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新年

 一年で最も夜が長い日がやってきた。
 今日は冬至祭。ヨラ神の栄光を讃える日だ。そして、今年最後の日でもある。
 今夜、ヨラ神の長い髪が空を覆い、漆黒の夜が来る。死者は蘇り、魔物が踊り、生き物は優しい夢を見る。そして朝、シラ神が黄金の松明を掲げた時、新しい年が始まるのだ。
 夏の内戦の後、新しく雇った侍女が、朝食のスープを運んでくる。トレーの上に、大きなスープ皿と、見慣れない紙が置かれている。
「この紙は?」
「お手紙です。誤って王宮に届いてたものを、今朝、馬車が持って参りました」
 封筒の差出人には、『北の巡礼者より』と書かれていた。もしや、と思って中身を開く。
『元気?
 私達は、元気。
 今、イカリ連山の神殿にいる。
 これから冬の間、ここにいる。
 あなたたちに、神々のめぐみがあらんことを』
 便箋の他に、数枚の紙が入っている。綺麗な風景画だ。峻険な峰、美しくもどこか暗い森。そこで暮らす人々や動物達。向こうの雰囲気が、よく伝わってくる。
 イカリ連山は、ティルクス王国の北にある山脈だ。北方の国々の国境である。また、山脈全体がヨラ神の聖地であり、多くの巡礼者が旅をしている場所でもある。
(日付は……秋の中頃か。この時期はもう、山は雪と闇に閉ざされている。二人は神殿にこもって、修行している頃か。凍死しないといいんだけど)
 封筒に便箋と絵を丁寧にしまい、朝食を食べる。その後、レースとミアが、衣装を持って部屋にやってくる。
 今日は、冬至祭のための特別な衣装を着なければならない。紫のドレスに、カラスの羽飾りがついたコート。金の首輪と髪飾りをつける。貴重な布地がたっぷりと使われた、豪奢な服だ。
「マオとレオから手紙が届いたよ」
「え、本当ですか!」
 届いた手紙を見せる。二人とも、着替えの作業の手を止めた。
「わあ、綺麗な絵ですね。元気に過ごしているんでしょうか」
「春になったら、きっとまた手紙が来るよ」
「ええ、楽しみです!」
 ミアが、アンナの顔に白粉を塗り、紅をさした。
「よくお似合いです、アンナ様!」
「美しいですね」
「はいはい、ありがとう、二人とも」
 アンナは部屋を出た。階下に下りると、ディーアが居間で本を読みながら待っていた。
 紺の布地に金の糸の刺繍が施されたチュニック、狼の毛皮のマントを着ている。
 朝の挨拶を軽く交わし、二人で馬車に乗る。
 空は曇天。粉雪が舞っている。丘は一面雪化粧。黒く細い轍が、途切れ途切れになりながら、遠くへ続いている。
「ティルクスでは、冬至祭ってどんな風に祝ってるの?」
「エレアと大して変わらないと思うよ。神殿で祈って、美味しいものを食べて、寝る。起きたら新年の挨拶をする」
「贈り物を渡したりはしない?」
「贈り物? エレアにはそんな風習があるの?」
 ディーアは微笑んだ。
「風習、というほどのものでもないけど。王家のちょっとした恒例行事ってだけ。年上の兄達や母上が、小さい子に小さな花やお菓子を渡すっていう行事があったんだ。私も弟や妹に渡したよ」
「私も何か渡さないといけないかな? 何も用意してないけど」
「用意したよ」
 ディーアは、マントの内側からメモ帳を数冊、取り出した。
「これをシャロン達に配ろうって」
「いいんじゃないの? お絵描きとか色々できそう」
「うん。喜んでもらえるといいな」
 何事もなく、王宮にたどり着いた。内戦が終わってから、王宮の外壁はカラフルになった。白一色だった正面の壁は剥がされ、元々の砂色の城壁に戻された。北の黒一色の壁も変わった。
 外だけではなく、王宮の中もすっきりした。かつてアンナが通された白黒の小部屋のタイルも、今は全部剥がされて元通りだ。
(ふう、この方がくつろげる)
 砂色の小部屋のソファに、二人で並んで座る。そうして他の王家の準備が整うのを待っていると、ドアが勢いよく開いた。
