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第五章-2

 ディーアの部屋にやって来たアンナは、昼間来た暗号のことを話した。
 アンナの話を聞いたディーアは、
「それは……でも、私は信じるよ。レースさん達が生きてるって」
 そう言って、弱々しく笑った。
「ありがとう。私も信じてる。というか、信じるしかない。皆、火事如きで死ぬような人間じゃないと」
 窓枠がカタカタと揺れた。隙間から夜風が入ってくる。
「そうそう、今朝から、外にずっと人がいる。羊飼いの格好をして羊を連れてるけど、羊飼いじゃない。丘から全然移動しないんだよ。昼間、レオが屋敷から出てきて、その人と会ってた」
「向こうには気づかれてない?」
「多分大丈夫。壁の隙間から見たから。あれ、もしかしなくても神官兵だよね。こっちを見張ってるんだ」
 アンナの心臓がキリキリと痛む。
「状況が悪くなってきてる」
「うん。いつまでもああやって見張ってるだけ、とは限らない。いつ私達を殺しに来てもおかしくない」
「……どうしようか」
「マイト兄さんに聞いてみるとか?」
「できることといったら、それくらいしかない、か」
 アンナはため息をついて、近くの椅子に腰掛けた。
「ご、ごめんよ。私が、もっと役に立てたらいいんだけど」
「なんで謝るの? 別にいいのに」
「そ、そうかな。ごめんね」
「だから何も謝ることなんかないって。ああでも、うーん、そうだなあ。誰か頼れる人はいないの? ディーアが手紙を出せるような人」
「いないよ」
 即答だった。
「頼れる人は……先生は、死んでしまったよ」
「昔の友達とか、誰か頼れる人はいないの?」
「いないよ」
「兄弟姉妹は?」
「もう長いこと会ってないし、今更手紙を送ったところで、返事なんかくれるとは思えないよ」
 以前から聞いてはいたが、孤独な日々を過ごしてきたようだ。
「それなら、ローゼ様に手紙を出すのはどう?」
「母上に?」
「貴女からも手紙を出せば、ローゼ様からの信用が高くなると思う。何かあった時に、助けてもらえるかもしれない」
「何を書けば?」
「何でも良いよ。世間話とか。その中に、ローゼ様への忠誠心を示すフレーズを混ぜたらいい。変なことは書かない方がいいかもね」
「……そうだね。やってみる」
 ディーアは机に向かうと、火のついたろうそくを傍に置いた。紙とペンを引き出しから取り出す。
 カリカリ、とペンを動かす音が響く。アンナは机の横に椅子を持ってきた。ろうそくの光を頼りに、本のページをめくる──が、ふと気になり、ディーアの横顔に目を向ける。
 ディーアはどう見ても、線の細い、気弱そうな男性にしか見えない。
(ディーアに問題があるんじゃない。問題なのは私の方だ。喋っている時でも、本について語ってる時でもない。その時は良いんだ。ただ、なんでもない、こういう瞬間に、彼女を見た時に感じるこの違和感……これが消える日が、来るんだろうか)
 かつて図書館で読んだ古代人の本を思いだす。同性同士で恋人になったり、魂と肉体が異なっている人々の話。
(彼らはこんな気持ちにならなかったんだろうか)
 隙間風が吹き、火が揺れる。アンナはふと、ディーアの手が止まっていることに気づいた。
「どうしたの? 文面に悩んでる?」
「それもあるんだけど、手紙を書いたら、きっと神官に読まれるよね」
「そうなの?」
「多分……もしも父上に見つかったら、手紙ごと破られてしまうかも」
「そこまで嫌われているの?」
 ディーアはぴたりと固まった。急に顔色が悪くなり、呼吸が荒くなる。
「だ、大丈夫?」
 アンナは慌てて背中をさする。ディーアは答えない。答えられない。背中を丸めて必死に息をしている。
「手紙もノートも本も破かれて……剣とか弓を学べって、持たされて……」
「無理に話さなくていい!」
 アンナも、幼い頃は散々言われた。本なんか読まずに女らしいことをしろ、と。それはもう何度も。
(だから気持ちは分かる。少しは。ただ、私はこんなになるほどじゃない。一体、どれだけ酷い目に遭わされて来たのか……)
 隙間風が吹く。ろうそくの火が揺れる。やがて、ディーアの呼吸も落ち着いてきた。そのまま、倒れるように眠ってしまった。
 アンナは、そっと彼女の背中に毛布をかけた。

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