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言葉が形作るもの-前編-

 ミアは右手に一覧表、左手に冊子の束を持って、本棚の前に立っていた。
 天井高くまで聳え立つ本棚。本棚は、色や模様で区分けがされている。赤や黄色、緑色に板が塗られ、丸や三角などの記号、それから文字も刻まれている。
 これらは、冊子の位置や並べる順番を示している。作者名や題名、ジャンルに従い、冊子が並んでいるのだ。文字が読めない人のために、色や模様、記号を使って表している。
(えーと、これはここだよね。並び順に)
 ミアは表を見ながら、冊子を配架していく。そうしていると、利用客が話しかけてくる。
「なあ、読みたいもんがあるんだが」
「はーい、何の本ですか?」
「えっとな、冬至祭の──」
 ミアは手を止め、案内する。他にも、次から次へと冊子を探す人がやって来る。
「ありがとう。これ、探してたんだ!」
 嬉しそうに笑う利用客を見て、ミアも笑顔になる。
 利用客の案内をしつつ配架する。本を並べ終えると、本棚の森を出る。
 本棚の間を通り抜けた先はちょっとした広間になっている。冬の柔らかい日光がさす窓際には、机と丸椅子が並んでいる。利用客らが椅子に座り、冊子を机の上に広げて読んでいる。
 入り口の前には衛兵が立っている。本の持ち出しを見張っている。彼らは、レース達がティルクスに行く時に護衛した警備兵達だそうだ。
 入り口の近くにはカウンターがあり、司書達が利用客の入会手続きをしている。
 この図書館は、入会料を支払えば本や冊子を自由に読むことができる。特に冊子は館内持ち運び自由で、好きな物語を好きな机で好きなだけ読むことができる。
「ミアさん、すいません!」
 職員の一人、ベルがミアの元にやってきた。
「あの、本の分類作業なんですが……題名がその……読めなくて」
「はい! 今行きますね」
 ミアはカウンターの隣にある部屋に入る。
 本や冊子が所狭しと積み上げられた小部屋だ。紙の塔と塔の間を、ミアと同じか少し年上の人間達が、行き来している。
 彼ら彼女らは、この図書館が開館する時に雇われた者達だ。隠れ住んでいた学者や学びたい貴族の子らが、ここで働いている。
 そして、ミアは司書だ。職員を束ね、本を管理する立場だ。館長のアンナとディーアに、任命されたのだ。ミアが一番、読み書き計算ができて、ティルクスで図書館の仕事をしていた経験があるからだ。
 しかし、今までミアは誰かの上に立つことなんて、一度もなかった。しかもその部下は自分よりも身分が高い。
『新しい職員には司書の言葉をちゃんと聞くように伝えてある。そんな顔しなくても大丈夫。もしも無礼な振る舞いをされたら私に言いなさい』
 ポケットの中のメモ帳に、アンナの言葉をそのまま書き写してある。普段なら、アンナのどんな言葉も信じるミアだが、こればかりは中々信じきれない。機嫌を損ねたら鞭打ちの刑に遭うかもしれないのだ。たとえ、アンナとディーロが守ってくれるとしても。ベルや、他の職員達が良い人だと分かっていても。
「すみません。何とかここまでは頑張ったんですが……」
 ベルは、机の上に積み上げられた本を指差す。皮表紙の本の塔だ。横にある名簿と、背表紙を見比べる。今日配架する本は冬至祭に関する本で、題名順に並べる予定だ。いくつか違う本が混じっているので、横へどかす。
「これとこれはよく名前が似てますが、違う本ですよ。ほら、綴りが」
 周りの職員達が寄ってきて、題名の綴りの違いをしっかり読み、メモを取る。
「なるほど……ありがとうございます。では配架してきます!」
 ベルは運ぼうとするが、本の塔が崩れ、床にドサドサと落ちる。ミアはすぐに拾った。
「運びますよ」
「ありがとうございます!」
 ベルは両腕で抱えられるだけの本を持って、部屋を出ていく。
(私が全部運びますよって意味で言ったんだけどな)
 ミアは職員のあとに続く。二人で広間を突っ切り、一番奥にあるドアを開ける。
 ここも閲覧室で、本棚が並んでいる。ただし、書架に収められているものは、冊子ではなく本だ。棚には長い鎖が取り付けられている。太い鎖の先は本の表紙に繋がり、南京錠で止められている。盗難防止のための鎖だ。
 ミアは、ベルと手分けして空いている鎖に本を繋いでいく。冷たく滑らかな、皮表紙の本。題名が刻印されている。面白そうな題名の本をいくつか見つけ、ミアは休日に読もうと思った。いつでも図書館に出入りできるのが、司書の強みだ。
「すいません、本を探しているんですが」
 来館者が話しかけてきた。ミアは深く息を吸って心を落ち着かせる。
「はい、何でしょう?」
 配架と来館者の対応をしているうちに、遠くで鐘の音が鳴った。休憩の時間だ。
 ミアはベルと一緒に小部屋に戻った。他の職員達も休憩に入っている。背筋を伸ばしたり、周りの友人と談笑したり。外に買い物に行く者もいる。
「ミアさんはどうしますか?」
 ベルが尋ねた。
「ここにいますよ。外は寒いですし」
 彼女は嬉しそうに笑い、戸棚へ走った。中から彼女のカバンを出す。
「良かったです。私、家からウェーファを持ってきたんですよ! 一緒に食べましょうよ!」
 ベルは袋を開け、中身を数個手に取ると、ミアに差し出した。美味しそうな焦げ目がついた、八角形の焼き菓子だ。一口齧ると、口の中にハチミツの甘みが広がった。
「美味しいです。ありがとうございます」
「良かったです! ミアさんが読んでくれたレシピを、そのまま料理人に伝えたんですよ。おかげで美味しくなりました!」
 ああ、とミアは思いだす。十日ほど前に、図書館に入ってきた新しい料理の冊子を読みあげたのだった。材料には希少で高価なハチミツもあったが、それをすぐに用意できるあたり、さすが豪商の娘である。
 周りの職員達も近づいてきた。ベルは皆にウェーファを配る。彼女の手元から、ハチミツの匂いがほのかに香る。
「ミアさんって、何でも読めますよね。凄いです」
「ベルさんも、この三ヶ月で大分読めるようになったじゃないですか」
 アンナとミアが始めた勉強会により、最初は自分の名前を書くのがやっとだった職員達も、スラスラと文章を読み書きできるようになった。
「ですが、まだ読めない言葉の方が多いです。ミアさんは古代語も読めますよね」
「古代語は私も読めません。勉強中です」
 休みの日、ミアはアンナと一緒に辞書と睨めっこしている。アンナも古代語は勉強中らしく、クロニト大神官と手紙のやり取りをしながら、古代の神話の翻訳をやっている。
「ミアさんはどんな勉強法で文字を覚えたんですか?」
「皆さんと同じですよ。毎日書いて読んでを繰り返してました」
 ベルは少し考えこんだ。
「ミアさんは館長とすごく親しくしてらっしゃるんですね。主人が召使いに文字を教えるなんて、私は聞いたことがありませんよ」
「そうなんですか?」
 他の人間に仕えたことがないミアには分からない。驚かれることに驚いた。
「ええ、一体、お二人はどうやって出会ったのですか? 何があって、文字を教わるほどの仲に?」
 周りの職員達も興味津々といった目でミアを見つめる。
 ミアは口の中のウェーファを飲みこんだ。
「えーっと、あまりちゃんと覚えていないんですけどね……」
 話しながら、昔のことを思い出す。
 埃まみれの記憶が心の中に蘇った。


