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第四章-3

 暗い通路を、マオは来た方向と逆向きに歩く。
(邪悪な本、か。そんなもの、あの屋敷では見たことがないけど。私達が油断しすぎたのか?)
 神殿を出て、大通りから一本外れた、細い坂道を上る。やがて、古い建物に着く。見た目は神殿だが、ここは練兵場だ。入り口前に神官兵が立っている。マオを見ると、すんなりと中に通した。
 薄暗い廊下。数人の神官兵が書類を持って行き来している。遠くからは、うっすらと訓練生の悲鳴が聞こえる。
 青年が一人、椅子に座り、経典を読んでいる。傍には彼の杖が置かれている。マオは近づいた。
「ねえ」
 彼は経典から顔を上げた。
「マオ、久しぶり。どうしたの」
「アンナのことについて知りたい」
 また悲鳴が聞こえた。訓練生がナイフで切られたか、殴打されたのだろう。
「ティルクスから魔物召喚本を取り寄せてるらしいね」
「本当なの? もっと詳しい話を教えて」
「最近、ティルクスとの国境で、禁書の摘発が増えている。装飾の凝った魔物召喚本で、値段も高いものだ。ティルクスから魔物本を取り寄せる人物など、アンナしかいないだろう、と噂が流れてる」
 青年は見てきたかのように、スラスラと答える。
「それだけではアンナが密輸の犯人だという証拠にならないだろう?」
「あくまでも噂だ。真相は分からん。しかし何者かがティルクスから本を取り寄せているのは事実だし、アンナは髪の短い女だから、十分怪しい。王は噂を聞くなり調査しろとヒステリックになっている」
「なるほど。教えてくれてありがとう」
「監視するのか?」
「うん。そういう命令だから。本を持っているところを押さえないと。どうやろうかな……人手が足りない」
 本を運んでくる者を捕らえるならば、屋敷の中だけでなく外にも監視をおかなくてはならない。二人だけでは不可能に近い。
 再び、訓練生の悲鳴が聞こえてくる。その声を聞き、マオは名案を思いつく。
「訓練生を使おう。指導の人はどこ?」
「残念だが、駄目だ。訓練生も夏至祭の警備にあたるよう命令が出ていて、今は猛特訓中だ。他の事に人員を派遣することはできない」
「そうか。なら、仕方ない。ではどうしようか……」
 ふと、彼の持っている杖が目にとまる。
「ヤカロとリーラはどうだろう?」
「ヤカロと、リーラ?」
 彼は驚いていた。珍しいことだ。今まで、彼が感情をそのまま表に出すことはほとんどなかった。
「ああ。数年前に退職しただろう? かつての同胞の頼みなら、聞いてくれるはずだ。もちろん、いくらかお礼も渡す。自分で言うのもなんだけど、これは名案だな」
 彼の目つきが鋭くなる。
「本気か?」
「もちろん。ただ見張りをしてくれたらいい。戦えなくても問題はない。彼らがどこに住んでいるか、分かる?」
「……そうか。まあ、君がそう思うなら、そうすれば良いんじゃないかな。二人なら、西区に住んでいるらしいよ」
「西区? 貧民街じゃないか」
「嫌なら行かなくていいんじゃないの」
 彼はそう言うと、経典に視線を戻した。もう話は終わりらしい。
「別に嫌じゃないさ。相談に乗ってくれてありがとう。それじゃあ」
 マオは訓練場を後にした。
 西区はここから反対側にある、貧民街だ。マオは練兵場を出ると、道をゆく人混みの中に紛れた。

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