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第三章-4

 食事会当日、アンナはお茶会の日のようにドレスの着付けをした。
 黒一色のドレスで、スカートには縞瑪瑙のビーズがついている。
 それから前と同じように化粧をして、黒い羽の髪飾りをつけた。上から下まで黒一色のスタイルだ。夜の食事会だし、これでいいだろう。
 そして、待つこと数時間。空が茜色になってきた頃、馬車が到着した。前と同じ形の馬車だ。今回乗るのは、アンナと、何故かついてくるマオである。
 馬車は夕暮れの丘を順調に走る。車内は先日と打って変わって静かだ……とアンナが思っていたら、マオが「奥方様」と話しかけた。
「先日、クロニト大神官のお話をされましたね」
「え? ああ、そうだったね」
「あれから調べました」
「へえ。それで?」
「いませんでした」
「は?」
「クロニト大神官という方は存在していません。今も昔も」
 マオはゆっくりと、そう言った。
 アンナはかぶりをふる。
「そんなのあり得ない。彼はアルケ神殿から来た人だ。他の国との合同行事にも、彼は他国の神官と参加していたし、それで問題は起きなかった。調べ方が間違っていたんじゃないの?」
「その行事とは、何の行事ですか?」
「イカリ連山の秋分巡礼。去年も行ってた」
 マオは口を閉ざした。
 イカリ連山の秋分巡礼は、最も有名な巡礼の一つで、兼、各国の王と大神官が集まる会談の場だ。
 そこに偽物が混じることなどできない。アンナはそう言いたいし、マオもそのことを分かっている。
「もう一度、調べ直してみた方がいいよ」
 馬車が王宮の正門前で止まる。
「……ああ、もう着いた。続きはまた後で」
 夜の王宮は、大きな篝火がたかれ、多くの馬車がある。城の中では宴会が行われているのだろうか。玄関の前には、使用人がずらりと並び、アンナの来訪を待っていた。
(今回は正式な客として扱われるんだね)
 中に入ると、立派なシャンデリアが輝く大広間だ。しかし、シャンデリアのろうそくが照らすものは、黒い絨毯と白いタペストリーのみ。ひどく味気ない。少し遠くから、誰かの笑い声や笛の音が聞こえてくる。
 使用人の案内に従い、中央の階段を上り、廊下を歩き、ある部屋に入った。入った途端、中にいた先客の視線が一斉にアンナに集まる。半分好奇心、もう半分は侮蔑心。
 アンナは微笑むと、一歩足を踏みこむ。お茶会の部屋と同じくらいの広さだ。白い長テーブルと、黒い椅子。先に来ていた客人は六人。全員女性だ。椅子に座ったり壁際に立ったりと、各々くつろいだ様子だ。
「初めまして。貴女がティルクスからいらした方ですか?」
 入り口に近い場所に立っていた女性が、アンナに話しかける。
「はい。アンナと申します」
「私はマリー・ベルーネと申します。貴女がシャロン様の看病をなさっているとうかがい、一度お目にかかりたいと存じていました」
「ありがとうございます」
 シャロンが屋敷にいることは周知されているらしい。
「みなさんの紹介をいたしますわ。こちらの方は──」
 ベルーネ夫人の口から、とうとうと人名が流れてくる。聞いたそばからアンナは忘れる。人の名前を覚えるのは苦手なのだ。
(レースがここにいればなあ)
 心の中でぼやく。
 そうこうしていると、一人の使用人が入ってきた。
「まもなく妃殿下がいらっしゃいます」
 部屋に緊張が走る。客人は急いで席についた。アンナも指定された座る。上座の、ローゼの席に近い場所だ。
 そして数分後、ローゼがゆっくりとやってきた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。ここに集まってくださったことを嬉しく思います。さて、今日は王族の新たな一員を紹介します。ディーロの妻、アンナです」
 アンナは席を立ち、改めて自己紹介をする。その後、ベルーネ夫人をはじめ他の人々も、改めて自己紹介をした。その後、待ちに待った食事が次々と運ばれてくる。
 まずは白パンが入ったかご。続いて、大皿に乗った鹿肉のあぶり焼き。テーブルに置かれた瞬間、ハーブの匂いがふわりと香る。そして透明なガラスの器に注がれるぶどう酒。口の中に唾が広がる。
「友好の証に」
 ローゼの乾杯の合図で食事が始まった。アンナはかごからパンを取り、バターをつけて一口食べる。
(ふわっふわ! どうにかして持って帰れないかな)
 しかし人が見ている手前、こっそりポケットに入れるわけにもいかない。渋々諦めつつ、鶏肉に手を伸ばす。ナイフで切り分け口に運ぶ。噛むたび、鼻の奥にすっきりした香りが広がる。この料理の半分は香りでできているに違いない。
「今日の鹿肉は、狩りでベルーネ伯爵が仕留めたものです」
 ローゼが言った。アンナの斜め左前に座っているベルーネ夫人に視線が集まり、拍手が送られる。彼女はにこやかな笑みを浮かべた。何のことだろう、とアンナが戸惑っていると、ローゼが王家伝統の初夏の狩りがあったと教えてくれた。今夜は城の別の部屋でその宴会も行われているらしい。
「ありがとうございます、妃殿下。夫は今日の狩りで腕前を示そうと、今まで弓矢の練習をしてまいりました」
「なるほど。そちらの領地の様子はいかがですか?」
「順調ですよ。作物もすくすく育っています。ただ、十日前に大雨が降り、街道のゴール橋が落ちてしまいました。他の地域でも氾濫による水害が発生しています。今はその復旧に取り組んでいるところです」
「修理費をこちらから出すよう取り計らいます」
「ありがとうございます」
 室内が静かになる。雰囲気は重く堅苦しい。何か話した方がいいのだろうか、とアンナが考えていると、ローゼが口を開いた。
「ところで、夫の暗殺の件ですが」

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