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第八章-10

 屋根の上からは、王都が見渡せる。あちこちから煙が上がっている。
 焦げ臭い空気が目にしみる。鼻が痛くなり、息をするのが辛い。
「おい、どこへ連れていこうとするんだ! 俺は帰るぞ!」
 王はディーアの手を振り解く。ディーアは「え、ちょっと!」と振り返るが、もう遅い。彼は屋根から飛び降りた。
 慌てて屋根の淵から下の様子を伺う。下には棍棒や、変な形の筒を持った市民達がいて、突然降りてきた男の存在に驚いている。しかし、敵と判断したらしく、武器を向ける。
「な、貴様ら! 無礼な!」
 怒り狂った王が市民に殴りかかる。王と市民が揉み合っているその瞬間、市民が筒の先端をその二人に向けた。
 音が鳴った。
 二人の人間がほぼ同時に倒れる。一人は筒を持っていて、尻餅をついている。もう一人は苦悶の表情を浮かべて地面に倒れている。その横で、王は立ち尽くしている。何が起きたか分からず、ポカンとしている。
(今の音は……もしかして)
 あの筒、そして音。なぜか肩を押さえて倒れている市民。地面には血溜まりが広がりつつある。
 ディーアは以前アンナから聞いた、ある武器のことを思い出し、背筋がぞっと冷たくなった。
「お、おい! 何で撃つんだ!」
「いや、違うんだ、わざとじゃない!」
「うるせぇ!」
 市民が内輪揉めをしだす。すると、今度は神殿の方角が騒がしい。白ムギ神殿の神官兵が追いついてきたのだ。片方の隊列は地上を、そしてもう片方の隊列はわざわざ屋根を走って、まっすぐディーア達の方へ向かってくる。
「神官兵様! どうかお助けください!」
 王は神官兵の方へ走っていく。ディーアの顔から血の気がさっと引く。王が神官の元に戻れば、全てが水の泡だ。
「逃げるぞ。これはいよいよ危険だ」
 レオはそう言うと、ディーアの返事を待つことなく、彼女の腕を掴み、走り出した。半分壊れ、傾いた家の屋根を駆け降り、地面へ着地する。
「駄目だ、待って!」
「待てない!」
「で、でも」
 ディーアはレオにぐいぐい引っ張られながらも、何とか振り返る。
 神官兵達が、王に剣先を向けている。王は信じられないと言う目で、神官兵を凝視している。
「何故ですか! 何故私に武器を向け──」
 彼らは一切答えず、王へ切りかかる。王は悲鳴をあげながら、何とか避ける。王は百戦錬磨の戦士だ。簡単にはやられない。だが、多勢に無勢、すぐに追い詰められていく。
 ディーアは、憎き父が痛い目を見ることを少しばかり嬉しく思った。自分を散々痛めつけていた男が無様な姿を見せる瞬間を目にするのは、なんと甘美なものだろう。
 だがそれ以上に、王の救出が絶望的になった今、この戦争が長引くことは必至だ。暗い喜び以上に、それが辛い。
(失敗した。もっと上手くやれば……)
 不意に、前で、あの乾いた音が鳴った。
 腕を掴んでいたレオが、急に横へ引っ張る。ディーアは足をもつらせながら、レオがむかう路地裏の方へ入った。
「な、何?」
「静かに」
 ディーア達が先ほどまでいた通りを、市民の一団が走っていく。十人以上はいる。多くの者が棍棒や手作りの槍などを持っているが、中には細長い筒を持っている者もいる。
「あの筒、何だ?」
 レオの独り言に、ディーアは答える。
「あの筒、多分……銃、だと思う」
「ジュウ?」
「アンナが言ってたんだ。マイト兄様が新型の武器を密輸する、と。それが銃だよ。小型の大砲みたいなものらしく、当たると死ぬって」
 神官兵と市民が激突する。
 雄叫びを上げる市民、時折響く銃の音、神官兵が振るう剣の輝き。もう何が何だか分からない乱戦。人が一人、また一人と倒れていく。
 ディーアとレオは、息を殺して、路地裏でじっとしていた。
 数と新兵器で勝る市民が優勢のようだ。最後は神官兵が敗走し、市民がその背中を追いかけていった。誰もいなくなると、ようやく二人は路地裏から出た。
 路上に、市民と神官兵が数人、倒れている。誰も動かない。ただ、か細い苦悶の声が聞こえるだけだ。むせかえる血の臭いを吸うと吐き気がする。ディーアは鼻と口を押さえながら、レオと手分けして王を探した。
「う、うう……」
 王の声が聞こえた。道の端の側溝からだ。ディーアは恐る恐る近づく。
 王は側溝にいた。側溝は雨が降った時に、外へ水を流すためのものだ。人の身体と同じくらいの幅がある。
 そこに王がいた。側溝に膝をつき、頭を抱えて丸まって、ぶるぶると震えている。着ていた長衣は泥まみれだ。
(あの乱戦を、ここで隠れて生き延びたのか。それとも偶然ここに落ちただけ? まあ、いいか、どちらでも)
 何はともあれ、ここから逃げないといけない。ディーアは精一杯優しく話しかける。
「父上。大丈夫ですか?」
 すると、王はがばっと起き上がった。腕や肩、足から血が流れている。
「うるさい、うるさい、見るな! 近づくな!」
 王は足から血を流しながら、側溝から出て、よろよろと歩き出す。
「今ので分かったでしょう? 命を狙われているんですよ」
「そんなわけあるか! こんなの何かの間違いだ!」
 白ムギ神殿の方へ歩く王。だが、曲がり角から出てきた誰かとぶつかった。王はよろめき、転んでしまう。起きあがろうとするところを、レオが手助けする。そのまま腕をがっちり掴んで、離さない。
 一方、王とぶつかった誰かは、じっとその場に立っている。ディーア達の方に顔を向けると、目深に被った帽子を脱いだ。
「──殿下、レオ。無事で嬉しいです」
 ディーアは、あ、と声をあげる。
「アンナさん!」
 彼女の背後には地図を持ったミアもいる。
「陛下もまだお元気そうで、何よりです」
 アンナは、冷え冷えとした目で、王を見下ろした。

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