第七章-9
部屋の中には、巨大な印刷機が鎮座している。
印刷機の外見は、一言で表すと、巨大な押し潰し機だ。
木製の箱と台座を二つ、つなげたような形をしている。縦に長い棚のようなものと、それにくっついている台座。側面から見たら、四角い二つの箱が直角に接しているように見える。
縦長の棚は、中がくり抜かれている。中には複雑な仕掛けがある。まずは上下に動かせる、非常に重たい板だ。箱の上部には、板を操作するための大きなハンマーがあり、柄が突き出している。あの柄を左右に動かせば、ハンマーと仕掛けが作動し、板が上下に動く。
横長の箱は、上面が真っ黒。箱には薄い板が金具で取り付けられている。手で簡単に動かすことができる。本の表紙を開くみたいに、パタパタと。
「お前、字は読めるよな?」
「少しは」
実際の所はスラスラ読めるが、レオは嘘をついた。
偽造文書を作るにあたっては、文字が読めない方が都合がいい。情報が漏れないからだ。しかし全く文字が読めないと、それはそれで効率が悪すぎる。なので多少文字が読める人間が選ばれるのではないか?
このレオの推測は正解だった。
「じゃあお前はこれをやれ」
印刷機の横の作業台に連れてこられた。三人の男が蝋燭の明かりを頼りに、黙々と作業している。端の空いた場所に、レオは立たされる。
作業台には、真っ黒な棒が大量に置かれている。それの先には文字が凸面に彫られている。夥しい数の文字が、机の上に並べられている。
机の真ん中には、多種多様な大きさの金型が置いてある。
男は文字が彫られた金属の棒を手に取った。
「この活字を、この型の中に入れていってくれ。この紙の指示通りに」
傍らにある紙には、印刷したい文章と、必要な活字とその大きさ、金型に置く位置などが、図面で記されている。
「ほら、ここに使う活字と、その位置が書いてあるだろう。この通りにやれ。活字の種類と大きさは、この指示書をよく読めよ。号数や種類が書いてあるから。読めないなら、見本と活字を重ねて比べたらいい。例えば、最初のこの文字なら」
頭領は、大量の活字の中から、ささっと、迷うことなくちっぽけな一個を取り出した。活字を、指示書にある見本と比べる。文字の大きさはピッタリだ。
「これを、図面の通りに金型に置く」
金型には目盛りがついている。図面には『左から何目盛り目』『上から何目盛り目』と細かく、そして分かりやすく書いている。
頭領は数個の活字を、金型の中に置いた。
「こんな感じでやってくれ。間違えるなよ。出来たら、印刷機の横まで持って来てくれ」
頭領はレオを作業台の前に残して、印刷機の横にある棚へ向かった。棚の整理を始める。
レオは作業台に向き直った。大量の活字と指示書を見比べる。活字は、サイズが小さい順から大きい順へ、そして文字の順番にそって、並べられている。以前にこの作業台を使っていた人は、とても几帳面だったようだ。
指示書の文字と活字を見比べ、大きさを合わせ、そして箱の中に置く。
(これは、かなりキツい)
蝋燭の明かりを頼りに、正しい活字を選び、正しい位置に置く。窓もないから昼夜も分からない。集中力と気力と忍耐が必要だ。他の連中はすごい速さで活字を黙々と金枠に並べている。素晴らしい職人だ。
レオは、のろのろもたもたと、金枠に活字を置く。どうにか終えたら、金枠と指示書を頭領の元へ持っていく。
「できました」
「見せろ」
頭領はじいっと指示書と、レオが並べた活字を見比べた。
「よし。ノロすぎるが、間違ってないな」
頭領は金枠を、印刷機の横にいる二人の男(そのうちの一人はヤカロだ)に渡した。ヤカロが、箱の上の黒い部分に金型を置く。その間に一人が道具の準備をし始める。木の棒にお椀をつけたような形をしていて、表面が真っ黒だ。二つのお椀をこすり合わせている。
「印刷機を見るのは初めてか?」
「ああ」
これは本当だ。レオは見たことがない。
「そうか」
ヤカロは、今度は板をパタリと開いた。板と板の間に紙を置き、板を閉じる。紙が板に挟まれた。
