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第八章-8

 レオとディーアは地下道を出た。
 地上に出た瞬間、ディーアは思わず鼻を押さえた。強い血の臭いに、吐き気を覚える。
 武器を持った市民や神官兵はいない。いるのは、血溜まりの中に倒れている怪我人だけだ。
「こちらです。急ぎましょう」
 レオはフードを目深に被り、走りだした。ディーアも後に続く。
 足跡だらけの荒らされた地面は歩きにくく、足を取られて転んでしまう。起きあがろうと手をついた先の地面には、赤黒い血がこびりついている。
 ディーアの頬が、嫌悪感でひきつる。だが気にしている暇はない。すぐに立ち上がり、レオを追う。
 やがて、レオは路地裏で立ち止まる。
「この向こうが白ムギ神殿です」
 路地裏の向こう側に、小さな神殿が立っている。入り口の前に重装備の神官兵が立ち、雰囲気が物々しい。
「神殿の中って、どういう構造か分かる?」
「昔、一度だけ訪れただけだから、おおよその間取りしか覚えてない。ただ、この神殿は小さく、部屋数も四、五部屋くらいだったと思う」
 ディーアは辺りを見まわした。少し離れた場所に、崩れた屋台がある。路地裏を通ってまわり道をすれば、神殿の前を歩かずにすみそうだ。
 レオに案内を頼み、屋台に向かう。壊れた木の机と丸椅子、その周りに布や紙製の飾りがたくさん落ちている。夏至祭で軒先に吊るすものだ。
「ねえ、火打ち石を貸してくれるかな?」
 レオから渡された火打ち石で、飾りに火をつける。火は瞬く間に燃え広がり、大きくなる。
 二人はすぐにその場から離れた。程なくして、白ムギ神殿から数人の神官兵が出てきて、慌てて火元に走っていく。門番の兵士は動かないが、視線は火に向いている。
 今だ、と二人は神殿へ向かう。門番の視界に入らないように気をつけつつ、窓から侵入する。
 細い通路だ。簡素なドアが二つと、一番奥に、太陽と月のレリーフが彫られた、両開きのドアがある。
「あのドアの先は祈りの間。他は物置や神官が生活する部屋だ」
 レオがドアを指で指しながら言った。奥のドアは祈りの間に続いているようだ。
「近くの部屋から探してみよう」
「ああ、そうしよう。そこで隠れてろ」
 ディーアが柱の影に隠れた後、レオがドアを開け、素早く中に入る。中から知らない人の悲鳴と、大きな物音がした。
「外れだ」
 涼しい顔をしたレオが出てくる。
「な、中に人がいたの?」
「殺してはいない。神官を殺すのは禁忌だ」
 じゃあ何をしたんだ、という問いが喉元まで出かかったが、答えを聞くのも怖いので、ディーアは何も言わなかった。
 次の部屋も外れだった。同時に、火を消し終えた神官兵が外から帰ってくる。
「おい、何者だ!」
 怒り狂った神官兵が剣を抜く。この廊下に逃げ道はなく、奥へ行くしかない。両開きのドアを開け、祈りの間へ入る。
 こじんまりとした祈りの間だ。シラ神の像の前に、男が座っている。その両隣に神官兵が立っている。
 ディーアは急いでドアに閂をかける。長椅子を引っ張ってきて、ドアの前に積み上げる。その間にレオは神官達を殴打し、動けなくなったところを縄で縛り上げた。
「な、何だ? お主らは何者だ?」
 残った一人は狼狽し、像の横にある祭壇の後ろ側に回る。
 彼の姿を、ディーアは数年ぶりに見た。
 豪華な上着に、装飾が施された白い長衣。そして、頭には、金色の王冠。
「……父上」
「父? お前は一体──」
 彼の戸惑いの表情が、やがて嫌悪と怒りの表情に変わる。
「お前、何でここに! この神聖な場所に入ってくるな!」
 王の怒鳴り声がビリビリと響き、ディーアは肩を縮める。
「出ていけ。ここから出ていけ!」
 王はゆらりと立ち上がる。肩を怒らせ、ディーアの元へ近づく。王の日焼けした手はディーアの顔より大きく、腕は首より太い。
 ディーアは息ができない。背中を冷や汗が流れる。過去の痛みが、心臓を掴んで離さない。
 その時、背後で大きな音がした。ドアを重たい物で叩く音だ。祈りの間へ突入しようと、神官兵がドアをぶち破ろうとしている。
 差し迫った現実の恐怖が、ディーアの魂を揺さぶる。
 ありったけの勇気を奮い立たせる。
「父上、少し話しましょう。このままだと貴方は処刑されてしまいます」

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