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第三章-7

 マイトの馬車で、アンナは屋敷へ帰ってきた。改めて見ると、本当にボロボロの屋敷だ。
「お休みなさい。革命を必ず成功させましょう」
「ええ、お休みなさい」
 マオは既に帰ってきていた。相変わらずの無表情だが、その目が機嫌の悪さを物語っている。視線が痛い。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。そんな目で見ないでよ。行きたくて行ったわけじゃないんだよ」
「左様でございますか」
 全然信じていない。
「今日はお疲れ様。私は寝るわ」
 自室に行くと、ミアが寝巻きを持ってきた。
「ありがとう。もうこんな遅い時間だし、無理して起きてこなくても良かったのに」
「大丈夫です。眠くないですよ」
 大あくびをしながら、ミアはアンナの着替えを手伝う。黒いドレスから簡素な寝巻きになると、ほっと一安心する。
「それから、これも。では、お休みなさいませ」
 ミアは小さな紙をアンナの手に握らせると、ドレスを持って部屋を出ていった。
 アンナは紙を開く。
『全員が眠ったら、使用人がいる地下室のドアに鍵をかけます。その間に、物置へ行ってください。ヨール』
(ありがとう、ヨール)
 虐殺に革命と、突拍子もないことを聞かされ続け、アンナはだいぶ疲れているが、それでもディーロとの約束は忘れていない。
 アンナは蝋燭の火を消し、横になった。十分な時間が経ち、何の足音もしないのを確認してから、部屋の外へ出る。物置に行くと、跳ね上げ戸の横に松明まで用意されていた。アンナはありがたく松明を使わせてもらうことにし、地下通路を歩く。
 出口の先、夜の丘のふもと。そこに、ディーロは立っていた。
 今夜は黒いローブを頭からすっぽりかぶり、顔は全く見えない。
「こんばんは」
 躊躇いがちに声をかける。
「アンナさん?」
 こんな静かな夜でなければ、聞き逃してしまうくらいか細く、小さな声。
「来てくれて、ありがとうございます」
 彼の口調は辿々しい。話すことに慣れていないのかもしれない。
「私もお会いできて嬉しいです。まあ、顔が見えたらもっと嬉しいですが」
「その、誰かに姿を見られたら嫌だなって思って。怪しまれたり、正体がバレたりするかもしれないし」
「その格好だと余計目立ちますよ」
「それはそうなんだけど……うん」
 ディーロは近くの岩に布を広げた。
「どうぞ、座ってください」
「ありがとうございます」
 アンナは岩に座った。ディーロは、彼女の横の地面に腰を下ろした。
「その、どこから話せばいいのか分からなくて」
「夜は長いから、ゆっくりでいいですよ」
 ディーロは、ああ、とか、うう、とか何かを言いかけては止めるを繰り返す。
「私のことについて、何を知ってますか?」
「数年前、家庭教師が逮捕されてから引きこもるようになったと、マイト様から伺っております」
「ええ、その通りです。今でも覚えてますよ。先生が突然王宮に来なくなって、捕まったって話だけ聞いて。ようやく会えた時には、先生はもう……処刑場で……だらんとぶら下がって、動かなく、なっていて……」
 ディーロの声音が沈んでいく。
 アンナは何と言えばよいのか分からず、黙りこくって彼の顔を見つめた。彼女はたくさんの本を読み、小説を書いてきた。しかし、こういう場合に何と声をかけて良いのか、心の本棚のどこを探しても、語句の一つも見つからない。
「怖いんです」
 ディーロは、声を絞り出す。
「部屋を出たら、神官兵が待ち構えていて、私の首をはねるかもしれない。実際、二人の見張りが屋敷にいるし。彼らが寝てる間にドアを開けて入ってくるかもしれない。こうしている間にも、矢が私の頭に飛んでくるかもしれない。怖くて、恐ろしくて、それに……先生に申し訳なくて」
「話を聞く限りでは、王のせいであって貴方のせいではないでしょう」
 ようやく、アンナはディーロに言葉をかけた。本心の言葉だ。
「それはそうなんだけど、でも……」
 声がどんどん小さくなっていく。
「それで、ずっと部屋に隠れていました。夜中にしか、こうやって外に出られないんです」
「……私にお話ししてくださり、ありがとうございます」
 ディーロは苦笑いする。
「もう、これからは一人でいられそうにないですから。シャロンにまで姿を見られてしまってるし、ちゃんと話をした方が良さそうだなって」
「それでも、ありがとうございます」
 アンナは微笑んだ。
(確かに臆病なのかもしれない。でも優しい人だ。優しすぎるくらいかもしれない。それに、こうして説明してくれたりして、ただ逃げてるだけの人でもない)
「話してくれたお礼に、私も話さないといけないことがあるんですよ」
 部屋を出る前、箱から取り出したファンレターを、ポケットから出す。
「私は、故郷では隠れて小説を書いていました。ある時、本を出したことがあるんですよ。そしたら、遠いエレアから手紙が届きました。差出人はネラシュ村のディーア。香りの良い紙に、丁寧な感想を書いてくれていました」
 もう一枚、紙を取り出す。これは屋敷に来た初日、ディーロがドア下から出してきたメモだ。
(あの時はこの先どうなることかと思ったけど、ディーロは悪い人じゃなかった。周りの状況は最悪だけど)
 二つを、ディーロに渡す。
「筆跡はとてもよく似ていますね」
 それきり、アンナは口を閉ざす。
 静かだ。そよ風一つない。静かすぎて、耳鳴りがする。月光が眩しい。
「こんな偶然って……」
 手紙を持つディーロの手が、微かに震えている。
「本当に。奇跡と呼んでもいいくらいです」
「貴女の本は、先生がこっそり持ってきてくれたんです」
 ディーロは、手紙の文字をそっと撫でる。
「父が本嫌いで、王宮には経典しかなくて。時々先生が持ち込んでくる本はどれもこれも面白くて、特に貴女のお話は好きです。この物語のように、私の前にも精霊が来たら、と何度も思いました」
「今の自分自身が嫌いですか?」
「はい、嫌いです」
 即答するディーロ。
「私は出来損ないですから。人の出来損ない……」
 どう答えたらいいのか。あるいは更に問いかけるべきなのか。色々な言葉が思い浮かぶが、どれも言うべきではない、とアンナは判断する。
「私は、貴女のことをよく知りませんが、おもしろい人だとは思ってますよ」
 色々言いたいのを堪えて、素直な感想を述べる。
「当時の敵国の人間にファンレターを送ってくれる、興味深い人だと思ってます。だからもっと知りたいですし、友達になりたいです。それに、最近はいよいよ周りの状況がきな臭くなってきました。力を合わせないと、マズいことになりそうです」
「きな臭い?」
 アンナは、ローゼとマイト、それぞれが立てている血生臭い計画を話す。
 沈黙が降りる。ディーロの反応を待つ。
「アンナさん、私の部屋に来てくれませんか。見せたいものがあるんです」
 重々しい覚悟が、その声音に滲んでいた。
 もちろん、断るはずもない。アンナは「はい」と頷いた。

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