第二章-7
アンナは二階の廊下を歩きながら考える。
(あの人はこの国の現状をどう思ってるんだろう。まさか殿下までバカ神官どもの信者じゃないよね? そうじゃないといいんだけど)
アンナはディーロの部屋のドアをノックした。
「殿下。シャロン様が神官に毒をもられました。今は眠っています」
『大丈夫なのか?』
早速、紙が出てきた。まるで部屋の外の様子が知りたくて、ドアの前でヤキモキしながら待っていたかのようだ。
「それは分かりません。私は医者ではありませんから」
『ならば、医者を呼ばないと』
「私はこの国の医者について知りません。殿下は誰か良い医者をご存知なんですか?」
『知ってるけど、父上がよこしてくれるとは思えない』
「なぜ?」
『僕のことが嫌いだから。きっと聞いてくれないよ』
「ローゼ陛下はどうでしょう。お茶会でお会いした時、陛下ほどこちらを嫌っているようには見えませんでしたが」
『誰も、僕の言うことなんか聞いてくれない』
「私の言うことも聞いてくれませんよ」
アンナはそう言うと一旦言葉を切り、息を吸った。
「殿下。シャロンは死にかけています。一刻も早く、医者を呼ばなければなりません。分かりますか? ここでアレコレ言ってる暇はないのです。誰がどれほど嫌おうと、貴方は正真正銘本物の王子で、シャロン様は本物の王女です。貴方が手紙を書き、呼べば来てくれるでしょう。まともな医者の当てはないのですか?」
返事は出てこない。アンナはドアと、ドアの先にいるはずのディーロをじっと見つめ、辛抱強く待つ。そうしていると、ようやく紙が出てくる。
『分かった。今から書く』
ようやくアンナは微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
そこからさらにしばらく待ち、アンナはディーロの手紙を受け取った。手紙をシャロンの護衛の騎士に渡す。馬車はすぐに王都へ帰っていった。
「本当に手紙は届くのでしょうか?」
ヨールはアンナに問う。
「届くと思うよ。届かなくても、王女がいつまでたっても帰ってこなかったら、誰もが不審に思う。だから無視はされないだろう」
ヨールの顔は曇ったままだ。
「医者に扮した暗殺者が来たらどうします?」
アンナは無言でポケットから封筒を取り出す。
「殿下は二通用意してくださった」
ヨールは目を丸くする。
「一通はさっきの騎士に渡したけど、もう一通はここにある。これを、ネラシュ村の人間に届けてもらうんだよ。王家の一大事とあれば、彼らは全速力で王宮へ向かうだろう。だからヨール、今すぐこれを村長へ届けて」
「レオとマオが良い顔をしないでしょう」
「こっちで押さえておく。急いで行ってきて」
「かしこまりました」
アンナは双子を連れ、シャロンの部屋に入った。その間にヨールは塀をよじ登って屋敷を出た。
シャロンの症状は芳しくない。冷や汗をだらだらとかき、目はぎょろぎょろと動いている。飴が欲しいと弱々しく、あるいは乱暴に訴える。
「一粒くらい食べさせたらどうでしょうか」
マオの問いにアンナは首を横に振る。
「レオ、これを下に運んで。新しいのを持って来て」
レオが清潔な布を持って帰ってくる。マオはシャロンの身体をふく。アンナはその隣で、カップに水を入れ、シャロンに飲ませる。
日が陰り始めた頃。ようやく、外から馬車の音が聞こえてきた。アンナはすぐに窓に駆け寄った。
丘を登ってきた馬車は、非常に立派な仕立ての四頭馬車。側面に王家の紋章が描かれている。馬車は正門で止まった。一人の痩せた老人が降りてくる。
ミアを呼び、似顔絵を描かせる。それをアンナはディーロの元へ持っていく。
「これが誰か分かりますか?」
『メディさんだ。医者だよ。小さい頃、風邪で熱を出すとすぐに来てくれた。彼が来たんだったら、ひとまず安心だ』
アンナはよっしゃ! と小声で叫んだ。
メディ医師は出迎えた黒髪の女主人を見ても驚かず、すぐにシャロンを診察した。
「明後日まではこの状態が続くでしょう。どれだけ懇願されても、絶対にメヤキの汁を与えないでくださいね。暴れるようでしたら、この薬を飲ませてください。そうすれば落ち着くでしょう。あとは、今まで通り水をたくさん飲ませてください」
医師はアンナに薬の入った巾着を手渡した。そして、アンナの耳元で囁く。
「それから、メヤキのことを毒だと口外しないように。神官に消されますよ」
声音に恐怖が混じっている。
「ありがとうございます。あの、また来てくださいますよね?」
「もちろん。明日の朝、様子を見に伺います」
医師が乗った馬車を、アンナは玄関から見送った。
いつの間にか帰ってきたヨールが、アンナのそばにやってくる。
「どうにかなりそうですね」
「まあね。今から大変だと思うけど……」
「そうなんですか?」
「うん。大神官の言葉が確かなら」
アンナはため息をついた。