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第七章-4

 ディーアは目を覚ました。
 瞼を開けても閉じても暗い。牢獄は暗闇に包まれている。じめじめした空気が肺を満たす。ここに来た時、その汚臭に吐き気を催したが、今はもうすっかり慣れてしまった。
 全身の傷口が痛む。呻き声をあげる。
 ここに放り込まれてどれくらい経ったのだろう。数時間にも、数十日にも感じられる。もう何にも分からない。
 今でも、あの瞬間が目に焼き付いている。
 いくつも近づいてくる、大きく恐ろしい足音。部屋のドアが打ち破れ、兵士が雪崩れ込んでくる光景。積み上げられた本が崩れ、ページが踏みにじられ……。
 兵士の冷たい手にねじ伏せられても、抵抗する気力も湧いてこなかった。そして荷馬車に放り込まれ、この牢獄で連れてこられた。
 そして殴られ蹴られ、気絶し、今ここに倒れている。
 息を吐く。そして吸う。痛みが頭を貫く。
(痛い。痛い)
 神官兵にとってはディーアは人間ではない。文字を読み、禁書を蓄え、神々に叛いた魔物だ。だからどれだけ傷つけたって良いのだ。
 石造りの天井や壁をぼんやり眺める。ところどころに血の跡が染み付いている。あれは一体誰の血だろうか。その誰かは一体どうなっただろうか。ディーアがこの世を去ったあと、次は誰がここに来るのだろうか。益体もないことばかり思う。
 足音が聞こえた。牢の外で見回りの神官兵が歩いている。
「夏至祭に処刑か」
「忙しいな。後十日だろう?」
 話し声が聞こえてくる。
(祭りの日に処刑……見せしめか)
 一年で最も盛り上がる日に、魔物に堕ちた王家の王子を処刑する。いかにも神官が考えそうなことだ。何も分からない人々は熱狂し、神殿に反抗する人々への見せしめにもなる。
(アンナやミア達も……皆、処刑されるのか)
 胸の奥がズキリと痛む。ディーアが本を溜め込んでたばかりに、彼女達も殺されてしまう。
(もしも、私が本を隠さなかったら、あるいはもっとうまく隠せていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。どこで私は失敗したんだろう)
 思えば、ディーアは生まれた時から周囲とどこかおかしかった。
 剣術に励む他の王子と違い、ディーアは静かに本を読むことを好んだ。男よりも女と友達になりたかった。女の子と話している方が、心が安らぐし、自然体でいられた。
 逆に嫌いだったものは、剣や弓などの武術だ。両手がマメだらけになるし、何より怖い。
 王はそんなディーアのことを気に入らなかった。しょっちゅう怒鳴られたし、時には儀式用の剣で打たれることもあった。剣は木でできているので、死にはしない。しかし、ものすごく痛かった。
(父はどういうわけか、文字が嫌いだった)
 王は常に側近がついていた。側近が手紙や書類を読み上げ、それを王が聞いていた。その側近は入れ替わりが激しかった。王の機嫌を損ねれば、すぐに剣で打たれた。時には本物の剣をふるう時もあった。
(本を取り締まるようになって、先生は捕まって、殺されて……)
 もし、王の言うことを聞いて剣術に励んでいたら。もし、王に諫言できるだけの強さと勇気を持ち合わせていたら?
 黒い沼に心がどんどん沈んでいく。
 また、足音が聞こえた。
「殿下。お加減はいかがですか?」
 知らない声がした。ディーアはうっすら目を開けた。
 杖をついた神官兵と、大きな鞄を背負った神官兵が立っている。
 杖をついた方が、懐から鍵を取り出し、鉄格子のドアを開けた。二人は素早く入ってくる。鞄を背負った神官兵が、ディーアのそばで鞄を広げる。
 その神官兵の顔に、ディーアは見覚えがあった。
「……メディ?」
「すぐに手当てします」
 メディはディーアの傷に手早く薬を塗る。薬が傷口にしみて、思わずうめき声をあげる。
「大変でしたよ。彼をここまで連れてくるのは。面倒臭いったらありゃしない」
 メディの一歩後ろで立っている神官兵が、口を開いた。
「貴方は?」
「マイト様の指示でここに来ました」
 杖をつく神官兵は微笑んだ。
「マイト? 彼はどうしてるんです?」
「準備をしていますよ。このクソッタレな国を潰すための」
「革命ですか。でも、私ができることなんか、何もありませんよ」
「ありますよ。夏至祭までは、何としても生きてもらわなければなりません」
 ディーアはその意味を考える。
「私は囮ですか?」
 マイトは夏至祭の日に決起するつもりだ。その時、神官の注意がディーア達に向いていると、都合が良い。
「そうなりますね。神殿としても、あなた方には夏至祭まで生きていてほしいのですが、神官兵は時々やりすぎてしまいます。ですから、こうして腕の良い医者を連れて来たのです。彼は神殿の医官ということにしています」
 薬を塗った上から包帯を巻いていくメディ。
「メディ、来てくれてありがとうございます」
「仕事ですから」
 メディも革命に参加しているんですか?」
「いいえ。むしろ、革命なんかやめてほしいです。争いが起これば、私の仕事が減りますから」
「え? 増える、の間違いでは?」
「いいえ、減りますよ。薬があっという間に足りなくなり、治療できなくなってしまいますから」
 メディは淡々と言った。そのまま黙々と治療を行い、終わると立ち上がった。
「また来ますね」
 二人が去った後、ディーアはメディの最後の言葉について、そして自分達が処刑された後のエレア王国について、考えた。しかし考えたところで、何も分からなかった。ただ、ザラザラとした、乾いた絶望を味わうだけだった。

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