外伝-2 旅立ち
流し神子の育て親。この役目は、子がいない女や、子育てが終わった老婆の中から、籤で選ばれた者がやる。
今回は、ナオコだった。
里の外れのお社に住み、烙印が押された子を育てる。十の年になったら、舟に乗せて見送る。それを繰り返す。自分自身の寿命が尽きるまで。
籤のアタリをナオコが引いた時の周りの顔を、ナオコは忘れられない。皆、安堵していた。そして、ナオコへ憐れみの目を向けていた。怒りがこみあげたが、彼女達を責めることはできない。逆の立場なら、きっとナオコも同じ目をしていただろうから。
それから、ナオコは、流し神子の赤ん坊と共に里の外れの森で暮らし始めた。
初めて、流し神子を見送った時、ナオコは耐え難い苦しみに襲われた。食事も喉を通らなかった。
周囲は、大丈夫、オボロ様のもとで幸せに暮らしているから、とナオコを慰めた。
(だったら、この罪悪感は何?)
本当に嫁として出ていくなら、寂しさを感じることはあっても、こんなに心苦しくならないだろう。それに、周りの人間も、もっと派手に明るくお祝いするだろう。
だが、この流し神子の『嫁入り』はまるで……もがりのようだ。お祝いしているように見えて、皆の顔が暗く沈んでいる。
でも、それでも、ナオコは自分自身に言い聞かせた。
(きっと、きっと大丈夫。子ども達はオボロ様と一緒に過ごしているんだから。この里にいるよりも、きっと幸せだ)
流し神子にも、そう伝えた。信じ込ませた。
一人、また一人と、十年に一度、流し神子が流される。
そして、リエを流す時がやって来た。
この子もまた、歴代の流し神子と同じように、素直な子に育った。そういうふうに育てた。リエはなんの抵抗も見せず、舟に乗せられ、世ノ河を下っていった。
だが、それから数日後。
里の人々が、突然石化しはじめた。
皆が救いを求めて、オボロの像があるお堂へ殺到するのを、ナオコはぼうっと眺めていた。
(きっと、リエの舟はどこかに座礁して、オボロ様の元まで流れていかなかったんだ。だからオボロ様がお怒りになった)
身体が石化していく。足も、胴も、腕も。だが不思議と怖くない。
(リエ。どうか、元気で……)
意識が沈む間際、ナオコは祈った。
目が覚めた時、ここがあの世なのかと思った。自分達のような者も、門をくぐることができたのか。
だが、そこは里で、混乱した人々と──リエがいた。
「リエ、リエなのかい?」
「バア様!」
リエは一目散にナオコの元へやってきた。ナオコはリエを抱きしめた。泣きじゃくるリエの頭を撫でながら、ナオコも泣いた。
しばらくして落ち着くと、リエは流された後の旅の話をしてくれた。
(ああ……オボロ様は、やはり化け物であったか)
皆、薄々気づいていた。オボロ様とは、神ではなく神を騙る人喰いの化け物ではないのか、と。十年に一度、生贄を要求する神。それは果たして神なのだろうか。他の里にはそのような神がいるという話も、石化病という病も存在しない。
心のどこかで疑っていた。しかし、オボロ様の言うとおりにしないとどうなるか分からない。それに、一人を犠牲にすれば皆が助かることは確実だ。里は恐怖に負け、生贄を捧げることを選んだ。
(リエ。帰ってこなくてよかったんだよ)
焼き魚を頬張るリエを見ながら、ナオコは心の中で呟く。
彼女は、常闇で真実を知ってもなお、里の人を見捨てなかった。皆が助かったことを、心から喜んでいた。そういうふうにナオコが育てたからだ。烙印は消えたのに、まだ里に縛られている。
「もうリエは流し神子じゃないんだよ」
里での暮らしを続けようとするリエに、たまらずナオコは言った。
「薬なんか作らなくていいし、私のことをバア様と呼ぶ必要もないんだ」
リエはもう、どこへでも自由に行けるのだ。こんな所にいる必要はないのだ。
すると、リエは二人で遊びに行こう、と言いだした。そして、ナオコを「バアちゃん」と読んだ。
「バ、バアちゃん?」
「そう呼んでいい?」
ナオコは目を細める。
(まだ、私のことを家族だと思ってくれるの?)
本当は、リエはナオコを嫌いになるべきなのだ。生贄にされたことに対して怒り、ナオコも里も捨てるべきなのだ。
(そうしてほしい……のに)
リエは純真な目でナオコを見つめる。どこまでも純粋な目がナオコの心を射抜く。
どうしようもない、愛しさが込みあげる。
「もちろん。私の可愛い可愛いリエ」
これから先、リエは普通の子どもとして生きていくのだ。ならば、普通の祖母も必要だろう。
リエが、やりたいことを次々と話す。
「いいねぇ。今から全部、やっていこうね」
ナオコはじっくり、孫娘の話を聞いた。
(完)