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第三章-1

 食事会の手紙を貰った、次の日。
 アンナはドレッサーの前に座っていた。ぼーっと前方に顔を向けたまま微動だにしない。白紙の束と鵞ペンが無造作に置かれている。
(捕まった妖精が魔法の壺に入れられて、ぐったりしているところを親切な人間に助け出される。それでローゼは何を話すんだろうか。食事会には何人集まる? 妖精はその人間に更に悪戯を仕掛けて、彼の大切なロバを奪う。食事会には何を着ていこうかな)
 食事会と小説で思考が大混線している。混雑したまま、アンナはどんどん思考を進める。
「シャロンさまー!」
 外にいるミアの声に、アンナは絡まった糸から脱出した。
「シャロンさまー、待って!」
 アンナは窓を少し開けた。塀の横を、シャロンが笑いながら走っていく。昨日あれほどブーたれていたシャロンだったが、早くもここの暮らしに慣れてきたようだ。
(ミアなら良い遊び相手になるだろうし、良かったね)
「メモ帳を返してください!」
 窓を閉めようとした手が止まる。身を乗り出し、シャロンの背中を目で追いかける。彼女の右手で、紙の束がヒラヒラしている。
(あの馬鹿!)
 アンナの顔が一気に険しくなる。素早く部屋を出ると、階段を駆けおり、外へ出た。ちょうど走ってきたシャロンの前に立ちはだかり、メモ帳を奪い取る。息を切らしたミアに、メモ帳を渡す。
「あ、ありがとうございます」
 アンナは地面にかがみ、シャロンと目線を合わせる。
「仕事の邪魔をしてはいけません」
 最初は、身分の高い王女だし、機嫌を損ねたらマズいと思って接していたが、そうするとシャロンのわがままがエスカレートする。
『叱ってもいいよ。あの子の言うことをそのまま聞いてたら、この家は崩壊してしまうよ』
「王家との関係が悪化しませんでしょうか?」
『ぶったりするとマズいだろうけど、機嫌が良い時には、ちゃんと言えば聞いてくれると思う』
 ディーロの助言に従い、アンナは務めて穏やかな声で言う。
「ミアはメモ帳がなければ、仕事ができません。彼女から手帳を取ってはいけません。それに、ミアは仕事中です。遊びの時間ではありません」
 シャロンはムスッと膨れた。
「何が書いてあるのか気になっただけよ」
「だったら一言尋ねたらいいだけでしょう」
「ミア、それには何が書いてあるの?」
 ミアはメモ帳をパラパラとめくった。
「今日やることとかをメモってありますよ。『昼食。水を汲む』ってありますから、今から水を汲みに裏の井戸へ行くところです」
「いつもそうやってメモってるの?」
 マオに聞かれ、ミアはえへへと笑い声を立てる。
「私、言われた事を覚えていられないので、こうやって書いてるんですよ」
「文字が読めるの?」
「ええ、アンナ様に教えてもらいました」
「何か書いてみてよ」
 アンナはこほん、と咳払いをする。
「シャロン様、ミアは仕事中ですから、仕事が終わった頃に遊んでもらったらいかがでしょうか?」
「仕事が終わったら書いてるところ見せて?」
「はい、わかりました!」
 ミアはポケットから、インクつぼと鵞ペンを取り出した。右手にメモ帳とペンを持ち、左手で鵞ペンを持つ。片手で器用につぼの蓋を開けると、ペン先をインクに浸し、メモ帳にメモする。『仕事が終わったら文字を書いているところを見せる』と。
「それでは、失礼します」
 ミアは走り去った。
「メモするところが見れてよかったですね」
 ミアの背中を見送り、アンナは言う。
「左手でペンを持つのね」
「あの子は左利きですね」
「へえ」
 早くもシャロンは興味を失ったようだ。彼女のほっぺたには、暇、とそのほっぺたに大きく書かれている。
(まあ、うん。気持ちは分かるけれど)
 ここには本も何もない。同年代の子どもいなければ、外に遊びに行くこともできない。
「お絵かきや作文でもしますか? 紙とペンならありますよ」
「ヤだ。何か図鑑とか何かないの?」
「図鑑はないですね……」
 印刷技術が広まった世の中でも、図鑑はまだまだ高価だ。発色の良い、綺麗な絵を印刷する技術がないからである。だから職人が一枚一枚手書きで絵を描かなければならない。貴族や王族が大金を払って買うものだ。
(食事会でローゼに頼んでみるか。他にもカードとかチェッカーとか、おもちゃをもらってこないと。このままじゃあの子が何をしでかすかわかったもんじゃない)
 ため息をつくアンナ。気がつけば、シャロンはもう隣にいない。もうどこかへ行ってしまったようだ。
(部屋へ戻るか)
 アンナは屋敷の中へ戻る。
 一方、シャロンはブラブラと外を歩き回っていた。
(ヒマ。とにかく、ヒマ)
 庭を作っているヨールの横を通りすぎ、高い塀に沿って歩く。壁はツルツル、上るための足掛かりもない。
 シャロンは壁を軽く触りながら屋敷の北側へまわる。ひょろひょろした雑草と裏門、トイレ、それから屋敷にへばりつくようにして物置が立っている。
(何かないかしら)
 シャロンは物置に入った。
 薄暗い。臭い。埃っぽい。そこらじゅうにガラクタが積まれている。古い家具や板、大きな袋、よく分からない何か。
 シャロンは家具の隙間を通り抜け、大きな袋によじのぼり、埃まみれの床を歩く。物置はそれほど広くなく、すぐに部屋のすみに行き着く。シャロンはパタパタとスカートの裾をはたきながら、壁に寄りかかった。
 すると、壁がギィ、と軋んだ。
(あら?)
 壁をコンコンと叩く。向こう側は空洞のようだ。他の部分を叩いてみる。今度は鈍い音がする。
(ここだけ違う?)
 シャロンは目をこらす。
 一見、ただの壁に見える。しかし、どうもそこだけ色が違うし、色の境目に細い溝がある。
(もしかして、ドア?)
 壁を押してみる。多少動くが、何かつっかえている感じがある。小さい小さい、小指の先よりも小さな鍵穴だ。
(この鍵、どこにあるのかしら? アンナ達が隠してるの?)
 胸の中で、モクモクと楽しい気分が湧いてくる。
(鍵を見つけよう。そしてここから出て、探検するのよ!)
 シャロンの唇がにんまりと曲がる。そしてフフフ、と笑ったのだった。

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