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第八章-9

 王は鼻で笑う。
「どうやって来たかは知らんが、ここは死刑囚が来る場所ではないぞ」
 両手をポキポキと鳴らす王。ディーアは過去の恐怖を心の中から追い払い、話を続ける。
「あの、その、死刑どころではなくなってしまったんです。戦争が起きたんです。外の悲鳴や音が聞こえませんでしたか?」
 そう言った後、ディーアは気づく。祈りの間の窓は全て閉ざされ、板が打ち付けられている。これでは外の様子など、見ることも聞くこともできない。そして王は、そのことに何も違和感を抱いていないようだ。
「何も聞こえん。聞こえたところでどうでも良い。愚民共など、神々の恩寵を受けた神官兵が、蹴散らしてくださるだろう」
「神官が勝利したら、父上を処刑すると思います」
「はあ? 神官が我の首を刎ねるなど、あり得んわ! 無礼者!」
 王が殴りかかろうとするのを、レオが横から抑える。しかし王は百戦錬磨の軍人でもある。鍛え続けて来た剛腕で、レオをあっさりと床に叩きつけた。
「もういい。この手で晒し首にしてくれる」
 王は大股でディーアに近づく。近くで見れば見るほど、彼は大きく、恐ろしい。真っ黒な壁みたいだ。
「私を殺しても、何の意味にもなりません」
 精一杯強がってみせるが、声が震えてしまっている。
「黙れ!」
 王の手が伸びてくる。
 その時、王の身体が不意に崩れ、床に倒れた。
「動くな」
 レオだ。王の背中に馬乗りになり、その首にナイフを当てている。
「こ、殺しちゃ駄目だ!」
「分かっている。だがこれも『説得』の一つだ。それに、のんびり話している暇はなさそうだぞ」
 祈りの間のドアは、長椅子を積み上げて封鎖したとはいえ、今にも破られそうだ。
 ディーアは呼吸を整えると、恐る恐る王のそばに近づき、しゃがむ。
「ここにいたら死んでしまいます。神官が戦いに勝ったら貴方は必要なくなりますし、王家や市民が勝っても、貴方は裏切り者として処刑されます」
「黙れ黙れ! 我に歯向かう気か! 罰が降るぞ!」
 無理やり起きようとする王を、レオが再び押さえつける。顔が床に打ちつけられる。それでもなお、王はディーアへの罵倒をやめない。
「くたばれ、このヒョロガキが! こんなことをしてタダで済むと思うなよ! 八つ裂きにしてくれる! 覚えてろよ! 昔からお前が気に食わないと思って──」
 罵詈雑言を捲し立てる王。口を挟む間もない。しかし、不思議なことにディーアはこの悪口を聞いているうちに、王への恐れが薄くなっていくのを感じた。息ができなくなるほど怖かったのに、今はそうではない。
(……この人は、こんなに子どもっぽい人だった?)
 小さい頃から、ディーアは父のことを、何よりも怖い人だと思っていた。王家の男として強くなれと、本を取り上げられ、剣や弓や槍を持たされ、訓練を受けて来たが、全く上達しなかった。
 重たい剣を持ち上げられず、怒鳴られた。矢を当てられず、殴られた。槍の練習では、すぐに相手に負けてしまって、出来損ないと軽蔑された。
 一方の王は重たい剣をふるい、的を射抜き、槍試合で相手を打ち負かし、周りに賞賛されていた。
 強く、勇ましく、誰もから敬われる、そして最も恐ろしい男。それがエレア王国の国王だ。ディーアの父親だ。
 それが、今、現実を見ることもせず、ただ罵倒を繰り返している。この罵倒も、今まで散々聞かされてきた。ディーアがまともに武器をふるえず、男らしく振る舞うこともできないから仕方ない……と思っていた。
 今までは。
「父上。外に出ましょう。そして、現実を見てください」
「やかましい! どけ!」
 王は唸り声をあげ、レオを背中から振り落とし、起き上がる。ディーアは後ろへ後ずさる。
 吹っ飛ばされたレオが素早く起き上がり、火のついた燭台で王に殴りかかった。火が王の長衣に燃え移る。
「わあ、あつい!」
 王は慌てて地面に転がり、火を消そうとする。レオは王を取り押さえようと飛び掛かる。
 しかし、王はその手を避けると、祈りの間の奥へ走っていった。壁際にある、目立たない色合いのドアを乱暴に開ける。鍵が悲鳴をあげ、壊れる音がした。
 神殿には、天窓が設けられている。陽光と月光を取り入れるためだ。しかし、雨や雪がそのまま降りそそいでくるのは困る。そのため、天窓を閉じるための戸と、天井へ向かうための梯子がある。
 ドアの先の梯子を、王はスイスイと登っていった。
 天窓を見上げるレオ。そのの額や顎に、血が滲んでいる。
「怪我は大丈夫か?」
「これくらい心配ない。それより、どうするんだ? 上で待ち構えているかもしれない」
「どうするもこうするも、追いかけないと」
 上から王の、悲鳴とも怒声ともつかない声が聞こえた。王の声だ。レオは縛り上げられている神官兵の剣を強奪し、自分のベルトに差すと、梯子を登る。ディーアが後に続く。
 屋根の上には、王と三人の神官兵がいた。全員剣を持っている。
「何故です! 私は違いますよ! あの二人が反逆者です!」
 神官兵は全く意に介さず、剣を振りかざす。
 レオは剣を片手に飛び出すと、一番近くにいた神官兵に背後から殴りかかった。剣の柄で頭部を殴打し、足の骨を砕く。
 ディーアは、王に襲いかかろうとする二人目の神官兵に向かって、屋根の煉瓦のかけらを投げた。神官兵の気がそれた隙を、レオがつく。一人、そしてもう一人をあっという間に屋根の下へ落とす。
「な、なんだ、これは……何故……」
 王は呆然と、その場に立ち尽くしている。
「早くここを離れますよ!」
 下で、大きな音がした。ドアが破られたのだ。
 隣の家の屋根は近い。ディーアでも軽く飛び越えていける。
「い、嫌だ! 離せ!」
 レオとディーアは嫌がる王の服を引っ張り、神殿の屋根から隣の屋根へ飛び、走る。

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