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第七章-3

 ティフ大神殿の牢。そこにマオはいた。
 空気はじめじめして、かび臭い。天井の明りとりの窓からか細い光が差し込んでくる他に、光源は無い。壁には二柱の神の像が置かれている。
 マオは像の前に座り目を閉じる。神々へ感謝し、懺悔し、祈る。
 神官兵の足音が聞こえてきた。尋問の時間だ。
 三人の武装した神官兵が牢に入ってくる。ただでさえ狭い牢の中が更に狭くなる。
「さて。王女暗殺の話について聞かせてもらおうか。最初から全て話せ」
 隠す必要はないので、マオは話した。神殿からアンナの監視を命じられ、屋敷に召使いとしていたこと。アンナがティルクスの神殿に手紙を出すと言った時、使者の暗殺を命じられ、同行したこと。そこからの大変な旅路。
「お前に命令した神官の名前は?」
 マオは一人ずつ名前を挙げていく。神官の顔を思い出すたび、自分が何故彼らを裏切ったかを再度認識する。
 質問に全て答えたあと、マオは神官兵の目をまっすぐ見て、言った。
「もし、良かったら……本当に出来たら、で良いんですが、クロニト大神官に一眼お会いしたいです」
 神官兵はマオを睥睨する。
「何故?」
「エレアの神官は破門されたというし、アンナはそうではないという。一体どういう人物か知りたいんです。もし会えたら、神官が嘘をついたかどうかが分かるから」
 大神官に会って話をしたい。どうしてもこの目と耳で、真実を知りたい。
「大神官には伝えておく。期待はするな」
「それだけでも十分です。ありがとうございます」
 取り調べが終わり、牢の中は再び一人になった。マオはまた、像の前で瞑想する。今となってはたった一つの願い、レオの無事を心の中で呟く。
 時間の感覚を忘れた頃、足音が聞こえてきた。三人分だ。
(また尋問? でも、足音が変だ。二人は兵士で、一人は違う)
 格子戸が開く。二人の神官兵ともう一人、燭台を持った老齢の神官が入ってくる。服装から判断するに、昼の神の大神官だ。
「こんにちは。私はクロニトです。私とお話したいそうですね」
「はい」
「ではお話ししましょうか。何の話がよろしいでしょうか?」
 大神官はマオの隣に座った。手に持った燭台を床に置く。
「大神官のことが知りたいです」
「そうですか。うーむ……エレアでは、私は破門されたことになっているのでしたね?」
「ええ」
「破門はされていないのですが、それに近い状況ではあるのですよ」
 マオは首をかしげる。
「それは、どういう意味ですか?」
「今から二十年ほど前でしたか。貴女が生まれた頃、活版印刷が発明されました。この技術によって、経典が大量に出回る様になりました。それまでは神殿だけが本を持っている、という状況でしたが、それが変わったのです。この印刷技術を巡って、神殿内で争いが起きました」
 その話は、マオも聞いたことがある。印刷された経典に神々の力は宿らない。手書きの写本にこそ、本当の意味がある……と。実際、エレアの神官は写本を愛用している。
「私や一部の神官は、印刷本も認めるべきだ、と主張しました。印刷と手書きで何がどう変わるのか、私には分かりませんでした。大事なのはそこではありません。神々から賜った言葉を目にし、聞き、読み、知ることだと思ったのです。
 しかし、当時は写本派が圧倒的に優勢でした。私や私と同じ主張をした者達は破門こそされませんでしたが、アルケ神殿から遠い、この北国へ追い出されてしまいました」
 隙間風がふき、ろうそくが揺れる。二人の影が、伸び縮みする。
「当時は大変でした。まず寒い。とにかく寒い。この国の冬は長く暗く、私にはこたえました。今も慣れませんね。唯一火が灯っている場所は、昼の神殿の祈りの間のみ。ですからずっと祈りの間にいました。すると、様々な悩みや願いを抱えた人が私の所へやって来ます。思い詰めた人々に対し、『分からない』や『無理です』とは言えません。仕方ないので、経典のページをめくりめくって、答えを探しました。いつもいつも、誠実で理想的なことを言えたわけではありません。神々のしもべとしては失格の、とんでもない嘘をついたこともありました」
 マオは思ったことを素直に口にする。
「そんな事を言ったのなら、貴方は破門されるべき人間です」
「そうですね。何度も思いましたし、今も考えます。私はここにいて良い人間ではない、と。ですが、ある時はこれで良いのではないか、とも思えるのですよ。私の本質がどうであれ、調和を……それも、良き調和を、維持し生きている。これだけでもう十分では、と。結局迷ったまま、踏ん切りがつきません。迷い続けて、気がつけばもう、こんな歳です」
「……貴方も、破門されるべき人間です」
 大神官はふっと笑った。
「そうかもしれませんね。でも、私は貴女のしたことを間違いとは思いません。規律と調和を守ることと、盲信し追従することとは異なります。貴女の行動を尊重します」
 大神官のまっすぐな視線が、マオに刺さる。マオは耐えきれず、顔を背けた。
(この人は、尊敬すべき方なのか、それともペテン師なのか? 分からないな)
 疑う気持ちを捨てきれない一方で、説明できない心のざわめきを感じる。
『尊重します』
 今まで、誰かにこう言われたことがあるだろうか。マオ自身を人として見てくれたことが、あるだろうか。
 マオは穏やかな表情で微笑んだ。
「貴方とお話しできて良かったです」
「こちらこそ」
 大神官が去った後、マオは神々の像の前に跪く。
 今後、マオには裁きが下される。王家の裁きと、神官による裁きの二つだ。一体どうなるかは分からない。
 しかし、どんな結末を迎えようとも、マオはただ、神々に祈りを捧げるだけだ。
 ただの人として。

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