板の片方、活字と接する部分には窓が空いている。窓の所から紙が見えている。
二つのお椀を持った男が、箱の前に近づいてくる。真っ黒なお椀で活字を叩く。その後、板を活字の上に下ろす。
板を乗せた箱を、ゴロゴロと縦長の箱に押しこむ。そして、ヤカロはハンマーの柄を横に引いた。機構が動き、板が板を押しつぶす。
再度レバーを引く。仕掛けにつながった押し潰し板が、上昇する。箱を手前に引き寄せて板を開くと、印刷された紙が出てくる。
「ほら、どうだ」
ヤカロはレオに紙を見せた。とても綺麗だ。文字がきっちり印刷されている。掠れたり滲んだりしていない。
「すごいです」
感嘆を素直に口にする。人間には決してできない仕事だ。
(文字を紙に書くだけなら、手書きの方が早く済むが、こんなに綺麗で整った文字は人間には絶対に書けない)
この国の外ではこうやって印刷された本が出回っていると聞く。
(写本は、いつか時代遅れになるだろう)
頭領はレオから紙を取りあげる。
「満足したら仕事に戻れ」
レオは作業台に戻り、活字を並べる作業に戻った。並べながら、周りを観察する。文字を並べる職人がレオの他に五人。印刷機を動かすのが二人。棚の前であれこれ動き、紙を整理している頭領が一人。頭領が指示書を職人に渡し、職人は活字を金枠の中に置き、印刷機で印刷する。印刷した紙は頭領に手渡され、頭領は紙を封筒にしまう。
これらの作業を、ずっと繰り返す。
作業しながら思い出すのは、幼少の頃の訓練。同じ時間に起き、同じ経典の言葉を暗唱し、あの時と同じような気分だ。
そうして、どれくらい時が経っただろう。
「今日の作業は終わりだ」
頭領が言った。全員、顔をあげる。伸びをしたり、肩や腕をポキポキと鳴らす。
頭領が鉄製のドアの鍵を開けた。作業員達は二列になって、ゾロゾロと出ていく。レオも彼らについて行った。
地上に出る。光が眩しい。もう外は夜かと思っていたが、実際はまだまだ昼だ。
作業員達は、奥の部屋に入った。そこは食堂で、大きなテーブルと椅子が置いてある。パン屋の店主が、テーブルに食べ物を運んでくる。パンとスープ、それと水の張ったボウルだ。インクで汚れた手を洗う用のものだろう。皆、手が真っ黒だ。
ボウルで指先を洗い、パンとスープを食べ始める。
人数はレオを除くと八人。うち二人が女性だ。地下では暗くて分からなかったが、活字を並べる作業台に、彼女らもいたようだ。
「さて、新入り。名前は?」
頭領が尋ねた。
「レオです」
「どうしてここに?」
少し咎めるような口調で、ヤカロが言った。ヤカロは目が見えないはずだが、他の人と同じように指をボウルで洗い、スープを飲んでいる。
神官兵は暗闇の中で動く訓練をしている。でも四六時中目を閉じて生活することは出来ない。だがヤカロは、印刷機を使いこなし、食事をとっている。
(神官兵を辞めてから、何があったんだろう。西区で生活していたらしいから、楽ではなかったはずだ……)
彼のことを考えながら、レオは礼儀正しい作業員の口調で言う。
「マイトさんにお願いしました。仕事が欲しい、と」
「向こうには無かったのか?」
「ありませんでした」
「こっちもそんなに無いけどな」
頭領が口を挟む。
「無いんですか?」
「ああ。少し前は偽札やら偽の証明書やらで忙しかったが、今は落ち着いているな。ま、革命が始まったらまた忙しくなるだろうが」
「そうですか」
「今日の仕事もこれで終わりだ。後は好きに過ごしてくれて構わん。レオも今のうちに仕事を覚えておけよ」
「はい」
もちろん覚えなければならない。それも後六日以内で。
その後、雑談をしながら食事は進んだ。頭領はパン屋の店主に封筒を渡した。レオは今朝、大工のふりしてここに来たことを思い出す。
(ああして偽造書類の注文と商品をやりとりしてるんだな)
昼食を取り終えた。ここからは自由時間だ。久々に堂々と外へ出ることもできる。
(さて、どうするか)
レオは思案する。