「アンナ、おはよう!」
 シャロンが駆け寄ってきた。
「ドレス姿で走ると危ないですよ」
「私は大丈夫よ!」
 つま先で立ち、くるりと一周するシャロン。肩にかけた薄桃色のケープが、ふわりと広がる。
「前に本で見たドレスを仕立てたのよ。この日のためにね。似合う?」
「ええ、とても可愛らしくて、よくお似合いです」
 アンナは本心から言った。
「こっちこっち! 温かいお茶とお菓子があるの!」
 三人で朝のお茶会をしながら、他の王族達を待つ。
 太陽が完全に昇った頃、ようやく準備が整った。エレア王国の冬至祭が始まる。
 まずは、王族達は特別な馬車に乗り、王都を一周する。道に並ぶ民衆に向かって手を振るのだ。
 冷気が風邪を切り裂き、粉雪が化粧と衣装を濡らす。アンナは心の中を空っぽにする。笑顔を顔に張り付かせ、腕を左右に振ることに集中する。
 馬車が印刷所の前を通りかかった時、アンナは知っている顔を見つけた。
(あ、マイトだ)
 かつては革命の、今は市民会議の同志と共に、手を振っている。
 マイトは時々図書館にやってきて、食事や野原の散策に誘ってくる。陰謀に巻き込まれて忙しい時ならともかく、平和な時には火遊びなどごめんなので、アンナは適当な理由をつけて断っている。それでも彼は全然めげないが。
 メディもいた。赤バラ理髪院の前に、弟子と共にいる。アンナとディーアが手を振ると、彼も軽く振り返してくれた。
 馬車はエシュー大神殿に入る。馬車を降りて、ヨラ神の祈りの間へ向かう。雪と風が無いだけで、随分暖かく感じる。
(こんなに神殿に来て、嬉しいこともないね)
 二階に用意された席に座る。右にはディーア、隣にはシャロン。他の席には、王とローゼ、ディーアの兄弟姉妹、ティルクスからの使節団がいる。
 階下に目を向けると、多くの市民が祈りの間に詰めかけており、大神官の話を聞いている。中にはこっくりこっくりと身体が揺れている者もいるが。
(まだ寝るのは早いぞ。これからたくさん寝るのに)
 大神殿の長い説教が終わると、王家と神官の食事会が始まる。羊の丸焼き肉を取り分けて食べながら、国の在り方について話す。アンナとディーアは、聞き耳は立てていたが、ほとんど何も話さず、肉をたらふく食べた。
 日が沈む前に王宮へ戻る。そして、用意された寝室に入る。
 冬至の夜は、部屋から出てはならない。大きな音や明かりも駄目だ。外を彷徨う死霊や魔物がやって来るからである。
 逆に、静かに一晩眠っていれば、ヨラ神から特別な夢のお告げをいただける──とされている。
「さて、寝ようか」
「そうだね。おやすみ」
 アンナはシュミーズに着替えると、ベッドの中に入った。隣にディーアが滑り込む。蝋燭の火を消すと、ほとんど真っ暗になった。鎧戸の隙間から、微かに夕日が差しこんでいる。じきにそれも消えるだろう。
 アンナは目を閉じた。
(全然眠れないな)
 普段ならもう少し遅くまで起きて、二人で小説を読んでいる。全く眠気を感じない。
「ディーア、起きてる?」
「起きてるよ。眠れない」
 話しかけたのはいいものの、何も話題がない。すると、ディーアが「ねえ」と話しかけてきた。
「何か話をしてくれる? アンナが小さい頃の話とか」
「私の小さい頃?」
「うん。こうして王宮で寝ていると、嫌なことを思いだす。君の話を聞かせてほしい」
「じゃあ、レースの話からしようか」
 アンナは話した。
 常にそばにいてくれた、乳母について。
「──それから、ずっと私のそばにいるんだ」
「優しい人だね」
「うん、本当に。いつか、レースの息子がエレアに来たら、盛大に歓迎しないとね」
 手取り足取り文字を教え、快活になった侍女のこと。
「最初は弱ったネズミみたいに元気がなくて、震えてばかりだったんだ。本当にどうしたらいいんだろうと、最初は途方に暮れたよ」
「今の姿からじゃ、想像がつかないね」
「でしょ? それでね──」
 仕事を粛々とこなす兵士の裏側。
