笑う。
(こんなに笑う子だったっけ?)
 朗らかに笑うよりも、顔をしかめてわがままや不平不満を言う子だった。歌唱隊は彼女にとってよほど楽しい場所らしい。
(まあ、笑うようになるのは良いこと、だよね? それに、他のことに興味が向けば、ドレスのことなんか忘れるだろうし。うん、良いことだよ)
 アンナがこくこくと一人勝手に頷いていると、シャロンが「ねえねえ」と話しかける。
「マイト兄様と何話してるわけ?」
「は?」
 目をパチクリとさせるアンナ。
「だからマイト兄様と何をしてるのよ。会ってるんでしょう? どんな話をしてるの?」
「えっと」
 話題の突然の変化に、アンナはついていけない。
「数日前に来ましたよ。花の種を持って来てくれたんですよ」
「種?」
「ええ」
 シャロンがいない間に、マイトはふらりと屋敷にやって来た。レオとマオが中へ入れることを拒むので、門で立ち話をしただけである。その時、アンナが庭の話をすると、次の日に花の種や植木鉢を持って来てくれたのだ。
「異国の花で、この国じゃ生えない種らしいです。ご覧になりますか? 可愛らしいですよ」
「それだけ?」
「それだけ、とは」
「他には何を喋ったの?」
 口調がきつい。まるで尋問を受けているようだ。
「他に大したことは。天気の話くらいですかねえ。それがどうかしたんですか?」
「ど、どうもしないわ。花を見に行くわよ、花を」
 シャロンは慌てて目を逸らし立ちあがる。口に含んだ飴玉をガリガリ噛み砕きながら、部屋から出ていった。
(挙動不審だな。どうしたんだろう)
 首をかしげつつ、アンナも部屋を出てシャロンの後をついていく。シャロンはトコトコと走っていたが、勝手口の前で不意に足を止めた。
「どうかしたんですか? ほら、あそこに赤い花が咲いてますよ」
 アンナが指差した先は、塀の根元だった。そこを、くるぶし丈の草花が真紅に染めている。
「眩しい!」
 シャロンは目元を押さえてうめく。
「何にも見えないわ……帽子を取ってちょうだい」
 アンナは空を見上げた。今日は曇りだ。太陽は分厚い雲に隠れてしまっている。
「早く取って! 痛い! 目が、焼ける!」
 声を荒げるシャロン。庭作業をしていたミア達が一斉に振り返った。
 今までも怒鳴ったり癇癪を起こすことはあった。しかし今のシャロンは、その時とは全然違う。尋常ではない。
 近くにいたレースがすぐに帽子を取ってくる。シャロンの頭に被せると、彼女はいくらか落ち着いた。
「大丈夫ですか? 体調が悪いんですか?」
「そんなことないわ。花はどこ?」
 歩きだすシャロン。しかし足元がおぼつかない。アンナは駆け寄り、彼女の額に手を当てた。熱があるのでは、と思ったからだ。しかし、その顔を間近で見た瞬間、アンナの産毛が泡立った。
 シャロンの瞳孔は、死人のように大きく開いていた。
「ヨール! 水を汲んできて、ありったけ! レースとミアは客室の準備を! 休ませないと!」
 命令を下しながら、シャロンを台所へ連れていく。そして、持っていたポーチを奪って中身を取りだし、ペロリと舐めて顔をしかめた。
「これが何か分かる?」
 飴玉をレオとマオに見せる。二人は即座に答える。
「神殿の週末祭礼で配られる飴です」
「やっぱり」
 アンナは中身を全てかまどに放りこみ、火をつけた。後ろでシャロンが何をするの、と悲鳴をあげる。
 深々とため息をつき、アンナは振り返った。
「これはメヤキの汁から作られた飴だよ。メヤキは、少量なら、落ちこんだ気分を高揚させる薬になる。だけど取りすぎると目が潰れてしまう。そして魂が壊れてしまう。私の母親もこれで死んだよ」
 ヨールが大きなバケツをいくつも持って台所に入ってくると、中の水を水差しに入れ、アンナに渡した。
「できるだけたくさん飲んで。身体の中に入った汁を少しでも薄めなきゃ」
「ええ?」
「いいから。ゆっくりと飲んで」
 水差しを口にあてがうアンナ。シャロンは言われるがまま水を飲む。
「吐きださせるのですか?」
 レオが尋ねた。
「いいや。目まで毒が回ってるから、そんなことしても意味がないよ。できるだけ水を取って、尿と一緒に毒を出させる」
「ですが、神殿では聞いたことがありませんよ。目が潰れるとか、魂が壊れるとか」
「そう? 私は聞いたよ。神官からね」
「神官から? それは本物ですか?」
「本物中の本物だよ。アルケ神殿から国に派遣された第二位の大神官さ。そういうわけだから、私の故郷では、メヤキは重病人にしか与えられない。間違っても煮詰めて飴玉にして子どもに食べさせたりしない。すぐに目と心をやられてしまう」
 水差しが空になる。即座に水を汲み、またあてがう。これを繰り返す。部屋を整え終わったレースとミアも手伝った。しんどい、とシャロンが弱々しく呟くと、カーテンを閉じた客室へ運び、ベッドに寝かせた。
「シャロン様。最後に教えてください。貴女は神官に飴玉をもらい、その代わりにマイトのことを聞くよう頼まれたんですか?」
「うん。みんなで歌を歌ってたの。いっぱい飴を食べたわ。そしたらマイト兄様のことを聞けって」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます。こまめに水を飲みつつ、ここで休んでいてください」
 アンナは毛布をかけた。レースとミアに看病に関する注意を一言二言伝えた後、部屋を後にする。
「アンナ様。シャロン様は助かるんですか?」
 ドアを見つめるヨールが尋ねた。
「祈るしかないよ」
 アンナは壁にもたれかかり、深々とため息をつく。
(子どもをヤク漬けにして間諜に仕立てあげる──そんなことして本当に欲しい情報が手に入ると思ったのか?)
 この国の神官はおバカらしい。しかも性根が腐っている。なのに国王に気に入られているもんだから非常にタチが悪い。
「これからどうするんですか?」
 アンナはしばらく考えた末に答えた。
「王宮に連絡する」

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