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第五章-3

 暗い部屋。教官。ナイフを切る音。
 誰かの悲鳴。歌。香の臭い。血。悲鳴。
 眩しい光。
 マオはうっすらと瞼を開いた。
 壁の隙間から、細い日光が差しこんでいる。夢うつつな意識がようやく覚醒する。
「おはよう」
 ヨールは小さな声で言った。彼は小屋の壁際で座っている。手元に剣と布がある。剣の手入れをしていたようだ。
 レースや他の警備兵は、その横で眠っている。一人足りないが、彼は外で見張っているのだろう。
 身体を動かそうとして、縛られていることに気づく。小屋の柱に縄で縛り付けられている。
 マオは、昨夜のことを思いだす。宿屋で神官兵に襲われ、大慌てで逃げて、小屋に逃げこんだ。
(それから……ああ、そうだ、ここで朝まで過ごすことが決まって、私は逃げられないよう、柱に縛られたんだ……殴られたり、殺されたりしなかっただけ、幸運だな。それにしても、一体どうして私もろとも殺そうとしたんだろう)
 だが、実際のところ、マオはこの夜の間に、答えを見つけていた。
(ティルクスへ向かう馬車の人間を皆殺しにしろ、という命令だった。この『みんな』の中に、私も入ってるんだ)
 レオの姿が脳裏に浮かぶ。
(レオは生きているんだろうか)
 こうして自分達に攻撃を開始したのだから、屋敷の人間も無事ではあるまい。もう処刑されているかもしれない。
(いや、分からない。うまいこと逃げているかもしれない。あるいはディーロのように、部屋に立てこもっているのかも)
 儚い希望を胸に描いていると、レースや他の警備兵が起きだした。黙々と身支度を整える。
「なあ、これからどうすれば良いんだ?」
「ティルクスへ行きます」
 レースがきっぱりと言った。ヨールも「そうだ」と頷く。
「だがどうやってだ? 道中は神殿の目が光ってるぞ。下手したら死ぬ。特に国境の警備は厳重だ。奴らを警戒して迂回していたら夏至祭まで間に合わんだろう」
 王宮の警備兵は渋い顔をする。
「私なら、道案内できる」
 マオは言った。全員の視線が一斉に集まる。
「国境の検問の超え方なら、私にも分かる。私がいたら、無事国境を乗り越えられる」
「本当か? そう言って俺たちを殺すつもりなんだろ?」
 警備兵がマオの前にやってくる。
「そんなことしない。今回の襲撃のことは、本当に何も知らない」
「嘘をつけ!」
 警備兵が拳を振り上げる。
「やめてください!」
 レースが警備兵の腕に飛びつく。振り解こうとする警備兵を、今度はヨールが押しとどめる。
「彼女は本当に何も知らないと思いますよ!」
「どういうことだ?」
 警備兵は渋々拳を下ろす。
「私、彼女と同じ部屋にいましたが、神官兵は彼女にも襲いかかっていました。裏切り者とは思えません」
 レースは懸命に擁護する。
「だが、こいつはどう考えたって怪しいぞ」
「神官兵の監視は厳しいはずです。彼女の助けが必要になるでしょう。彼女も命を狙われていますから、手助けしないわけにはいきませんし」
「私も賛成ですね。裏切ったら、その時はその時です」
 ヨールがそう付け加える。
「はあ、分かったよ。そこまで言うなら、そいつも連れて行こう。だが俺らはお前達の警護が仕事だ。そいつが少しでも怪しい真似をしたら、すぐに殺すからな」
 警備兵はマオを睨む。マオは気にしない。
(はあ、どうにか嘘で乗りきれた。でも、国境の検問、どうやって超えよう。行ったこともないし、全然分からない……着いたら考えるか)
 一行は小屋を出た。朝露が光る丘を徒歩で下る。馬は目立つので置いてきた。
「おいマオ、まずはどこへ行くんだ?」
 警備兵に言われ、マオは昨日馬車の中で見た地図を思いだした。丘、丘、丘、どこまで行っても緑の丘。森のように隠れる場所は少ない。そうなると、とる手段も必然と限られてくる。
「服を変える。この姿のままだと、怪しまれる」
「ああ、そりゃそうだな」
「羊飼いを見つけて取引がしたいね。それで服と食べ物を手に入れたら、最速で国境の街まで行く。できれば、夜のうちに移動したい」
「夜? そりゃいいねえ」
 前をいく若い警備兵が陰鬱な声で言った。
 緑の丘が続く。神官兵はいないが、羊飼いもいない。ひたすら草原を歩く。
「あ、あれ」
 先頭を走る警備兵が遠くを指さす。
「人が集まっています」
 木の下に、派手な見た目の幌馬車が二台、停まっている。その横に人の輪ができている。
 大道芸人の一団が芸を披露している。観客は、農夫や羊飼いだ。人の輪の外で、たくさんの羊が草を食んでいる。
 演題に立つ道化がマオ達に手を振った。つられて、観客が振り返る。無視するわけにもいかず、一行は観客の輪に加わる。
(あれ、あの芸人、前も見た。街道の宿屋で騒いでいた人達だ。どうしてここに?)
 芸人は白黒の衣装の道化と、その主人役がいる。道化がダンスを踊り、失敗するたびに主人役が大袈裟に怒り、それを見て観客が笑う。。
(何故、またここにいるの? 見つかると面倒だ……)
 一同は、その場から立ち去ろうと背を向ける。すると、奇抜な服装の女性が目の前に立ちはだかった。
「やあ! 旅人さん。私達の劇を見ていきませんか?」
「いや、あの。急いでいてね」
「そう言わずに。ほら!」
 女性は圧のある笑顔で迫ってくる。騒ぎを起こすわけにもいかないので、マオ達は仕方なく、演劇を見ることにした。
 劇が終わり、観客が帰っていくと、芸人が近づいてきた。道化と主人役の他に、裏方が数人いる。
「やあ、こんにちは! 以前お会いしましたよね! いやあ、奇遇だ!」
 主人役の男が言った。警備兵は、やあどうも、と曖昧に返す。
「我々はこの辺を巡業しつつ、北方へ向かうつもりなんですよ。どうです? 一緒に行きませんか?」
「すみませんが、我々も急いでいてね。あと二日で国境まで行かないとならないんです」
「ああ、そうなんですか? またまた奇遇ですね。我々もそのつもりです。途中で劇をやるのでその時は止まりますが、我々の馬はとても力持ちでね、その分とても速いんです」
 彼は背後の幌馬車を指さした十人は乗れそうな、とても大きな馬車だ。四頭の馬は、戦車でも引っ張るのかと言いたくなるくらい、屈強な栗毛だ。
 警備兵の一人が振り返る。
(どうする?)
 顔がそう尋ねている。マオも、他の皆も頷いた。大道芸人は怪しさを感じるが、いい隠れ蓑になる。それに馬の速さは魅力的だ。いざと言う時には彼らを殺して奪えばいい。
 警備兵は笑顔を浮かべて大道芸人に向き直った。
「ええ。それもいいですね。よろしくお願いします」
 丘のふもとを、大道芸人の馬車が走りだした。

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