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第六章-1

 平々凡々だった小国、エレア王国。
 王都の片隅に立つ、牢獄の最奥の部屋。
 そこにエレア王国第三王子の妻、アンナはいた。
 部屋の真ん中には小さなテーブルがあり、そこには白い紙が何枚も広げられている。アンナは、傍らの蝋燭の明かりを頼りに、一心不乱に鵞ペンで何やら文章を綴っている……かと思えば、ペンを置いて難しい顔で何かを考えこむ。
(遺書って何を書けばいいんだろう)
 アンナは、大きなため息をついた。
 紙には、文章の羅列。故郷の友人宛ての言葉や、神殿に向けた呪詛など、まとまりのつかない文章が書かれている。
 昨日の夜のことを思いだす。突然やってきた神官兵。アンナとレオは容赦なく縛りあげられ、馬車に詰めこまれた。続いて、青ざめた顔のミアと悪態をつくシャロンが連れてこられた。
 それからしばらくして、ディーアが、馬車の中にドサッと放り込まれた。まるで荷物のような扱いだ。
 明るい光の元で見るディーアは、とても痩せていて、生気が無い。風に吹かれる柳の枝のようだ。殴られたのか、頬が痛々しく腫れている。
「ディー……ロ殿下?」
 アンナは話しかけた。
「アンナ? 大丈夫?」
 か細い返事がかえってくる。
「私は大丈夫です。殿下は?」
「大丈夫だけど……本が、本が……もう、おしまいだ」
 その絶望に満ちた声を聞いただけで、何が起きたのかアンナにはすぐに分かった。ディーアの部屋に兵士がドアを蹴破り入ってくる様子が、彼女の心の目にありありと映る。床に積み上げられた本を踏みつけ、呆然として立っている彼女を捕まえ、縛りあげたのだろう。
「本って? どういうことですか?」
 ミアが尋ねる。
 もう隠しておく意味はない。アンナはディーアの目を見た。ディーアは頷く。
「殿下の部屋には、本があったんだ。それが、殿下が部屋から出てこなかった理由だよ。本を守っていたんだ。以前、こっそり私に読ませてくれた」
「私達、どうなるんですか?」
 ミアの声は震えている。
「分からない」
「し、死罪ですか?」
「分からない。普通はこんなのあり得ないし……」
 自分でもびっくりするくらい、声に力が無い。
「や、やだよ。私、死にたくない!」
 シャロンが泣きだす。すると、そばにいる見張り役の神官兵がシャロンを蹴り飛ばした。
「うるさいぞ! 黙ってろ!」
 シャロンは叫ぶのをやめた。だが、ずっと啜り泣いていた。
 馬車が走りだす。幌が邪魔して外は見えない。
「あの、アンナ様」
 ミアが精一杯身体をよじって、アンナに近づく。
「あなたにお仕えできて幸せでした」
「バカ言うんじゃない!」
 アンナは小声でミアを叱る。
「言えるうちに言っておかなきゃって」
「やめなさい、ミア。そんなの駄目だ」
「黙れ!」
 再度、神官兵が怒鳴った。馬車の中は静かになった。
 馬車が止まると、アンナは使用人らと別れ、狭い牢獄へ連れていかれた。そこで、神官に魔物召喚の本を買ったとかいう、意味の分からない罪についてあれこれ問いただされた。痛い思いをするのは嫌なので燃やしただのなんだのと適当に嘘をついた。
 そうした意味のない尋問の末、最後に死罪を言い渡され、それからアンナはここにいる。
(レース、ヨール、マオ……それに一緒にいた警備兵)
 彼らと話した、最後の日を思いだす。
(おそらくもう、生きてはいないだろう)
 紙の文章をぐりぐりと塗りつぶす。
(全部私のせいだ)
 アンナはペンを置き、だらんと腕をたらす。指にもう力は入らない。
 遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた。アンナの肩がびくりと震える。ミアやシャロン、レオの声ではないか? それともディーアか? 彼らが痛めつけられていないか? だが、彼らの安否を、彼女が知ることは決してない。
 浅い呼吸を繰り返しながら、アンナは処刑人の足音が聞こえてくる瞬間を、ただじっと待っていた。

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