第四章-4
白と黒の壮麗な通りから、市場が立ち並ぶ雑多な道へ。どんどん西へ歩く。次第に商人の店が少なくなっていき、逆にゴミや汚れが増えていく。ボロをまとった人々が道端に座りこんでいる。通りに立つ小さな家は、壁に穴が空いている。中には、屋根が半壊している家もある。
マオは、何となく目についた男の前で立ちどまり、しゃがんだ。
「人を探している。元神官兵だ。名前はヤカロとリーラ」
銀貨を一枚、彼の前に置く。男は素早く手を伸ばし、それを懐にしまった。
「向こうにいる。大きな木の下だ。すぐ分かる」
彼は通りの向こうを指さした。その方向に行くと、四辻にでた。真ん中に、木が生えている。
その木の下に、ひどく痩せた、二人の人間が座っている。マオは目をすがめて彼らを眺めた。
(あれが、ヤカロとリーラ? 全然違う……)
二人はマオと同じ年頃の人間だ。一方、木の下に座っている人間は、干からびかけた老人に見える。
(とりあえず話しかけよう)
マオはわざと足音を立てて彼らに近づく。
「ヤカロ、リーラ?」
二人は顔をマオの方に向けた。正面から間近で見て、ようやくマオは、二人の顔にかつての容貌の名残を見てとった。
「誰だ?」
かすれた男性の声。ヤカロだ。目は固く閉じられている。土気色の頬は痩せこけている。唇はひび割れ、前歯は数本なくなっている。
「マオだよ」
「マオ? あのマオか?」
あの、がどれを指しているが分からないが、マオは「うん」と頷いた。
「久しぶりだね」
しわがれた女性の声。リーラだ。薄汚れたドレスを着ている。顔色は悪く、唇だけが妙に赤く、肌から浮いて見える。
「一体どうしたんだ?」
ヤカロが言った。
(目が見えないのか……監視の仕事はできそうにないな。いや、むしろアンナの油断を誘えるかもしれない?)
とりあえず、今の目的を話してみる。
「仕事を手伝って欲しい。監視なんだけど」
「はあ? 俺たちは目が見えないんだぞ」
「別に構わない。人手が足りないんだ。二人以外にも、元神官兵の助けがいる。誰か空いている人を集めてほしい」
「嫌だね」
ヤカロはそっぽをむく。
「私も遠慮しとくわ。身体の調子がよくないもの」
唇だけでうっすらと笑うリーラ。
「なら、前払いとして、薬を用意する。お金も出す」
「勘弁してくれ。目を潰されたのに、まだ働けって言うのか」
「目が潰れたのは神殿のせいじゃない!」
思わず語気が荒くなるマオ。ヤカロはハ、と渇いた声で笑う。
「良く言うぜ。神官兵は使い捨てだ。お前だっていずれ目が潰れるさ。あるいは、今すぐにでもな」
足音がした。振り返れば、広場に人が集まっている。十数人、いやもっとか。全員、目を閉じているか、白く濁った目をしている。手には棍棒やナイフを持っている。
(マズい)
いくら盲人でも、この数を相手にしたら、タダでは済まない。マオは懐にゆっくりと手を忍ばせる。
「私を殴ったって、何もないよ」
「構うもんか。金の問題ではない。俺達の気持ちが少しでも晴れればいい」
「昔は一緒に訓練していた仲間だったのに……残念だね」
マオはそう言うと足音を立てず、一気にヤカロの眼前へ踏みこむ。同時に懐からナイフを抜くと、柄でヤカロの側頭部を殴打した。倒れる彼の横を走り抜け、木に飛びつき、するすると上る。
下を見ると、ヤカロの仲間達が集まってきている。何人かが木の上のマオに向かって叫んでいる。マオは素早く木から屋根に飛び移り、屋根伝いに走った。音をほとんど立てず、とにかく遠くへ。
走っては下を見るを続け、しばらくして追っ手を振り切ったことを確認すると、マオは地面へ降りた。ふう、とため息をつく。
