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第五章-1

 アンナは窓から外を眺めていた。
 小雨がしとしとと降っている。晴れた日には、丘で草を食む羊の群れが見えるが、今日はどこにもいない。
 背後では、ミアが部屋の掃除をしている。箒でせっせと床を履いている。時々箒の音が止み、ペラペラとメモ帳をめくる音が聞こえる。彼女は相変わらず、メモ無しでは掃除ができない。
(皆、ティルクスに向かって進めているかな。無事だといいんだけど)
 いつ何が起こるか、分からない。神殿の命令により、マオが全員を殺しにかかるかもしれない。ローゼの気分が突然変わり、兵士達にレース達を始末するよう命令するかもしれない。マイトもアンナのことを信用せず、殺し屋を差し向けるかもしれない。
「アンナ様。きっと大丈夫ですよ」
 ミアが言った。アンナは振り返った。
「みんな元気に帰ってきます。盗賊とか獣が出ても、ヨールさんがバッサバッサと薙ぎ払いますよ」
 アンナは微笑みを浮かべた。
「そうかもね」
 ドアが勢いよく開き、シャロンがやってきた。彼女は今日も、朝早くにこの屋敷に来て、入り浸っている。
「ねえ、これさっきレオに渡されたの。王宮からの手紙だって。読んでくれる?」
「いいですよ」
 アンナは渡された紙に目を通す。
 差出人はメディ医師。シャロンの体調について質問している。そしてわがままを言わず、大人の言うことをきちんと聞き、本を読んできちんと勉強するように、という内容が書かれている。
「これも届いたのよ」
 どさどさと本を置く。絵本だ。神殿の経典を子ども向けに分かりやすく書いたものである。
「その本を読んで勉強するように、と書いてあります」
「えー? でも私、字を読めないわ。字なんか今まで書いたこともないし」
 アンナは、普通の王女は読み書きができないことを思いだした。経典の書き写し以前に、字を覚える必要がある。
「私が教えます。経典を読めるようになりましょう」
「嫌よ。こんなの読んでもつまらないわ」
「読めるようになったら、神官の鼻をあかせますよ。白黒の服を着た彼らの、ぽかんとした顔、見たくありませんか? いつも選ぶっている彼らの鼻を叩き折ってみたくないですか?」
「それは……ちょっと見たいかも」
 二人は居間へ移動した。机の上に紙と経典を広げる。まずアンナが手本を見せる。レオが持ってきた書き損じの紙の裏に、文字を書いていく。
「はい、どうぞ。一文字ずつ綴ってください」
 シャロンがせっせと字を書く様子を、アンナは眺める。一生懸命字を描いているその表情は、普段のわがままな王女とは思えない。
(私が字を習いだしたのはいつくらいだっけ)
 ふと、幼い時のことを思いだす。
 兄達が何をしているのか知りたくて、アンナは彼らに混じって家庭教師の教えを聞き、読み書きの練習をした。あの時はまだ幼かったから、アンナが字の練習をしていても、兄も王も笑って許してくれた。
(あの頃は仲が良かったんだけどな)
 日が暮れるまで、シャロンは字の練習をした。その甲斐あって、自分の名前が書けるようになった。
「それで、これで神官の鼻を折れる?」
「まだまだ先です。まずは簡単な単語を書けるようになりましょう」
 ドアがノックされ、ミアが入ってくる。
「夕食の準備ができました」
「ホント?」
「はい。出来立てほかほかですよ!」
 シャロンは居間から飛び出していった。
「あ、その本、シャロン様のお部屋に運びましょうか?」
 看病の時に使った客室が、今ではすっかりシャロンの部屋になっていた。
「いえ、私の部屋に持っていって。シャロン様の部屋だと、保存が心配だよ。勝手に破ったり落書きしたりするかもしれない」
「分かりました」
 ミアはメモを取ると、本を持って出ていった。
 アンナはシャロンと夕食を食べた。その後、寝る支度に入る。
 アンナはまず、ドアの前に荷物を起き、開かないようにした。それからドレッサーの前に腰掛け、ミアが置いていった経典の絵本を開いた。
 そして、引き出しから一枚の紙──暗号表を取り出す。
 挿絵には、数字が隠されている。ローゼの配下の写本紙や絵描きが仕込んだものだ。
 数字は文字と対応している。何の文字と対応しているかは暗号表に書いてある。この表も夜会の後に、ローゼから貰ったものだ。
 アンナは数字を暗号表に照らし合わせ、解読していく。程なくして、文章が出来上がる。
『使者が泊まる宿が火事になった。使者は行方不明。死体も見つかっていない』
 アンナはベッドの上に、クッションや着ていない衣服を丸めて置いた。その上から毛布を被せる。ぱっと見、頭から毛布を被って眠っているように見えるだろう。
 全員が寝静まった頃を見計らい、アンナは本を持って部屋から出た。行き先はディーアの部屋だ。

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