「棚を作ってる時だけ、兵士じゃないヨールの顔が見れるんだよ」
「兵士じゃない顔?」
「うん。今度こっそり見てみなよ」
「分かった……」
 ディーアは一つあくびをした。
「もう眠い?」
「ありがとう。おかげで、いい夢が見れそう」
「そう。おやすみ、ディーア」
「おやすみ、アンナ」
 アンナは目を閉じた。深呼吸し、心を落ち着ける。
 やがて、部屋は静かになった。


 鐘の音で目が覚めた。
 アンナは起き上がると、あくびをしながら窓に近づき、鎧戸を開けた。
 空は晴れている。東の空が真っ赤に輝き、真っ白な大地を金色に染め上げている。
 民はすでに目を覚ましているようだ。煙突から煙が出ている。楽しげな声が、微かに聞こえてくる。
 背後で、布が擦れる音がした。ディーアも目覚めたようだ。
「おはよう、ディーア」
「おはよう……夢は見れた?」
「いや、全然。ぐっすりだったよ」
 今まで、アンナは冬至の夜に、夢を見たことがない。
「私は見たよ」
「へえ、どんな?」
「先生の夢」
 朝日は窓辺を照らすばかりで、部屋の奥まで差しこんでこない。ディーアの顔は、暗闇に沈み、よく見えない。
「私は子どもの頃に戻っていた。先生が新しい本を持ってきて、それをずっと読んでた。とても懐かしかったよ」
「良かったじゃないですか」
「うん。でも、謝れなかった」
「謝る?」
「先生を助けられなかったこと。もっと父上に逆らえば、あるいはもっと上手く立ち回っていれば、いやそもそも、私が学びたいなどと我儘を言わなければ、先生の命は助かっていたかもしれない」
 アンナは窓辺から離れ、ディーアの隣に座った。
「恨んでいる人間に、そんな優しい夢を見せるとは思えない。先生はきっと、ただ会いに来ただけだよ」
「ああ、きっと、そうなんだろうね。でも……私が許せないんだよ」
 俯いているディーア。小さく丸まった背中は、引きこもっていた時のディーアを思い出させる。彼女の傷は塞がったように見えて、未だに開き、血を流し、彼女を苦しめている。
(どうすることもできない。私じゃ何もできない。ローゼもマイトも神殿も、多分誰も何もできない……ならば)
 ディーアの背中をそっとさする。
「物語を書いてみるのはどう?」
「物語?」
「先生の物語。あるいは、先王がしたことの告発、または懺悔。何でもいい。書いて広めれば、後世に残るよ。人々の中に、先生の存在やこの事件が生き続ける」
 そして書くことで、気持ちを昇華することができれば、自分で自分を救うことにも繋がる──かもしれない。繋がってほしい。
 アンナは半ば祈るような気持ちで、ディーアに向かって微笑みかけた。
「まだあると思うよ。死者のためにできることは」
 外が騒がしくなってきた。王宮の使用人達が仕事を始めたのだろう。じきに、この部屋にも着替えを届けにやってくるだろう。
「ディーア、行こう。もう朝だ。新しい一年が始まったんだよ。あ、そうだ、贈り物を渡すのはどうなってるの?」
 ディーアはあ、と口を開ける。
「忘れてた」
「ほら、渡しに行こう」
 ほどなくして、着替えを持った侍女達がやってきた。衝立を挟み、片方でアンナが、もう片方でディーアが着替える。新年のための特別な服だ。
 着替え終わると、アンナはドアへ向かう。
「待って、アンナ」
「あ、ごめん。まだ着替え中だった?」
「ううん、そうじゃなくて」
 ディーアは小さな包みを差し出した。
「これ、あげる。新年の贈り物」
 アンナは目をパチクリさせる。
「え、本当に? ありがとう!」
 早速包みを開く。中身は豆本だった。緋色の表紙を開くと、細かい文字と美しい挿絵がある。ちゃんと読める。
「大切にするよ。来年は私も用意する。楽しみにしててね」
 アンナは本を大切にポケットに入れた。
 そして、二人は部屋を出た。

(完)

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