(ずいぶんと遠くへ来てしまった)
城壁が近い。壁のふもとまで、たくさんの小屋が立っている。西区は特に小屋が多い。
マオの口から、自然とため息が出る。
(彼らは変わり果ててしまった。信仰も捨ててしまうとは)
らせんの紋様のペンダントを握る。
(どうか、不信心な彼らに慈悲と恵みをお与えください。彼らは目が潰れて、余裕がないだけなのです)
一緒に笑いながら訓練をした日々と、汚れた二人の顔が交差する。マオは強く祈る。
ひとしきり祈りの言葉を唱えると、またため息をついて、歩きだす。
(……結局、人手は調達できなかった。こうなったらもう、神官にお願いしにいくしかないか)
あの薄暗い部屋で、渋い顔をする上司の顔を想像しながら、通りを歩く。
「そこのお嬢さん、どうしましたか。暗い顔をして」
マオの前に、少年が走りよってくる。汚れた服を着ている。マオは無視して通り過ぎようとしたが、少年は離れようとしない。
「もしかして失恋ですか? ではこのお守りをどうぞ。ほらほら、ご利益ありますよ!」
彼はマオの前に、小さな巾着袋を見せた。手のひらサイズで、白い布に紋様が描かれている。
「なにこれ」
「知らないんですか? 最近流行りのお守りです。ご利益があるって有名ですよ。ほら、そこにも、あそこにも、吊るしてあるでしょう?」
彼の指先に視線を向ける。通りの軒先の全てに、大きさも色も多種多様な巾着袋が吊るされている。しかし描かれている紋様は全部同じだ。
「この紋様は?」
マオは尋ねた。しかし実のところ、彼女はその答えを知っている。
「最近流行りのおまじないですよ! 運気を上昇させるんです!」
「そう。だけど、こんなのを売って、神官に見つかったら大変では?」
何気ない風を装うマオ。すると、彼は満面の笑みを浮かべた。
「ああ、大丈夫です! 神官は怒ったりしませんから!」
「本当に?」
「ええ。神殿の方へ行ってみてください。そこの通りにも、巾着が吊るされてますよ」
「そう……一つもらう。いくら?」
「銅貨三枚です!」
マオは言われた通りの額を払った。彼は嬉しそうにどこかへ去っていった。
(これは、北方の邪神の紋章だ。こんなものが出回ってるなんて。神への冒涜だ)
巾着を握りつぶすマオ。
(だけど、神殿が許してるってどういうこと? この辺りで一番近い神殿は、確か向こうだ)
記憶を頼りに、神殿へ向かう。はたして、あの少年の言う通り、神殿の前の軒先にも、巾着が吊るされている。
マオは掃き掃除をしていた神官に駆け寄った。
「すみません。あの巾着ですが、どうして放っておいているのです? 神殿への冒涜では?」
「え? ああ、あれねえ」
神官は苦笑する。
「私もあんなものを吊るすなんてどうかしていると思いますが、お上はひとまず放っておこうとの判断です」
「何ですって?」
あいた口が塞がらない、とはこのことだ。マオは呆然と神官を見つめる。
「なんでも、今年は夏至祭の警備に力を入れるらしく、人手を回せないとのことです。私もそれで良いのかなあって思っているんですが、大神官の決定なら仕方がないです」
(良いわけがない。夏至祭だろうと冬至祭だろうと、邪教の浄化はやらなければならない。というか、今まではそうしていたはず)
屋敷に配属される前のことを思いだす。昼夜を問わず、季節を問わず、マオとレオは他の神官兵と共に、浄化に東奔西走していた。
(浄化まで後回しにして、警備に力をいれる? どういうこと? どうも、おかしい)
マオの心の中で、不信感がむくむくと膨らむ。神々の剣としてあるまじきその感情を、マオは振り払えなかった。