 ミアは、農村で生まれ育った。
 小さい頃のことはよく覚えていない。記憶にあるのは、友達の山羊と、緑と灰色の山と、空腹と、誰かに怒鳴られたこと。その『誰か』はおそらく両親だったと思うが、今もよく思いだせない。
 ある日のこと。村に馬車がやってきて、ミアはそれに乗せられた。行き先は王都ティフだった。ただし、当時はその町の名前を知らなかった。幼いミアは、初めて見る大きな町に無邪気にはしゃいだものだった。
 御者の男に連れていかれた先は、灰色の大きな家だった。他の子どもと一緒に、その館に放り込まれた。
 その頃になって、ようやくミアはおかしいと気づいた。いえの大人達がこちらを見る目、同じ馬車に乗ってきた子ども達の表情。何かが変だった。
 それから、家での生活が始まった。
 大人の女性がたくさん住み、酒の臭いが漂い、昼よりも夜の方が騒がしい場所だった。
 大人達はミアに箒や雑巾を渡した。掃除をしろという意味だとミアは受け取り、掃除を始めた。しかし、何かが気に入らなかったらしく、突然怒鳴られ、殴られた。何をしてもしなくても、拳骨が飛んでくる。村でも殴られたが、館ではもっともっと殴られた。それに家には仲良しの山羊がいない。逃げ出そうとしたが、帰り道も分からない。毎日、泣きながら、掃除していた。腹も空いていた。
 それからしばらく日が経った後、また知らない大人に連れられて、ミアは別の家に連れてこられた。そこも似たようなところだった。掃除と、痛みと、空腹。それだけだ。たまに、機嫌が良い大人から貰える食べ物や衣服が楽しみだった。
 またしばらくすると、別の家に連れていかれた。そして殴られ、掃除をさせられ、また別の家へ。あちらこちらを転々とする日々。そして最後に行き着いた場所が、アンナの家だった。

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